「きっと、澄みわたる朝色よりも、今、確かに此処にいるあなたと、出逢いの数だけのふれあいに、」の感想・レビュー

『きっと、澄みわたる、朝色よりも』の第三部は世界の不条理に苛み人間の感情を否定した少女を救済するおはなし。
人には悪意なんてないのに結果的に悲劇に陥るくらいなら人と接する感情なんていらないと嘆く中二少女に活を入れろ。
人間の絆を否定し優しさを拒絶する少女に実存を取り戻させるのです。

人間の絆を、感情を、優しさを呪った少女を救済しましょう。


芸術学園の閉じられた世界を構成しているのは、ひとりの少女。その世界は全てその少女の概念武装によって形成されている。救いを求める少女に手を差し伸べるのが、我らが主人公くんの務め。第2部の終局場面、笹丸は少女を救おうしたのだ、優しさを持って。しかし少女は優しさを否定する。少女は優しさの世界を呪った。なぜなら、祖父が母を疑ったから。母は善意をもってしたのに鬼の力を怖れられたから。いや、祖父も祖母も母も母を殺した将軍も、全ては善意で動いていた。善意で動いていたのにも関わらず世界は不条理を叩きつけてきた。なんで?善意が、優しさがこんなに不条理ならば、感情なんて人の絆なんていらない。優しさを持つものに苦しみを。優しさを唱える笹丸にその苦しみを味あわせたかった。そのために3周目ループに突入する。本文の中では、ループではなくメビウスの輪と表現しているがね。本来なら記憶は巻き戻されてしまうはずだけれど、笹丸たちの想いは少女の呪いに屈するものではなかった。孤独少女:若を救うため、笹丸はその手を取る。恋愛感情を認識するようになっていたことにより、ひよの想いに早々に応え能動的に結び付く。だが、そんな笹丸に優しさは痛みであることを思い知らせるために、若は真実を突きつける。笹丸が前世で若の祖父であり、若の母である娘を疑ったのだと。



崩れかかる笹丸。希望を失い、姐御の春告に縋りつくが裏拳一発、気合注入。泣き崩れてるときではない、立ち上がれとの肉体言語での激励を受ける。我に返った笹丸は3周目でも、ひよの消滅を見届け、相対するは孫娘の若。若が構成する世界の欺瞞を見抜き、彼女が救済されたがっている事実を解き明かせ。笹丸が突きつけるのは、前世での思いで。若が大切にしていた旅行でみた美しき綺麗な風景。若がその鬼子の能力で芸術学園を創造したのは、自分でが描けないその思い出の執着を誰かに描いて欲しかったから。それを果たしたのが笹丸だった。救済は訪れた。しかしそれは、他力本願。自己救済しようとおもったのではなければダメなのだ。笹丸は若との想い出の風景画を燃やしてしまう。そして筆を渡し、自分で描けと消滅していく。それから幾許のときが流れたであろうか。絵が完成し、笹丸に見てもらい褒めてもらうことで、若の執着は絶たれた。少女は救われたのだ。だが、逆にその執着がなければ少女はただ漂うのみ。殺してくれとせがむ若に対し、殺してなんかやらないね。死ぬより生きろと呪詛返しに食われる若に手を伸ばす。その手は笹丸だけのものではない、笹丸をひよがアララギが春告が学園生全員が繋いでいるんだと、少女を引っ張りあげるのだ。否定していた絆の力は少女を呪いから引っ張りあげる!!