近代フランスの歴史をカトリックと共和派の文化的ヘゲモニーをめぐる観点から描き出す。
19世紀以降、カトリックと共和派の文化的ヘゲモニーをめぐる闘い
- 強行主義と反教皇主義の対立
- 「国家の世俗性」:ライシテをめぐる対立。
- 伝統的な日常生活のリズムを断ち切ろうとする前例のない試み
- フランス革命とは、心性史家の軽視する「表層」の政治的事件にとどまらず、人々の心性を規定してきた伝統的モラルを解体し、新しい生活スタイルを創出しようとする「習俗の革命」でもあった。
1892年9月の共和制移行前夜に施行された戸籍の世俗化と離婚に関する法令
- 社団国家の解体と社会システムの世俗化を告知する重大事件
- 結婚や家族の正当性を規定するものは、民事契約(世俗国家)だけとなる
- 離婚法の制定はカトリックで禁じられた離婚や再婚を可能にしただけでなく、聖職者の結婚さえ合法化した
- 教会法は完全に蹂躙された
「公民」の創出
- 国家が「新しい公民を創る」という文字通り、国家統制的徳育が必要とされる
- ミシェル・ルペルチエ「国民学寮」案(徹底した徳育中心主義、文化革命としての公民教育)
- ルペルチエは、これまでの公教育論議が知育偏重に陥ってることを批判し、子どもの生活習慣全体を陶冶することを目指す、全寮制の初等学校の創出を提起する
- 共和国の市民にふさわしい新しい身体的・道徳的習慣を形成するためには、子どもを古い習慣に染まっている親の影響力から隔離しなければならない。五歳から十二歳までのすべての子どもを国民学寮に収容し、「共和国の鋳型」に投げ込むことが必要。そこでは同一の衣服、同一の食事をあてがわれ、体育、徳育、労働実習を中心とした共和主義的国民共有が施される。
「習俗の革命」
- 革命期の十年(あるいは第一帝政期を加えた四半世紀)は人々の習俗、集合心性、社会的結合関係などに根本的な変化をもたらしたのか否かという、構造的変化にかかわる問題。
- 第一帝政と共和政は、エリート教育の核となる中央学校(あるいはリセ)と、グランド・ゼコール、それにユニヴェルシテ(帝国大学制)などの世俗系システムを生み出しはしたが、初等教育の世俗化は放棄した。
- このことは、今世紀まで続く反教権闘争に大きな火種を残す。
- 教育の世俗化をめぐる国家(共和派)と教会の熾烈なヘゲモニー争いは、19世紀フランス史に大きな影響
ナポレオンと教会
- 大衆:移ろいやすいファナティスムと抜きがたい保守性という矛盾する性格
- ナポレオンは大衆支配のために、教会組織のもつ根強い民衆統合能力を利用
- 国家のイニシアティブのもとでの教区秩序の回復
- 国家に忠実な聖職者を得れば、従順な国民を手に入れることができる。
- ⇒ナポレオンの教会政策は、世俗国家による教会の包摂を徹底的に追従する
- 世俗の規範に則った「新しい人間」を創るという課題を十分に果たせず
- 初等教育の確立の失敗⇒民衆を「カトリック的モラルの臣民」から「近代的世俗国家の共和主義的市民」にとって代える課題が残る
- 国家言語の普及という国民統合上の大前提が手付かずのまま放置
- アンシャン・レジーム下では、村の司祭らが地方言語で王令を伝えていたわけだが、民衆の政治参加はまったく視野になかったので、さして不都合は無かった。
- これに対しフランス革命は、中間的な社団組織を排除し「法の下での平等」を直接民衆(国民)に呼びかけて支持を求めるという性格をもっていたため、言語コミュニケーションの確保は死活問題だった。
- 絶対王政下の社団的社会編成原理:「王権(国家)―教会―家」という文化統合システム
- 「日常生活のなかに構造化されている文化統合」の問題
- モラル・ヘゲモニーをめぐる「村の司祭」と「田舎教師」との対立は、閉鎖的なはずの地方政治の枠を越えて全国ネットで結ばれ、「村の政治」を「国家の政治」に連動させる
- 言語ネットワークの分立状況にも関わらず、農村の政治的コミュニケーションは一定の均質性を獲得していた
建国神話の創生
- 1880年代(第三共和政の確立期)、「単一にして不可分なフランス」を最も意識的に目指すようになった
- 共和政を確固たるものにするためには、人々が意識的・無意識的に準拠する共通の文化規範と集合心性が創りだされねばならない
- 文化統合のためのシンボル操作となったのが、フランス革命期の集合的記憶
- 共和国の建国神話は、「科学的」歴史学によって聖別される
- 制度化された革命史学に象徴される新しい国民史は、ただちに歴史教育というメディアを媒介にして一般に普及
- ex.1884年にラヴィスによって編まれた初等学校向けのフランス史教科書『プチ・ラヴィス』
- 歴史の教科書などというものは、世界中いつでもどこでも時の政府に都合のいい宣伝文句に過ぎない
フェリー法の成立
- 初等教育に「無償・義務・世俗化」の三原則を導入した
- 教師はまず、全国津々浦々に国語(フランス語)を普及し「単一不可分な共和国」のための前提を形作ること。ついで、聖史に代わる国史(フランス史)や地理の授業を通じて祖国の観念を養い、共和主義的公民の教化をはかること。そして理科や数学の学習によって、「迷信」を払拭し、科学的世界観に導くことが求められた。
- 教科学習を通じてだけでなく、遠足や給食、学校貯蓄などの行事によって倹約・公衆衛生、集団的規律などの生活規範を体得させ、生徒たちを旧来の学校行事にしるしづけられた習俗から脱却させることが期待された。言い換えれば、「子ども=学校」による新しい知識と生活習慣をてこに「科学的・倹約・公衆衛生」といった近代市民社会の諸観念を家庭に浸透させ、根強く残る「教会=信仰」を軸とした伝統的規範を掘り崩してゆこうとする「近代化」の戦略
共和派によるいささか強引な教会世俗化政策
- 地方農村における師範系教師の意識と活動=「中央による地方文化の抑圧であり、都市文化による農村文化の破壊であり、はたまた国家社会主義にもとづく画一的文化の強制であり、国内植民地の征服を目論む文化帝国主義」
- ex.公立校での言語政策
- ブルトン語の使用を一切禁じる「ダイレクト・メソッド」の採用は、母語を話した生徒に罰札をかけさせるというような屈辱的方式となり、エリート文化の民衆への強制という性格を色濃くしていた。
- 教会への波状攻撃の総仕上げが、政教分離法(1905年12月)
- (1)国家・県・自治体は、いっさい宗教予算を支出せず、信仰を私的領域のものに限定する。(聖職者の政治活動は禁止され、宗教的祭儀の公的性格はいっさい剥奪される)
- (2)教会財産の管理や組織の運営は信徒会(アソシオン・キュルチュル)に委ねられる
- 19世紀の政教関係を規定してきたナポレオンのコンコルダート(1801)が破棄され、16世紀以来のガリカニスムが最終的に解体されることになった
ライシテの共和国
- フランスの集権的な国家理念である「単一にして不可分な共和国」がカトリックとの厳しい対峙から生まれたライシテ(世俗性)原理で貫かれていることは、また別の意味での国民統合上の課題を残す。
- ex.移民の統合問題
- フランスの国民概念は開放的で普遍主義的、フランス共和国の掲げる諸原理の遵守を市民(個人)が誓約する市民契約的なもの。
- 国籍取得条件:出生地主義、フランス共和国への傘下と契約を遵守するかぎり、人種とは無関係に個人としてフランス国民たりうる
- 徹底した個人主義は、特定の民族や文化をエスニック集団・エスニック文化として特別扱いすることを断固として拒否する
- イスラム=スカーフ事件
- 校則違反が国家原理の問題へ
- 公教育の場に宗教的表象を持ち込むことは、教育のライシテという国家の大原則に抵触する。
- EUにおけるイスラム系移民の統合
EUの政治的・文化的統合の将来
- EUの宗教政策および移民政策は各国の自主的判断にまかせる「多元主義」の立場
- フランス:ライシテを国是とする
- イギリス:国教会の長い歴史を持ちながら、実質的には社会の世俗化が進み、しかも移民のコミュニティ形成に寛容
- ヨーロッパの未来にとって何よりも必要なものは、民族と宗教の違いを越えた共通の政治的・文化的土俵
- 政教分離の原則が、一定の普遍性を持ち、ミニマム・コンセンサスを得る可能性がある。