今回のとらドラ!はみのりん精神崩壊前奏曲と竜児の大河への気持ちの自覚。
恋愛沙汰には無自覚だった二人が周囲の変化により成長をうながされざるを得なくなる。
大河が去っていく一抹の寂しさを抱いた竜児には何が出来るのか。
これまでADHD我が儘暴力少女として周囲に混じることが出来ず孤立していた少女が大河。だが不器用ながらもまっすぐな想いは竜児を動かし、二人で馬鹿をやりながらも大河は成長していく。大河エンドになるには、竜児が大河を見守ってあげていた保護者としての役割から、竜児と大河が対等になるイベントが必要。既に大河はこれまでの出来事を通して精神的に成熟しつつあり、今ではクラスに溶け込み、いつしかその中心になる人物にまでなっていた。今まで孤立していた大河をバックアッしていた竜児の役目は漸進的に終焉を迎えつつあり、竜児もそれを自覚していく。そこに残るのは何故自分が大河の世話を焼いてきたかという存在意義。その問題を、北村に惚れている脇役少女(茶髪)に、婉曲的に突きつけられる。
そんな宙ぶらりんな思いを抱えたまま、竜児にとっての更なる課題は、みのりんに避けられているかもしれないということ。みのりんはこれまでわざと変人を自演することによって、自我を保ってきた風潮があった。一歩間違えればすぐに精神崩壊に至る描写も多々あった。そのなんとか紙一重で保ってきた自我は、別荘イベントでの竜児との恋愛暗喩会話や大河父親事件とその和解を通して急速に揺さぶられていく。みのりんが普通に女子高生ライフをエンジョイできない理由は何故か。バイト三昧や高校球児の弟の存在から家庭問題の匂いはプンプンしますが、いまだ語らえることも無い。「罪悪感」とは何に対して抱いているのか。みのりんは、孤立していた大河の友人となることで、大河を「わざと」孤立させたままにしておくことによって、侮蔑できる存在がいるように無意識に仕向けて精神崩壊を免れていたのではなかろうか。そして竜児がその「孤立」から解き放ったので、その事実を突きつけられ罪悪感を感じていた、と推測するのは深読みのしすぎかな?