武田泰淳『富士』(筑摩書房『武田泰淳全集第十巻』内収録)の感想

精神科医でありながら精神を病んだ大島が、その元凶を手記で回想する。
第二次大戦下、富士山麓における精神科病院が舞台。
実習生である大島が、様々な精神病患者や治療スタッフとの関わりを通して人間集団に横たわる狂気に狂って逝く様が読みどころ。
個々の人物も個性派揃いである。人間は全て病を抱えておりそれは発症と認知されるかどうかだと優しさを貫きとおす院長、元同僚で大島の親友でありながら皇族を自称する一条、一条に惚れる中里里江、国家の代弁者陸軍軍曹、下層階級代表の農民中里のおやじ、てんかん患者大木戸とその妻、処女懐胎を信じる庭京子など、他にも魅力的?な人物が描写される。

話の筋としては、戦争色が濃くなる中で徐々に病院全体が狂っていき、皇族を自称する一条が天皇に「日本精神病院改革案」を提出する。その内容は日本国内、いや世界全体が少なからず誰しもが発狂する恐れがあり全てが病院と化すことを示唆していると暗示されているように思われないこともない。そして、一条の死と引き換えに天皇より御下賜があり酒宴に発展する。その酒宴の有様は頽廃を極め、そこへ終結した陸軍の監査により病院の存在そのものが危惧にあう。

そこで回想は終わり、大島夫妻が現在の病院を訪問する。そう入院を目的として。だが、最後には大島の妻の患者に対する優越感が自己の存在を安定させるとの言にて幕を閉じる。