1) 当時の日本における日中戦争の認識
○近衛文麿関係文書「現下時局の基本的認識と其対策」(38.6.7)
「戦闘の性質―領土侵略、政治、経済的権益を目標とするものに非ず、日支国交回復を阻害しつつある残存勢力の排除を目的とする一種の討匪戦なり」
○中支那派遣軍司令部作成文書「揚子江解放に関する意見」(39.1)
「今次事変は戦争に非ずして報償なり、報償のための軍事行動は国際慣例の認むる所」
⇒どうして復仇と認識するようになったのか?
2 ) 満州事変の特質:国際法との抵触→「民族自決」と「自衛の論理」でカモフラージュ
○参謀本部第2部の説明
「満蒙新政権の樹立は表面支那自体の分裂作用の結果なりと説明すればアメリカが武力的干渉にでる恐れはない」
○関東軍参謀板垣征四郎と荒木貞夫陸相との会見資料
「九国条約においても連盟規約においても、日本が支那本部と分離せしめんとする直接行為をあえてすること許さざるも、支那人自身が内部的に分離するは、右条約の精神に背馳せず」
○支那問題処理方針要綱
「以上、各般の施措の実行にあたりては、つとめて国際法ないし国際条約抵触を避け、なかんずく満蒙政権問題に関する施措は、九国条約との関係上、出来うる限り支那側の自主的発意にもとづくが如き形式によるを可とす」
3 ) 満蒙を安定させていた前提条件の崩壊
- 幣原外交の挫折
国民政府をワシントン体制側にひきとめておくため(中国の左傾化を防ぐため)に
英「十二月メモランダム」、米「新対中国計画」でワシントン体制の経済ルールを変容。
→英米との強調、中国への内政不干渉をと幣原外交挫折。
- 張作霖爆殺
田中外交の積極的満蒙政策「現地政権に肩入れをした北満進出論」に対する不満
←北伐軍との戦いのため奉票を乱発して日本の商工業者に打撃を与える
←南京の国民政府と競うように東三省でも2.5%付加税を徴収し始める
- 総力戦の否定
石原莞爾の煽動
1.欧州流の国家総動員型戦力準備は日本の場合は、できもしないし、する必要もない。
2.ロシアは革命後の混乱により弱体なので恐れるに足りない。
cf.『石原莞爾資料 戦争史論』
「日本内地よりも一厘もカネを出させないという方針の下に戦争せざるべからず。対露作戦の為には数師団にて十分なり。全支那を根拠として遺憾なくこれを利用せば20年でも30年でも戦争を継続することを得」
→国防費負担の軽減からくる経済効果ゆえに軍縮に賛成してきたような人々はごっそり石原にもっていかれてしまった。
4 ) 国際連盟脱退までの動向
○調査委員派遣まで
- 錦州入城→米:スティムソンドクトリンで硬化
- 上海事変→英仏硬化→連盟臨時総会
- リットン報告書と特殊権益の最終的判断
・経済的利益の擁護への配慮は十分
・焦点となったのは「並行線禁止問題」と「鉄道守備隊問題」
○連盟脱退の理由
- 32.6.14満州国承認決議
・日本の行動は自衛であり、不戦条約には反しない
・満州国は中国内部の分離運不動の結果だから9カ国条約に反しない
連盟総会が日本の主張を無視するような調査委員会報告書の結論を採択したとしても、連盟規約の解釈としては、連盟の勧告を承諾しないということが、ただちに規約違反とはならない。従って国際連盟が我々の承諾できない案を勧告として押し付けた場合には、我国は敢然としてその勧告に応じないというだめの態度を維持すれば足りる。
・立作太郎『国際連盟規約論』
紛争当事国の日中代表を除いて、連盟理事会あるいは総会代表全部の同意を得た報告書による勧告書を受けたとしても、それは元来調停の手続きに属するものだから、勧告そのものは法律上の拘束力はなく、それに従わなくとも法律上の義務違反となることはない。また第16条も第15条の帰結ではない。第16条が問題となるのは、紛争当事国を除き、加盟国の全員が一致を以て決定したる勧告に対手国服する際において、我より戦争を起こす場合に初めて存する。
→33年の熱河作戦際して大問題になる。
- 2つの脱退論
1.駐仏大使長岡春一の具申(1932.4.4)
脱退の場合、満州問題は事実上連盟の手を離れ、穏健なる意向を有する大国側は、右過激分子の掣肘を免れ、同問題に付自由の立場におかるべき様存せらる。
2.国際連盟規約第16条と熱河作戦
熱河作戦が「新しい戦争」と見なされ、除名や制裁の恐れが出てくるので脱退。
→熱河作戦を撤回できず、第16条適用の恐れにより脱退。
5 ) 日中戦争
○華北分離工作
満州国の独立国家化だけで終わらせず、華北を国民政府から分離させる。
1.ソ連に対する警戒心の強まり
2.日満北支経済ブロックの形成
○トラウトマン工作打ち切りによる持久戦化
トラウトマン工作とは、日本側が「内蒙古に自治政府樹立、満州国境から天津・北平間に非武装地帯設定、上海の非武装地帯の拡大、排日政策の中止、共同防共」条件をドイツを媒介として伝え、国民政府側が「華北の主権と独立を侵犯されないこと」を条件に和平協議に応じることを決定した和平交渉。だが、政府は対日交渉を早々に打ち切り「国民政府を対手とせず」と声明する。
←戦時経済の強化:対外為替市場の維持と公債消化率の向上の必要あり。トラウトマン工作に執着をみせることは、やみくもに停戦を急いでいるかのように海外から見透かされる恐れがあるとの警戒心。
○自己説得の論理
・持久戦化→戦争の意義付けの必要→「東亜新秩序」声明
・東京帝国大学教授 蝋山政道
欧州の地域秩序にしか過ぎない国際連盟のシステムを補完するためには、東アジアの地域主義的な秩序原理が本来必要であった。しかし、中国の民族主義は、東アジアの地域主義的な秩序原理を認めないばかりか、欧米の帝国主義に利用されているのに気づかない。アジアの貧しさを招来したものこそ、各国のナショナリズム間の対立を同一平面上で解決しようとしたウィルソン流の民族主義にあったのである。よって、日本は覚醒しない中国の民族主義と、それにつけこむ西欧の帝国主義を共に軍事力で打倒する必要がある。
・社会大衆党代議士 亀井貫一郎
日本と中国のナショナリズムを同一平面上に調整することによって日中戦争を解決することは不可能となった。そのため、より高次のレベルで解決するしかなくなった。もはや、立体的解決、すなわち世界新秩序の一単位としての東洋という位相での解決しかない。日本と中国と満州国のナショナリズムを吸収しつつ、超国家体としての東亜共同体を形成する方向だが歴史的必然に沿う。
- アメリカ中立法の余波
宣戦布告をするとアメリカ中立法の適用を受け、モノ・カネの制限がかかる。ところが宣戦布告をしないと、軍事占領や賠償を適法に要求できない。積極的な意義付けがないまま始まった日中戦争の意義を、革新官僚によって粉飾したが、中立法のジレンマをも説明できるイデオロギーを完成させる必要が生じた。
- 近衛の挫折
・東亜新秩序声明・近衛三原則の下での汪兆銘による対日和平通電の失敗
・大政翼賛会の設立→国内に政治勢力を再結集させることで、日中戦争を独自に解決する展望を自ら放棄したことを意味
6 ) まとめ
満蒙権益は日本人に戦いを不可避とさせていた。日本が満蒙に獲得した権益は戦勝による講和条約によって規定されたものであった。つまり最初から国際法的な色彩を持って成立していた。さらに26年の統計によると日本の対外投資の68%が満州に向けられ、投資額の93%は国家関連であった。事が生じれば国家権力の発動に依存する関係が日本と満州の間には成立していた。そのため、時代ごとに条約上の解釈や法律的な理論により正当化して中国や連盟と戦わざるを得なかった。日中双方が相手国に対し、国際不法行為を行ったと主張し、自らのとった強力措置は復仇であるから違法ではないと論戦しあう。それが1930年代の日本と中国だった。