サン=テグジュペリ『夜間飛行』(新潮文庫) の感想

航空業界がまだ民間における夜間の郵便業務が困難を極めた時代。何かに突き動かされるかのように反対をおしきり強引に民間の夜間飛行を推し進める支配人リヴィエールの心情が描かれる。彼は部下や雇用者を愛してやまないが、その愛し方は表面的にはあらわれない。むしろ、下手な同情を廃棄して厳格に義務の観念を求める。

あの連中はみんな幸福だ、何故かというに、彼らは自分たちのしていることを愛しているから。彼らがそれを愛するのは、僕が厳格だからだ。彼は、あるいは、配下の人員を苦しめたかもしれない。しかしまた彼らに大きな喜びをも与えた。彼は信じている、「苦悩をも引きずっていく強い生活に向かって彼らを押しやらなければいけないのだ。これだけが意義のある生活だ」と。

また人間の存在意義について「個人の幸福」を「永続的な救わるべきもの」に昇華しているところも興味深い。
最近読んでいたものだと、すぐに存在意義の肯定を異性に求めがちだったので、義務の観念で描き出したところがぐっときたね。

「人間の生命には価値はないかもしれない。僕らは常に、何か人間の生命以上に価値のあるものが存在するかのように行為しているが、しからばそれはなんであろうか?」
根本の法則は、まさにその種の幸福を保護すべきではないのか?それなのに自分はそれを破壊しているのだ。ところで、ひるがえって思うに、それらの幸福の聖殿は蜃気楼のように、必ず消えてしまうものなのだ。老いと死とは、彼リヴィエール以上にむごたらしくそれを破壊する。このことを思うなら、個人的な幸福よりは永続性のある救わるべきものが人生にあるかもしれない。ともすると、人間のその部分を救おうとして、リヴィエールは働いているのかもしれない?