徳田秋声『黴』(岩波文庫)

徳田秋声とは? 〜文学史的上の位置付け〜
・およそ形を成した思想を持たず、逆にそれが人生に対して提出する「解決」に絶えず意識的に反発して独自の表現を築き上げた。
硯友社時代に『雲のゆくへ』で作家として認められる。
自然主義の時代が来ると『新世帯』を発表し自然主義作家として注視されるようになる。
・『足跡』では自分の妻の半生を、『黴』ではその妻の結婚の事情を書いている。特に『黴』は作者の分身である不遇作家笹村の光明のない生活に無感動に堪えていく姿が、無理想無解決の人生を象徴するように克明に描写されている点で、たんに秋声の代表作であるばかりでなく、自然主義私小説の典型といえる。
・秋声は理論によるよりも天性がそのまま熟してなった自然主義者であり、自然主義の凋落期に『爛』『あらくれ』を発表し、巨匠の風格を示した。
・秋声の晩年の傑作としては自身の恋愛問題の総決算『仮想人物』と芸妓の半生を描いた『縮図』があげられる。ともに自然主義の頂点を示しただけでなく、わが国の近代小説の最高の達成とされた。


◆読んで思ったこと
 ゲーテの『ファウスト』に「人間は、努力をする限り、悩むものだ」という描写がある如く、人生は無解決だ。
それに理想などというものはその時々によって変わりやすく普遍的なものではない。
そんな無理想である人物が人生に対して無解決のまま日々の日常を暮らすという現実に迫っている。
このような小説を読むと、無感動な人生にも堪えていける気がしてくる。


◆抜粋
笹村は冷たいようなその条理だけは拒む事は出来なかった。そして一緒になることについても不服はなかったが、女の心持がしみじみ自分の胸に通ってくるとは思わなかった。打ち解けたときの女の様子や口の聞き方には心を惹かれる所があったが、温かい感情の融合ふやうなことは余りなかつた。