ef - a tale of melodies.第4話「turn」の感想・レビュー

とざい、とーざい。この物語は、新感覚派壮年期物語である。
思春期を題材にした青年期の学園モノは数あれど、壮年期モノこその面白みもまたある。
火村さんサイドは過去を苦悩し、代理妹を取り合う血みどろの戦いを想起する。
一方、久世氏は最終決定死亡フラグ。ミズキを好きになったからこそ別れを告げる。


火村さんの現在に付きまとうのは、決定的な過去。人には何かに打ち込んだ時間を過ごした大切な一時期というものがあり、その時期を過ぎると後の人生が如何に良いものだとしても、それはどこか空虚にしか感じないものである。火村さんによれば、それが優子との再会を経た学生生活であったわけだ。妹を震災で亡くし、孤児院で妹のようにして育った優子の存在は火村さんの中でどんどん大きくなってくる。妹を亡くした痛みの癒しを優子が担うのだ。優子が擬似妹として癒しの捌け口にされるのは、何も火村さんだけではない。優子を引き取った美術部教師雨宮先生もまた然り。どうやら夜な夜なイプされていることは確定なようですな。火村さんとの買い物での遅刻を「寝坊」とし夜眠れなかったと述べるのはそのせいか。そして、そんな優子に火村さんが正論で責め立てる。「優子、それがお前の生き方なのか?嫌なことがあっても笑って誤魔化す。自分を誤魔化して辛くないフリをする。本当にそれでいいのか」と。火村さんはイジメに対して述べた言葉であったが、それは優子の代理母近親相姦にも言及するものであった。そしてまた火村さんを狙う美術系少女凪もイイ感じに精神崩壊フラグ。この点で宮子と通じる所があるのか。

 


かたや久世氏サイドではミズキちんの存在が久世氏に認められる、だからこそ別れを告げられる。死の宣告を告げられ、そのために跡に残さぬように自分の即席を消去してきた久世氏。しかしそこへ事情を知る火村さんがミズキを煽り久世氏に近づけさせたと勘違い。しかしそれはミズキの自発性を後押ししたに過ぎない。遊び半分ではなく、ミズキは久世氏に捧げる想いを見出していたから。その思いは久世氏の琴線に触れミズキの存在を認めていく。久世氏が愛した女は居た、だから死んだ跡にその幻影に縛られてしまうのを嫌い別れた。久世氏が甘えとして残したのは、つかず離れずの人間関係。火村さんや蓮治一家みたいなもの。そこより踏み込んでしまうとそれは未練になり清算の対象となってしまう。ミズキちんも例に漏れず、これ以上近づくなと言われるのであった。恋する乙女パワーはどこまで久世氏を追いかけられるか!?