山田睦男「植民地時代のブラジル」増田義郎編『ラテン・アメリカ史Ⅱ南アメリカ』山川出版社 2000年 130-170頁

  • パウ・ブラジル
    • 1500年以後、ポルトガル、インド洋の香料貿易の独占狙う⇒沿岸各地にフェイトリア(武装交易基地)建設、「インド領域」の確立に力を注ぐ
    • ブラジルはあまり関心払われず
      • ⇒赤色染料材、高級家具材としてヨーロッパで需要のあるブラジルの木(パウ・ブラジル)の伐採を行うに過ぎなかった
      • cf.この木からブラジルという地名生まれる
  • サトウキビ栽培による繁栄
    • パウ・ブラジル枯渇⇒特産品なし⇒サトウキビ栽培が開始され、主要な産業になる
      • cf.1420年には航海王子エンリケの命によりサトウキビがマデイラ諸島に移植されたが、その販路に問題があり、重要な産業になれなかった
    • ブラジルにおいて最初のエンジェニョ(製糖工場つきサトウキビ農園)は1516年にペルナンブーコに作られ、急速に拡大
    • 糖業の繁栄の要因
      • 沿岸部の高温多湿な気候と肥沃な土壌(マサペーという黒色腐植土)の存在、インディオとアフリカ人からなる奴隷労働力の利用
    • スペインはブラジル以上に栽培適地であったカリブ海諸島で砂糖生産を行っていなかった
      • ∵メキシコやペルーで征服直後から銀・金が発見されたためと、スペイン南部の糖業を保護するため
  • アフリカ人奴隷の導入
    • 砂糖生産の拡大⇒労働力の重要増大⇒インディオ奴隷不足⇒1570年王室は、アフリカ人奴隷の輸入を本格的に奨励し始める
    • 当時、砂糖はヨーロッパでグラム単位で取引されるほどの貴重品であったため、アフリカ大陸から奴隷を購入しても採算が取れるほど、糖業の収益性は高かった
    • ブラジルに対する奴隷の供給源は、ポルトガルのアフリカ植民地で、ルアンダが奴隷の積み出し港であった。17世紀後半まで、当時のコンゴアンゴラからバトゥー系の黒人が、西アフリカからは別系統の黒人がブラジルに送られた
  • オランダ人のブラジル侵略の影響
    • 1580年、フェリペ2世のスペインによりポルトガル併合⇒オランダ人の侵略対象になる
    • 1653年末、ブラジルから撤退したオランダ人は、糖業の経験を持つ新キリスト教徒の技術者や黒人労働者をカリブ海の英領や仏領の諸島に移住させた。それ以外にも、ユダヤ人は迫害を怖れてオランダや西インド諸島に脱出した
    • 数年後にはヨーロッパへの砂糖供給は過剰になり、価格が下落した