知識の体系化・知識の転移とメタ認知に基づく高校世界史における歴史的思考力の学習支援

暗記科目としての歴史

暗記科目とレッテルを貼られる歴史教育では、歴史学習は暗記科目ではないとよく反論する。しかしながら、教師が歴史学習は暗記科目でないことを理論的に説明していることは多くない。また、歴史学習を得意とする者は暗記科目ではない側面の特性を無意識に心得ているため、歴史を不得手とする者になかなか伝えることができない。よって、歴史学習が苦手な生徒は、歴史を暗記科目としてしか認識できず、それが故に馬鹿暗記に走り、歴史が嫌いになるという悪循環を繰り返すことになる。馬鹿暗記は往々にして、機械的な反復に陥ることが多い。確かに記憶として反復は重要だが、何も考えず機械的に反復しても効果は薄い。時間をかけた割には記憶には残らないし、覚えたことの適用範囲も狭い。このような状況に対し、記憶をするにも頭の使い方があるのだということが分かる。よって、ここでは効率的な記憶について述べていく。

知識の体系化

ウィリアム・ジェームズは、記憶について知識の体系化が重要であると述べる。保持しようとする事象について「多様かつ多数の結びつきを形成する」ことが良い記憶の秘訣であるとし、一つの事実に「多数の結びつきを形成する」とは「できるだけ多くその事実について考える」ことだと説く(『倫理学(下)』岩波文庫)。馬鹿暗記のように、試験のために数時間の間に学習された事柄は「心の中の他の多くの事柄と結びつくことができない」ので、急速に忘却を迎えることになる。その点において読書も同様である。読書は他人の思考を用いて物事を考えることなので、読んだら読みっぱなしでは、効果は上がらない。読んだことについて何を考えたか、自分の頭を通して考える事で初めて身に着く。ウィリアムは「同一の事柄でも、少しずつ日数をかけて何度も異なる文脈におき、種々な関係の中で考え、他の出来事と結びつけて繰り返し熟考されたときには、それらと多くの結びつきを形成し一つの体系となる」と述べ、忘却しにくくなることを指摘している。このように歴史が暗記科目だとしても、効果的な暗記のためには、「考えること」が要請されることになろう。

メタ認知

では、ただ単にある事象に関して繰り返し熟考していれば良いのであろうか。また、知識の体系化のための効果的な「考えること」とはどのようなものなのであろうか。歴史の学習方法には主に以下の4つのタイプがある。それは(1)歴史事象の内容を理解するミクロ理解(2)歴史の流れや時代構造、歴史的特質をつかむマクロ理解(3)教科書や参考書でどこが強調されているか注意する要点把握(4)人名や事件名の丸暗記 、の4つである。主にこの4つの学習方法を通して歴史について考えていく。この4つを有機的に組み合わせ、どの場面ではどの方法を取るか意識したり、自分が今その歴史上についてどのような考えをしているか認識したりすることが、知識の体系化のための効果的な「考えること」になる。つまり、歴史事象に対し自分の思考をメタ認知的に働かせることで、知識の体系化がなされていく。歴史をただの暗記科目としてとらえていては(4)の学習方法しか取ることができず知識の体系化がなされない。この4つの学習方法のなかでも効果的なのは(2)のマクロ理解であるとされる。歴史の流れや時代構造、歴史的特質を習得することは、その知識を他の歴史的事象についても活用できるため、「多数かつ多様の結びつきを形成する」ことができる。この知識の活用は知識の転移の一種であるとされる。以下では、知識の活用について認識するために、知識の転移について述べる。

知識の転移と抽象化アプローチ

歴史学習では、ある歴史事象で学んだことを他の歴史事象における因果・比較・普遍に活用することを知識の転移と捉えることができるだろう。そのためには、歴史事象に対する論理・理屈・教訓の抽出を意識することが重要視される。つまりは「丸暗記は覚えた範囲の知識にしか役に立ちませんが、論理や理屈を覚えると、その理屈が根底にあるものごとすべてに活用できます」(池谷祐二『脳の仕組みと科学的勉強法』ライオン社 62頁)という論理型の記憶である。歴史学習における例をあげるならば以下の通り。

論理型の記憶を身につけるためには、根底にある論理や理屈を抽出し普遍化することが必要である。このような思考操作をするためには、抽象化アプローチが有効である。抽象化アプローチは、歴史的事象の事実経過をただ追うのではない。その歴史的事象の中からルール、教訓、問題スキーマを抽出するのである。例として古代アテネの民主政をあげる。古代アテネは成人男性市民のみに参政権が認められていたという歴史的事実がある。この事実に抽象化アプローチを図ると、国防を担った重装歩兵である男性市民のみが参政権を持ったという特徴に気づく。つまりは「権利・義務関係による参政権の獲得」という教訓が導き出される。この教訓から近現代における男性普通選挙法、男女普通選挙法の成立を捉えると以下のようになる。近代国民国家で兵制を担った男性に参政権が拡大し、さらに世界大戦による総力戦は軍隊同士の戦いではなく戦争を支える銃後をも巻き込むようになったので男女普通選挙が確立したと。すなわち、戦争に貢献したという「権利・義務関係」を見出すことができる。このように、知識の転移をすることで既存の知識を活用できるのである。

思考力としての歴史

歴史は暗記科目だという言説があり、確かに歴史的事実を習得する学習である。しかしながら良い記憶には知識の体系化が必要であり、知識の体系化には思考が有用である。歴史の学習をどのようにするかという問題に対し、自分の理解度をモニタリングし、それに応じて認知活動をコントロールするメタ認知的な戦略により思考力が高まり知識が体系化されていく。メタ認知的に考えたとき、歴史学習ではマクロ的理解がよい。なぜなら、抽象度の高いマクロ的理解では「多数かつ多様な結びつきを形成」することがより深くできるからである。マクロ的理解は抽象的な知識の活用を要請されるが、そのためには知識の転移がなされねばならない。転移を起こす際には抽象化アプローチが成される。これは個別具体的な知識の中から、論理・理屈・教訓を抽出し、普遍・一般的に帰納するものである。この帰納した法則を演繹することが、知識の活用ということができ、つまりは知識の転移である。習得した知識を様々な文脈の中で抽象と具体をいったりきたりさせる思考、歴史学習でいえば因果関係・相互比較・特殊普遍といった思考の中で体系化がなされる。

加藤陽子は以下のように述べている。「私たちは日々の時間を生きながら、自分の身のまわりで起きていることについて、その時々の評価や判断を無意識ながら下して」おり、「現在の社会状況に対する評価や判断を下す際、これまた無意識に過去の事例からの類推を行ない、さらに未来を予測するにあたっては、これまた無意識に過去と現在の事例との対比を行なって」いると。さらに「そのようなときに、類推され想起され対比される歴史的な事例が、若い人々の頭や心にどれだけ豊かに蓄積されファイリングされているかどうかが決定的に大事」であると述べ、「多くの事例を想起しながら、過去・現在・未来を縦横無尽に対比し類推」することの必要性を説いている(『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』朝日出版 2009年 408頁)。まさにこの文言は、歴史的思考力と知識の体系化ということに資することがあるといえよう。歴史的事例を類推・想起・対比して知識を活用することが歴史的思考力であり、体系化された知識が求められる中で、知識が定着していくのである。

参考文献

  • 北尾倫彦『学習指導の心理学』有斐閣 1991
  • 多鹿秀継『教育心理学―生きる力を身につけるために』サイエンス社 2001年
  • 麻柄啓一・進藤聡彦『社会科領域における学習者の不十分な認識とその修正』 東北大学出版会 2008年
  • 渡辺健介『世界一やさしい問題解決の授業』ダイアモンド社 2007