高校公民指導法2日目「公民に内包される道徳性」と中二病

高校には「道徳」という授業がありません。
では、どこでモラルや規範を扱うのかといえば「公民」です。
そもそも、戦後においては「公民」の中に道徳指導が内包されていました。
しかし、教育史を見れば分かるよう次第に系統主義に陥るようになってしまいました。
つまりは、価値教育の中の道徳教育と価値判断が切り離されてしまったわけです。
そのため、多くの弊害が起こり、現行の学習指導要領ではその動きが改善されてきているわけです。

公民科の目標は以下のように記されております。

広い視野に立って、現代の社会について主体的に考察させ、理解を深めさせるとともに、人間としての在り方生き方についての自覚を育て、民主的、主体的な国家・社会の有為な形成者として必要な公民としての資質を養う。

この「人間としての在り方生き方」にティンとくる方はいませんか?
誰しも中二病患者の時に「人は何のために生きるのか」と自問自答したことでしょう。
高校に上がり、現代社会ないしは倫理の授業が始まり、センセーショナルを受けた人も多いと思います。古代の先哲の思想家・哲学者たちはマジで生涯をささげて「人の生存理由」について考えたので、現社や倫理の時間には、恥ずかしがらずに中二病にかかって「人間としての在り方生き方」について考えられるんだぜ?
授業は導入が命といいますが、如何にして高校の子どもたちが主体的な食いつきをする餌(=教材)を用意できるかが教師の役割になってくるのです。


※参考資料のメモ