加藤陽子『それでも日本人は「戦争」を選んだ』朝日出版社 2009年 3-186頁(はじめに/序章/1章/2章)

はじめに

  • 著者の専門;1929年の大恐慌、そこから始まった世界的な経済危機と戦争の時代、なかでも1930年代の外交と軍事。
  • 30年代の教訓は2つある。
    • ひとつは、1937年の日中戦争の頃まで、当時の国民は、あくまで政党政治を通じた国内の社会民主主義的な改革を求めていたこと。
    • ふたつは、民意が正当に反映されることによって政権交代が可能となるような新しい政治システムの創出を当時の国民が強く待望していたということ。
      • 戦前の政治システムの下で、国民の生活を豊かにするはずの社会民主主義的な改革への要求が、既成政党、貴族院、枢密院など多くの壁に阻まれて実現できなかった。社会民主主義的な改革は既存の政治システムの下では無理、擬似的な改革推進者としての軍部への人気が高まる。陸軍の改革案には、自作農創設、工場法制定、農村金融機関の改善など社会民主主義的な改革項目が盛られる。だが、戦争が必要となれば、国民生活の安定のための改革要求などは最初に放棄される運命。国民の正当な要求を実現しうるシステムが機能不全に陥ると、国民に、本来見てはならない夢を擬似的に見せることで国民の支持を獲得しようとする政治勢力が現れないとも限らないとの危惧であり教訓がある。
  • 現代における政治システムの機能不全とはいかなる事態か。
    • 一つは現在の選挙制度からくる桎梏。議席の6割以上は小選挙区制。
      • 一選挙区に一人の当選者を選ぶので、与党は国民に人気の無い時は解散総選挙を行なわない。本来ならば国民の支持を失ったときに選挙がなされねばならない。
    • 政治システムの機能不全の二つ目が、小選挙区下においては投票に熱意を持ち、かつ人口的な集団として多数を占める世代の意見が突出して尊重される点。
      • 05年の選挙では60歳以上の投票率は8割を超え、20台の投票率は4割。小選挙区下では、確実な票をはじきだしてくれる高齢者世代の世論や意見を為政者は絶対に無視できない構造が出来上がる。地主の支配層が多かった戦前の政友会などが、自作農創設や小作法の制定などを実現できなかった構造と似ている。
  • 本書のテーマは、時々の戦争は、国際関係、地域秩序、当該国家や社会に対していかなる影響を及ぼしたのか、また時々の戦争の前と後でいかなる変化が起きたのか。

序章 日本近代史を考える

戦争から見る近代、その面白さ
  • 9.11の歴史的特質
    • 著者の専門は1930年代の軍事と外交。この時代をやって何が面白いのか。9.11テロを例に説明。テロを「かつてなかった戦争 war like no other」と呼び、新しい戦争の形態上の特質つまり「かたち」に注目。敵とするアメリカの内部に入り込み、普通の市民が毎日でも利用する飛行機を使いながら、生活や勤労の場を奇襲するというやり方。以下の意味で重要。内部から日常生活密着の場で攻撃を受けたアメリカ、相手国が戦争を仕掛けたというよりは国内にいる無法者が善意の市民のを皆殺しにした事件、国家権力によって鎮圧されてよい。
  • 歴史の比較・相対化
    • 戦争の場合は正当性を言い張るが、9.11は戦争というよりは国内社会の法を犯した邪悪な犯罪者を取り締まるというスタンス。戦いの相手を、戦争の相手、当事者として認めないような感覚。このアメリカのようなことが日本でもあった。1930年代後半、「国民政府を対手とせず」。「報償」と「討匪戦」という考え方。「報償」は「相手国が条約に違反したなど、悪いことをした場合、その不法行為をやめさせるため、今度は自らの側が実力行使をしていいですよ」という考え。「討匪戦」は国内で不法好意を働く悪い人々、ギャングの一団のようなグループを討つという意。日中戦争期の日本が、これは戦争ではないとして、戦いの相手を認めない感覚を持っていた。2001年時点のアメリカと1937年時点の日本とが、同じ感覚で目の前の戦争を見ている。相手が悪いことをしたのだから武力行使をするのは当然で、しかもその武力行使を、あたかも警察が悪い人を取り締まるかのような感覚でとらえていた。30年代の日本、現代のアメリカという異なる国家に共通する底の部分。歴史の面白さの真髄は比較と相対化にある。
  • 歴史的思考力の獲得は如何にして確認できるか
    • 歴史好きは馬鹿にされる。「歴史は暗記ものだから、覚えてしまえば、なにも考えてなくても点数がくる科目だから」。学科目としての歴史は、かわいそう。高等学校までの歴史が「暗記もの」のように思われてしまう理由は試験の形態がそうさせる。数学や物理の場合、解答部分だけを確認すれば、その結論が導かれるまでの、考察の正しさをも証明してくれるという学科的な特性。数学や物理においては、定理についてのうまい説明と例題・試験による確認の積み重ねで、その教科において習得すべき獲得目標の達成が可能。例題・試験の形式いかんにかかわらず、目標がどれだけ達成されたかが誰にでも目に見えるかたちで確認可能。歴史の場合はそうはいかない。高校日本史Bの目標→「我が国の歴史の展開を諸資料に基づき地理的条件や世界の歴史と関連付けて総合的に考察させ、我が国の伝統と文化の特色についての認識を深めさせることによって、歴史的思考力を培い、国際社会に主体的に生きる日本国民としての自覚と資質を養う」。日本と世界の関係を考察して、伝統と文化への認識を深めた結果、国際社会で生き抜くための資質としての歴史的思考力が獲得できたかどうか、どうしたら確認できるのか。事象と事象の因果関係を結びつける際の解釈の妥当性を確認する。確認するには、論述させて、頭のなかの考察の過程の巧みさ、正しさ、妥当性をみる必要。
人民の、人民による、人民のための
  • 歴史的思考
    • 歴史を考えるとは具体的にどのような頭の働き方をいうのか、歴史的なものの見方というのはどうしたらできるのか、暗記ものではない歴史がどれだけ面白いのか。例)なぜリンカーンは「人民の、人民による、人民のための」と演説しなければならなかったのか。―戦意高揚;戦場に倒れた兵士に対して哀悼の意を表するとともに、戦争はもう嫌だという厭戦感を払いのける。―連邦政府の正当性;最終的にはアメリカを再統合するものでなければならないとの理念、つまり最も大切な目標に向かって国をまとめるのだとの意思が必要。まとめると、戦争による犠牲者のための追悼であるとともに、国を再統合し、国家目標を新たに掲げる →答え)「戦没者を追悼し、新たな国家目標を設定するため」。再生すべき国家の目標、国家の正当性。リンカーンの演説には、国家を二分した内戦で受けた社会の深い亀裂を再統合する役割が課せられていた。
  • リンカーン演説と日本国憲法
    • "of the people,by the people,for the people"は、実は日本の現行憲法のなかにも見いだされる表現。「そもそも国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し」までが"of the people"。「その権力は国民の代表者がこれを行使し」という部分が"by the people"。「その福利は国民がこれを享受する」、つまり国民のためが"for the people"。日本国憲法の構造はリンカーンのゲディスバーグでの演説と同じ。巨大な数の人が死んだ後には、国家には新たな社会契約新たな社会契約、すなわち広い意味での憲法が必要となるという真理。ゲディスバーグの演説も大きくいえば、新しい社会契約、つまり国家を成り立たせる基本的な秩序や考え方を明らかにした。この国家を成り立たせる基本的な秩序や考え方という部分を広い意味で憲法という。
戦争と社会契約
  • 総力戦
    • 新しい憲法、社会契約が必要とされる歴史の条件の一つは「総力戦」という大変なものを戦うために国家目標を掲げねばならぬこと。総力戦の一番単純な定義;前線と銃後の区別がなくなること。労苦をしのぶ国民に対して国家目標が必要になる。国家は、将来に対する希望や補償を国民にアピールしないことには、国民を動員し続けられなくなる。戦争の犠牲の多さや総力戦という戦争の仕方それ自体が、戦争を遂行している国の社会を、内側から変容させざるをえないという側面。
  • 戦争とは何か
    • 戦争は敵対する相手国に対して、どういった作用をもたらすと思われるか。そもそも戦争に訴えるのは、相手国をどうしたいからか。 →戦争は国家と国家の関係において、主権や社会契約に対する攻撃、つまり、敵対する国家の憲法に対する攻撃というかたちをとる。相手国が最も大切だと思っている社会の基本秩序、これに変容を迫るものこそが戦争。第二次世界大戦後の終結は、敗北したドイツや日本などの「憲法」=一番大切にしてきた基本的な社会秩序が、英米流の議会制民主主義の方向に書きかえられる。戦争の目的から考えると、日本国憲法というものは、アメリカが理想主義に燃えていたからつくってしまったというレベルのものではない。結局、どの国が勝利者としてやってきても、第二次世界大戦の後には、勝利した国が敗れた国の憲法を書き