D.C.II〜ダ・カーポII〜 第10話「霞んでいく想い」 の感想

思春期の少女は総じて恋愛に憧れるが、いざ付き合ってみると男性の現実を知る。
小恋もその例のひとつに過ぎなくて、たまたま対象が義之であっただけのこと。

勝手にオトコに告白して、勝手に恋愛に幻想を抱き、勝手に好意が薄れ、勝手に別れていくというありがちな女の子の典型的パターン。処女喪失しなくてよかったじゃないか。ホントウに人を好きになるまで貞操は守っとけ。近年のオンナは好きになったらすぐセクロスだから。他のヒロインがなんらかの鬱個性を持っているのに対し、無個性の小恋をしてシナリオを作らしむるためには、典型的パターンで行くしかない。



中学3年の男子で乙女心を機敏に感じ取れるほうが危険な香りがする。義之の周辺では数少ない身内が倒れてしまったら帰るのは当たり前。まぁ、年頃の娘さんは自分絶対王政で自分が一番じゃないとしょうがないし。寧ろ、小恋の反応も当然なのかもしれない。分かりやすすぎる女の子の気持ちの記号化を小恋が担ったわけで、そんな小恋程度のキャラが義之に赦しを与えてしまったら逆に気持ち悪い。つまりは、早々に気持ちが離れるようになっていたのだ。



そして小恋はロボットに彼氏の心が奪われたのだという噂を立てて、好きだったオトコに腹いせをする。愛することは憎むことの裏返し。一時の情熱に突き動かされて行動した結果は、虚しさと後悔と逆恨み。義之は小恋との不和により渉や杏とも気まずくなり友達ごっこも終焉してしまう。普段は友達面をしていても立場が悪くなると急に手の平を返してしまうのが現代っ子のニンゲンカンケイごっこなの。周囲から孤立した義之と美夏を支えるのは家族の愛情。自分が窮地に堕ちいったときに最後まで力になってくれるのが人としての人情、愛情、家族愛。ここで音姫の登場ですよ。美夏を最後まで裏切らない義之と音姫の活躍によって徐々に美夏は認知されていく。困難の時に支えてくれた音姫に義之の好意が向くのは当然。ここで初めて、ヒトを好きになるということがどういうことか分かり音姫エンド。