古田元夫『アジアのナショナリズム』山川出版社 1996年

アジアのナショナリズム植民地主義に終止符をうつうえで、大きな歴史的意義を担った。しかし、同時にそれは、「やつら」を排除して「われわれ」の国民国家をつくるという、国民国家の論理がはらむ問題をひきずらざるをえないものだった。孫文・ガンディー・ホーチミンという3人の人物をとおして、このアジアのナショナリズムの歴史的な意味を考える

  • 構成
    • 孫文・ガンディー・ホーチミン/1.西洋体験と思想的特徴/2.大衆運動/3.独立国家の栄光と限界
  • この文章の目的
    • 共産主義の運動も含めたアジアにおける帝国主義に対する抵抗運動が、なぜ「われわれの国民国家」の形成、すなわちナショナリズムに収斂していったのか、それによってえられたものと、失われてしまったものはなんであったのかを検討することを通して、アジアのナショナリズムに対する理解をはかる
  • 国民国家
    • 一面においては自由・博愛・平等の共同体であると同時に、多面においては、異質な言語の話者=少数民族、外国人など「やつら」にたいする差別と排斥の原理をあわせもった、矛盾した存在であった。そのことは、国民国家が、一方で自己の主権を主張しながら、他方において拡大と侵略による他者の主権の否定を展開したことにも如実に表現されていた。
  • 国民国家の誘惑
    • 主権国家
      • 帝国主義の支配からのアジアの人々の自立を求める闘いが、国民国家の樹立という、いわば「敵の姿に似せて自らをつくりあげる」結果に終わったのは何故か。これは「あらゆる主権の原理は本質的に国民に属する」という1789年のフランス人権宣言の理念が20世紀には国民の自己決定=自決の理念として国際社会に広まり、国際社会での自立を求めるのは自らを国民と主張し、自分自身の主権国家を形成することがもっとも確実な道となったからであった。
    • 国民の自決という原理
      • 国民の自決という原理は、フランス人権宣言に提示されているような人種としての側面と、国家の主権という側面をあわせもつものであったが、ひとたび主権国家となれば、主権平等・内政不干渉・領土保全の原則に守られるという構造は、自決がもっぱら国家主権という方向に引きつけて理解される状況を生み出した。そのために、自決の原理はしばしば国民の名による圧政、とくに異質な文化を持つ人々への新たな抑圧に結びつく危険性をもっていた。国民の自決という原理が、帝国過ぎの支配からの人々の解放に大きな意味をもったことは認める必要があるが、同時にそれが帝国主義の産物にほかならず、新しい支配と従属をもたらしたことも、見過ごすことはできない。
  • アジア新興諸国の政治的独立の限界
    • 自決の主体とされた国民という集団性がもつ曖昧さ
      • 中国国民、インド国民、ヴェトナム国民という集団性がいかなる範囲をおおうものであるのかという近代の課題。孫文の「中華ナショナリズム」、ガンディーのインド国民、ホーチミンの多民族構成を持つヴェトナム国民という集団性は、いずれも国内の少数派に対する開放的性格をもっていたが、多数派の自己中心主義という傾向が混入しやすい弱点を持っていた。国民という集団性が「やつら」に対する「われわれ」という性格を持つものである以上「やつら」はつねに帝国主義だけであるとはかぎらなかった。
    • 国民の自決という原理には国民の名による専制には歯止めがない
      • 市民革命の中から生まれた国民主権論には、市民による政府という、権力を制約する原理があったが、国民の国家に関しては、国民を政党に代表しているという理屈さえたてば、専制支配を正当化することも可能である。そもそもアジアのナショナリズムが掲げた国民の自決という要求は、植民地帝国という専制に対する抵抗原理であったわけだが、それが、革命の過程で得た既得権益を護り、専制的支配を合理化する論理に転化する危険性を当初から内包していた。