遠藤周作『深い河』(講談社文庫)の感想メモ

5人の登場人物のオムニバス方式で、インドのガンジス川に向けてそれぞれ集まっていく。
客観的に見れば単なる老若男女だけれども個人個人うちなる悩みや事情を内包している。
妻を亡くし輪廻転生に苛まされる磯辺。
キリスト教及び既成の倫理観に反発を抱く美津子。
幼少期から来る悲哀の慰め動物に求める沼田。
ビルマの生き残り兵である木口。
汎神論的なキリスト司祭くずれの大津。

キリスト教や仏教的な考え方を持つ登場人物に対して、インドにおけるイスラム教、ヒンドゥー教的なものの見方が示されていく。特に研究職くずれで糊口をしのぐためにインド観光業に従事する江波が、ナクサール・バガヴァティ寺院で見せた女神像チャームンダーは、印象的。ヒンドゥーならではの世界観を眼前にする。

チャームンダーは墓場に住んでいます。だから彼女の足元には鳥に啄ばまれたり、ジャッカルに食べられている人間の死体があるでしょう。(中略)彼女の乳房はもう老婆のように萎びています。でもその萎びた乳房から乳を出して、並んでいる子供たちに与えています。彼女の右足はハンセン氏病のため、ただれているのが分かりますか。腹部も飢えでへこみにへこみ、しかもそこには蠍が噛み付いているでしょう。彼女はそんな病苦や痛みに耐えながらも、萎びた乳房から人間に乳を与えているんです。

その5人と対照的に描かれるのが、現代の若者を代表する楽観的で何も考えておらず、目の前の快楽を貪ることしか人生に価値を見出せない三條夫妻である。東浩樹氏が『動物化するポストモダン』でヲタク文化論により現代の若者の動物化を唱えていたが、若者に限らず欲求に興じて生きている階層は多いのではないか。こういう三條夫妻のような人物を対照的に描き出すことによって、主要登場人物たちがより一層深みを増している。