1)茶と現代世界の問題
中国の経済発展を誇る写真とウイグル暴動の写真を見せながら、「現在、中国は経済発展著しく、北京五輪・上海万博などで国家的威信を取り戻しつつある。その一方で、民族問題・経済格差・政治上の自由など問題が噴出している。どうしてこのような社会問題が起こるのでしょうか?」と問題意識をもたせる。この社会矛盾は近代西洋に対抗するための対抗近代化の過程にあったことを告げ、「東アジア国際体制を崩壊に追い込んだきっかけとなった商品は何だったと思いますか?みなさんの身近なものです」と興味・関心をひきつける。その商品は茶であることを告げ、「今回はどのように西洋近代資本主義に東アジアが組み込まれていくのかを学習します」と目的を持たせる。
2)茶の累積赤字と冊封体制
産業革命における労働者と紅茶の図絵を提示し、イギリスで茶の需要が増大していることを意識させながら、18世紀後半には中国茶を一方的に輸入する偏貿易に陥り貿易赤字になっており、産業革命による大量生産された綿布の市場のため最大の人口を持つ中国を開放させることが必要であったことを紹介する。
a.冊封体制と朝貢貿易
中国市場を開放させるために派遣されたマカートニーとアマーストの三跪九叩頭のエピソードを紹介しながら、「どうして中国は尊大な態度を取っているのだろうか?」と思考を促し、イギリスとの自由貿易を拒絶した背景を説明する。
<冊封体制>
中国では、対外的には中国皇帝が周辺民族の首長と結び、前者が後者を国王として封じる(承認する)代わりに、定期的な朝貢(使節の派遣)の義務を課す体制を構築することによって中国の安全を保障し、東アジアの国際秩序の安定をはかることになった。中国の国内では廃止された周の封建制が、いわば国際的に拡大された形で復活したわけである。こうした中国王朝の外交政策によって形成された東アジアの国際秩序を冊封体制という。そのさい、朝貢のために派遣される各国の使節は、必ず貢物を皇帝に献上し、皇帝は見返りに絹織物などを与えて慰労するという贈与・贈答の儀式が行われる。これを朝貢貿易という。
18世紀になると、1757年の乾隆帝の決定により、海外貿易を広州1港に限定したうえ、中国との取引を公行と呼ばれる清朝指定の少数の特許商人(およそ10行ほど)との間でのみ許可するという、厳しい制限貿易を行っていた。このためマカートニー、アマーストらは、広州以外の港の開放など、自由貿易を要求した。しかし海外貿易をあくまで従属国からの朝貢という観念でとらえる清朝は、これをまったくうけつけなかった。
b.茶の累積赤字とアヘン三角貿易
中国へのアヘン流入量のグラフを示しつつ、茶の累積赤字に苦しむイギリスは18世紀末にインドでアヘンを製造させ、本国の綿製品をインドに輸出してアヘンを購入し、インド産アヘンを中国に輸出して茶の代価にあてる三角貿易を開始して事態の打開を図ったことを紹介する。この政策はうまくいき逆に中国からイギリスへ銀が大量に流出するようになり、銀価が高騰して農民が困窮したことを告げ「どうして銀が高騰すると、農民が困窮するのだろう?」と考えさせる
<アヘン輸入の増加と銀価の高騰>
アヘン貿易による銀の大流出は、中国国内の銀の流通量を減少させ、銀価の高騰をもたらした。乾隆帝時代には銀1両(1両は約37g)は銭700〜800文と交換されていたが、1830年には銅銭1200文となり、1830年代末には最大で銅銭2000文に達した。地丁銀の税額は、銀何両というかたちで指定されるが、農民が実際に作物を売って手にするのは銅銭であったから、納税の際には、手持ちの銅銭を銀に換算して納付しなければならなかった。したがって銀価が倍に高騰するということは、農民にとっては税金が倍に増えるということに等しかった。