デイヴィッド・クリスタル著 斎藤兆史/三谷裕美訳『消滅する言語』(中公新書)のメモ

あとがきで訳者より、この著は宣教師外交と英語帝国主義の思想がいっぱい詰まっているので注意!!とのお触れがある。だがその後で「英語!英語!と騒ぐより、まず日本語をしっかりと」という展開になってしまう。国際化⇒まず自分の文化を守るという構図が染み付いてしまっているような気がする。

訳者あとがきより

  • 宣教師外交

たとえ共同体が救済を拒んだとしても、たとえ言語危機の原因が英語の世界的展開であったとしても、自分たちはそこに入り込んで共同体を説得し、そして言語救済を試みるべきだという、帝国主義的ともいえる自信に満ち溢れている。ここにキリスト教の布教を絶対的な善と信じ、「野蛮人」たちを次々と改宗させていった宣教師外交と同じ態度を見る。

世界の言語状況には様々な要因が複雑に絡み合っているとしながら、なぜか二言語併用だけは無条件に望ましい言語使用のあり方だとしている。弱小言語の話者が、自分たちの民族・文化的独自性の象徴たる母語に自信を持っていれば、その母語と優位言語との二言語併用併用状態を維持できるのだという。そして『地球後としての英語』の主張とあわせると、人類みな「世界標準口語英語」(world standard spoken English)と自分たちの母語との二言語話者になれば地球上に理想的な言語状況が生まれるという理屈となる。これを英語帝国主義と言わずして何と言おう。

言語の死とは何か

  • 言語の機能的・構造的変化
    • 変化とは、どんな言語にも普通に必然的に起こるものである。健康な言語はほかの言語と常に借用をしあい、語彙は常に世代間で変化している。
    • 危機言語の衰退の過程で起こる変化は健康な言語に見られるものとは違う。程度・範囲・進度・質が違う。文法事項や語彙領域など多くの側面が「壊滅的」「根本的」に変化する。
  • 言語の死という概念
    • マリ・ライドウェン
      • 言語の喪失は概念や抽象的観念の喪失ではない。人々が態度を変え、世代間で自分たちの言語を伝達することをやめてしまうときに起こる事態である。それは人と密接に繋がっており、ただの知能パズルを解くことと同じように扱ってはならない。
    • デイヴィッド・マルーフ
      • 私の母語がもう生きて人々の口に上らないと思うと、私は寒気を覚える。それは自分自身の死より深刻である。なぜなら言語の死は私の同胞の集団的な死を意味するからだ。

なぜ放っておいてはいけないのか

  • 言語選択

ある言語が国際共通語になることはそれなりの価値がある。共通語には国際的な意思疎通を促進するという有益な役割、ある言語がなんらかの言語的な進化過程を経て世界の共通語になったとしても、それは他の言語を犠牲にすることにはならない。
少なくとも二つの言語 ― 民族語と国際共通語 ― を話す世界は可能で望ましい。その二つの言語は異なった目的「一つは民族・文化的独自性の保護のため、もう一つは相互理解のため」を持つので対立する必然性は無い。

  • できるだけたくさんの言語を保持することの利点
    • 多様性が必要
      • 二言語使用者は生活の大きな部分で2つの非常に異なった視点をもつことが永続的に可能。
      • 言語は具体的に選択された語句を通じて、昔の話者たちの気持ちや、彼らが経験した文化的接触がどのようなものであったかを知る手がかりになる。
    • 民族的独自性を表現する
      • 「言語をもたない民族は心を持たない民族である」
      • 共同体社会の意思伝達や行動の解釈において言語がいかに重要な役割を果たしているか。
      • 言語は民族的独自性の主要な指標にも象徴にも、あるいは記録にもなりうる。
    • 言語は歴史の宝庫
      • 過去への絆:自分の言語を失うということは、自らを過去から閉め出すということ
      • 語り部の伝達技術:民間伝承
    • 人間的知識全体の中で大きな役割を果たす
      • 民族的独自性と歴史性が結びついた時、個々の言語は、人間存在にも独自の枠組みと解釈を与える。
      • 言語は文化的知識と環境に順応するための慣例と結びつけ、共同体の構成員たちには共時的に、後の世代には通時的にすべてのことを伝える。
    • 言語はそれ自体興味深い
      • 多くの言語を学べば学ぶほど、対比概念と明証性規則、語彙など言語選択の可能性の全体像が豊かなものになる。

なぜ言語は死ぬのか

  • 共同体の崩壊
  • 政治・経済・社会の圧力
    • 土着言語に対する否定的な姿勢
    • 現地語使用への罰則