雑録

小須田稔「群馬県下仁田におけるコンニャク栽培の立地変動」えりあぐんま 第7号 2000年 15-28頁

1 はじめに

  • コンニャク栽培の先行研究
    • 斉藤(1968):コンニャク栽培における自然条件や品種の地域差、栽培技術の向上
    • 高橋(1968):コンニャク栽培の収益性、労働生産性、栽培技術の向上、適応品種の普及
    • 山崎(1972):コンニャク産地の拡がりと技術革新を関係づけて、神流川河谷の産地の立地条件やその変遷の要因を分析
  • 本稿の目的と研究手段
    • かつて中核産地であった下仁田町を対象にして、コンニャク栽培の立地変動とそれにともなう農業経営の変化について考察する
    • 昭和40年代後半から原料である生芋の生産が減少に転じていき、現在の主産地が赤城山北西麓の子持村や昭和村へと移ったことに着目
    • 下仁田町の農業の主力であったコンニャク栽培は転換期を迎えたことを指摘
    • 全国や県全体のコンニャク産地の変動を検討し、さらに下仁田町を研究対象地域として、集落レベルでの分析を行う

2 コンニャク産地の変遷と現状

(1)日本におけるコンニャク栽培
  • コンニャク生産に関する統計は、明治38年(1906)の農林水産省統計に始まる
    • 明治38年(1906)当時:全国のコンニャク収穫量は、35535t。主産地は、茨城、福島、岡山、広島。群馬は全国10位。
  • 昭和期の特徴
    • 東日本で収穫量の増大が顕著、西日本の生産県は、全国上位5位以内にも入らなくなる。
      • 西日本は台風の通過地。当時は栽培技術が十分に発達していない(中島『近代こんにゃく史料』1973 216頁)
  • 群馬県とコンニャク生産
    • 昭和26年(1951)以降、コンニャク芋収穫量で首位
    • 平成10年度(1998)の全国における収穫量91800tのうち、群馬県は78300t、全体の約85%
(2)群馬県内におけるコンニャク栽培
  • 群馬県内の産地の変遷
    • 第1期:西毛山間地域
      • 群馬県でのコンニャク栽培は南牧村から始まる。昭和40年(1965)頃、下仁田町が県内一大産地の地位を築く
      • 下仁田町が芋栽培で栄えた要因:機械化(掘取機、動力噴霧機、防除用機械、施肥用機械など)
      • 機械化による衰退:機械化により広大な農地における効率の良い大量生産栽培が求められるようになり、山間地は衰退した。
    • 第2期:コンニャク産地が機械化によって山間地から平坦地に移り変わる
      • 昭和50年(1975)から昭和60(1985)にかけて各県内産地の収穫量が伸び始める
      • 下仁田町と隣接した富岡市、北毛の吾妻町赤城山麓の子持村、昭和村などが新産地と成長
      • 要因:生芋の品種改良。従来=排水の良い傾斜地で強光や強風を受けにくい場所で栽培⇒栽培上の制約が克服、平坦地での栽培が可能に
      • 減反政策による転換作物として水田にもコンニャクが栽培され、富岡市での栽培が伸びる
    • 第3期:北毛の吾妻町赤城山北西麓の子持村・昭和村がさらに発展
      • 昭和村:コンニャク栽培に適した火山麓の傾斜地と品種「あかぎおおだま」の導入で、県内一の産地
      • 富岡市での生産が落ち込み、松井田町安中市での生産が目立つようになる
      • 下仁田は県内有数といえるほどの生産量を上げていない
      • イメージとしては、下仁田町はコンニャク産地として知名度が高い

3 下仁田町におけるコンニャク栽培

  • 下仁田町の農業の中心:旧馬山村、旧小坂村、旧西牧村。盛んではない地域:旧下仁田町、旧青倉村。
  • 下仁田町全体における作物別収穫面積の割合
    • 昭和45(1970):稲やその裏作しての麦類が工芸作物(コンニャク)に次ぐ割合で栽培。養蚕や畜産、シイタケ栽培を行っていた農家もあり、収入源となる経営部門が存在。当時の工芸作物は稲作や麦類の収入の補完的な要素が強い。
    • 昭和50(1975):稲や麦類の割合が激減し、工芸作物が拡大(※要因:機械化、収益性、傾斜地に適する、養蚕の衰退)
    • 昭和60(1985):工芸作物への依存度が増大。品種改良:従来「支那種」⇒新種「あかぎおおだま」
  • 旧町村別の工芸作物の収穫面積
    • 昭和45(1970)から昭和50(1975)の収穫面積
      • 旧西牧村・旧小坂村:6500-7000a
      • 下仁田村・旧青倉村:2000a
    • 昭和55(1980)以降
      • 「あかぎおおだま」の導入⇒大規模な栽培
      • 山間地の旧西牧村や旧小坂村から平坦地の広がる旧馬山村へと、コンニャク産地が移行。現在では、旧馬山村の鎌田・蒔田・城西が中心
      • 群馬県のコンニャク栽培の立地変動と時期が一致:西毛では県内の主産地だった南牧村下仁田町で栽培面積が減少し、下仁田町と隣接する富岡市へと生産が移った。
      • 下仁田町内の産地が西部から東部へと移行したその延長に、富岡市へのコンニャク栽培の拡大があった

4 下仁田町馬山の事例集落におけるコンニャク栽培

  • 近年、収穫面積・生産量が著しく増加している旧馬山村のコンニャク栽培について分析
  • 事例集落から得たアンケート調査をもとに農業経営の変遷についてより詳細な考察
(1)事例集落の概要
  • 下仁田町馬山は、富岡市と接しており町内でも発展の著しい地域
    • 農業も下仁田町の中核、蒔田・鎌田・城西などでコンニャク、ネギ、野菜類が精力的に栽培
    • 蒔田・鎌田集落では平坦な農地が確保でき、栽培面積も大規模
      • 近年、鎌田集落付近では上信越自動車道が開通してインターチェンジが設置、国道245号線バイパス開通、土地景観が大きく変化
      • 人口増加、賃貸住宅の建設 ⇒ かつてはコンニャク農地:鎌田集落の作物別収穫面積の推移も平成2年(1990)から収穫面積が減少
(2)事例学習における土地利用
  • 鎌田集落を取り上げて、土地利用の変化や各農家の経営状況をふまえながら、今後のコンニャク栽培の展開についての分析
  • 平成11年(1999)9月下旬に行った現地調査をもとに、鎌田集落(南北に広がる)の土地理由を詳しく見る
    • 南部:山林が多く、農道が未舗装、農地に達するのも困難、不耕作地が点在
    • 北部:集落域で、家屋が密集。土地は開けており集落の南西部にある廣畑や権現平は北向の斜面で平坦地が広がる
    • 作物:ネギ、自給用のダイコン・ハクサイ、キウイ、シイタケ
    • コンニャク:廣畑や権現平で大規模に栽培されており、連作障害対策のネギと組み合わせて栽培
      • 農道整備、農機搬入、作業効率良⇒広範囲で栽培(※集落から離れているためイノシシなどの被害もあり)
(3)事例集落における農業経営の変遷
  • 鎌田集落の全戸を対象にしたアンケート調査の結果から、現在(1999)と10年前(1989)のコンニャク栽培を比較して、土地利用の変遷や各農家の農業経営の変遷などについて考察する
  • a.専業農家の事例
    • コンニャクを経営の基盤として、大規模に栽培していた農家が多数を占める
    • 専業農家のコンニャク栽培は、兼業農家の栽培品種とかなり異なる
      • 兼業:「支那種」、専業:「あかぎおおだま」(病虫害に強く大玉に育ち、大量に収穫)、「はるなくろ」
    • 生芋の取引状況は厳しく、コンニャク栽培主体の専業農家でも複合経営を指向
      • 兼業農家と同様に野菜類・イモ類などを取り入れ、伸び悩むコンニャクからの収入を補完する
      • ネギは販売用作物として重要な地位
    • 農地も集落内にとどまらず、出向作を行う
      • 主流種「あかぎおおだま」は狭小な土地での栽培に向かない⇒鎌田集落よりも広大な農地の中島集落や松井田町安中市といった町外に農地を持つ農家が増大
      • 出向作により機械化進む⇒農機の共有、リースなどで作業効率を高める
    • 今後の経営動向;経営継続に意欲
  • b.兼業農家の事例
    • 1989年時の作物別耕地面積:自給用=イモ類、野菜類。養蚕・シイタケ・キウイ
    • 1999年;コンニャク栽培を廃止⇒ネギ栽培を主体とした複合経営
      • 生芋の取引価格が近年は低迷、小規模兼業農家では収入になりにくい。
      • 後継者不足、高齢化
    • 今後の経営動向;コンニャク栽培は放棄、ネギ栽培に切り替えるがそれすらも縮小

おわりに

  • 農業の縮小化、コンニャク栽培の単一経営から複合経営への移行、規模拡大は見込めない ⇒ 転換期
    • 新種「みょうぎゆたか」の開発を試みる
    • 自宅で加工施設を整え、食品として販売
    • コンニャクから下仁田ブランドとして有名なネギへの転換
  • 出向作による大規模栽培が増加、周辺地域へ拡大していく
  • 専業農家では大規模なコンニャク栽培、兼業農家ではネギを主体とした経営の複合化