まえがき
- 本書の目的
- われわれ日本国民が明日への生活をどう生きるかという問題に面して、日々の行動を支える生活意識を確立したいという願いにもとづいて、世界史像の形成を試みた
- 国民の課題として生活意識・歴史意識の確立と深化がある
- 学校教科書として出版されていたが、教科書検定制度の弊害により不合格 →国民全般に共通する課題(生活意識・歴史意識の確立と深化)のために単行書の形で公刊
- 内容構成
- 日本国民の当面する危機の分析→世界史の塑像が形成。
- 内容構成
- 東アジア文明の歴史から叙述がはじまり、ついでインド文明・西アジア文明の歴史が、さらにヨーロッパ文明の歴史が叙述される。そしてこれらの諸文明が一つの舞台に登場する―すなわち世界史の一体化がはじまる―「近代」以降の歴史が叙述の後半を占める
- 内容構成の意図「われわれが主として意図したものは、われわれ日本国民自身の生活意識・歴史意識の形象化であり、世界の諸文明がいかにして日本文明の成長に寄与したか、また現在の日本の直面している歴史的な諸問題が、それら諸文明の動きによってう規定されているか、それらの点を特殊具体的なものとして主体的に追求すること」
- 東アジアの文明からまず叙述がはじまるこの書物の構成は、このような意図を具体化した試み
- 教科書検定不合格
- 不合格とされた現代認識に対する説明
- 「国際連盟」「ウィルソンの十四ヵ条」「ロカルノ体制」についての記述は、いずれも第一次世界大戦後の「平和」の体制について、普通説かれているところとは異なった側面―反社会主義的、植民地主義的側面―を指摘している →「世界史」の常識にはなっていないが、現在日本人として「国連支持」「A・A諸国との提携」などという場合にはこの点を鋭く認識することが決定的に重要 →「国際連合」を歴史的にいかなる意味をもつものとして支持しようとするのかを考える場合には、「国際連盟」の狭さや限界についての反省を欠くことはできないし、アジア・アフリカとはどのような意味において協力するのかという点を厳しく認識することも必要 →現在の日本は、この点をどう認識するのかということを、全世界から問われているのであり、その点を不明確にして「国連支持」とか「A・A諸国との提携」などということは、実際にはなにごとも言わないのと同様で、他を迷わしめるのみ
- 不合格の要因となった不正確とされる記述に対しての反駁
- 315頁:「国際連盟も、諸民族の利益やソヴェト=ロシアの主張を無視し…」
- 330頁:「このような西ヨーロッパ諸国の安定はソヴェトには孤立化の不安を与え、またこのころ植民地諸民族への圧力を強化することとなった。」
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- 319頁:「ウィルソンの十四ヵ条」
- 1918年1月の客観的な情勢としては、ロシア革命のもたらした事情が最も直接の契機をなしている
- 319頁:「ウィルソンの十四ヵ条」
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- 352-353頁:「西欧連合」の成立における、一方の西ヨーロッパと他方の東ヨーロッパとを対比して列挙しただけであったが、「時間的順序に従って、チェコスロヴァキアの政変の方を西ヨーロッパ軍事同盟よりも先に叙述すべきである」というような指摘を受けたことに関して
- この場合は、東西の対立の諸状況を、総括的に述べたものであり、個々の事件は当然時間的に前後しているのであるが、数多くの事実の中でこの軍事体制の成立を特に正当づけるおそれのある記述の仕方は避けるべき。
- 352-353頁:「西欧連合」の成立における、一方の西ヨーロッパと他方の東ヨーロッパとを対比して列挙しただけであったが、「時間的順序に従って、チェコスロヴァキアの政変の方を西ヨーロッパ軍事同盟よりも先に叙述すべきである」というような指摘を受けたことに関して
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- 322頁:東ヨーロッパ新興国の従属的側面において「独立」の意義を重視すべきであるとの指摘を受けたことに関して
- 新国家の独立の意義は十分認めているが、現在の民族の独立の問題は「何が真の独立であるか」ということをいっそう厳密に考えさせていることに改めて注意を払わざるをえない
- 322頁:東ヨーロッパ新興国の従属的側面において「独立」の意義を重視すべきであるとの指摘を受けたことに関して
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- 350頁の「バルト三国・・・フィンランドの一部・・・モルダヴィアなどがソ連に加えられた」等の表現について、ヒトラーのチェコスロヴァキア占領が併合ならば、これも「併合」ではないかとの注意。
- ソ連の政策のなかに一定のパワーポリティクスが働いていることを認めるものである(344頁)が、ヒトラーの侵略と同じ意味のものとして表現することはできない。それは第二次世界大戦の反ファシズム的意義についての歴史的認識に関係するから。
- ヒトラーの占領とソ連の進出を同質のものとする考え方を前提としては、第二次世界大戦における連合軍形成はありえなかった。またカイロ・テヘラン・ヤルタからポツダムに至る諸会談の意味も異なった説明を必要とすることとなり、ひいては国際連合の意義の評価にも関係してくる。そして、日本の憲法の成立の意義の理解にも響いてくる。
- むしろ終戦直後の数年間ならば恐らく自明と認められた、第二次世界大戦の意義が、このように異なって理解されはじめていること自体に注目せざるを得ない。
- 350頁の「バルト三国・・・フィンランドの一部・・・モルダヴィアなどがソ連に加えられた」等の表現について、ヒトラーのチェコスロヴァキア占領が併合ならば、これも「併合」ではないかとの注意。
- 教科書検定を諦めた理由
- 「世界史」に対する主体性
- 現在の日本人としての切実な生活意識の上に立って、叙述を試み、その叙述を通じて、日本人にとって「世界史の学習」がいかに重要な意義を持つものであるかを明らかにしようとした
- 世界の全ての民族は、新しい条件に対決しながら自己の生きる道を求めようとしており、それぞれの民族は「世界史」的認識に立ち「世界史」において主体的に生きようとしている
- 特に日本の場合、日米安保条約への反対、アジア諸国との提携、なかんずく、日中関係打開の問題は、以上述べた世界史的認識に立ってこそはじめて十分な理解がえられる。
- いずれにしても、われわれ日本国民は、世界史の動きをただ客観的に認識するだけでなく、それに積極的に対処する主体性を持つ必要がある
世界史をまなぶために
一 「世界史を学ぶ」とはどういうことか
- 世界史ということばの意味
- 世界史には二つの意味がある。一つは「あった世界史」で、もう一つは「考えられた世界史」である。
- 「あった世界史」:人類のはじまりから今日に至る、政治・経済・社会・文化の諸面にわたる多彩な変化をその中に含んでいるところの、人類生活の長い歩みそのもの、その全体か、または一部分を意味する場合。
- 「考えられた世界史」:ヘロドトスやランケのように、歴史事象の考察やその記述を意味する場合。
- 世界史には二つの意味がある。一つは「あった世界史」で、もう一つは「考えられた世界史」である。
- 「世界史を学ぶ」ということの意味
- 「世界史を学ぶ」ということの本来の意味
- 「あった世界史」を学ぶ=自らの努力により人類生活の歩み、人類生活のあり方そのものを探り求めること
- 学者や歴史家が人類生活の歩みやあり方がこうであると説いていることを、そのままうのみにしようとするのではなくて、それらをわれわれ自身の眼で見きわめようとしている=「世界史を学ぶ」ということの本来の意味
- 「あった世界史」を主体的に構成すること
- 人類の発生から今日に至るまでを細大漏らさず機械的に写し出すのではない。
- 現代の日本国民として、われわれ自身の生活意識にがっしりと立脚し、過去の人類生活の歩みやあり方の中から、われわれの生活意識にとって意味があると考えられ、判断されただけの事件や状態を選び取り、意味があると考えられたその内容と関連に従って、一幅の歴史像へとそれらを創造的に組み上げていく
- 「世界史を学ぶ」ということの本来の意味
- 世界史認識への要求
- 世界史認識の主体性と客観性
- 記述された世界史像
- 古今すべての世界史記述は、生活意識に立脚して、一幅の歴史像を主体的に構成していく →生活意識の構造や内容が違えば、記述された世界史にも違いが起きるのではないかという疑問がわく →まさにそのとおり。
- 科学的観察に基づく歴史像の創造的構成
- 記述された世界史には違いが起きるが、空想により勝手気ままな世界史物語を作るのではない。一つ一つの事件や状態の認定、それらのもの相互の間の関連についての認定は、すべて確実な証拠による科学的観察に基づいて行なわれなければならない。科学的観察を欠いて構成された歴史像は、学問的成果ではない。
- 歴史像を描きあげるということは、同時に、確実な証拠による科学的観察に基づいて、客観的に世界史像をつくりあげるということであり、それがまた、「世界史を学ぶ」ということの意味でもある。
- 記述された世界史像
- 「世界史を学ぶ」ことの効用
- 新しい知識やはっきりした認識 →われわれ自身の問題意識や生活意識に、構造と内容の上で変化が生じる →人類の歩みやあり方に対する省察と吟味は、われわれの問題意識を掘り下げ、それを鋭くするし、生活意識の構成を堅固なものとし、その内容を豊かにする=「世界史を学ぶ」ことから生じる最大の効用。
二 この「世界史」はどう書かれているか
- この「世界史」の出発点と問題点
- 現代の日本国民たるわれわれ自身の現実の問題意識と生活意識に基づいて、世界史像を実際に書き上げる努力の必要性 →初めて世界史を学ぼうとする者は、本書の構成を一つの見本として、自分自身の世界史像を描きあげるように努力すべき
- この「世界史」は何をどう明らかにしようと意図しているか
- この「世界史」は、現代日本の政治・経済・社会・文化の諸面にわたる生活現実、それをつくりあげている諸問題、それらの発生経過と歴史的意味をとらえるのに必要であると判断されるだけの、時間的・空間的広がりにおける、東洋および西洋諸民族の歩みとあり方を明らかにする。
- このような探究により獲得された世界史の知識は、実際問題の解決に欠くことのできない前提であるだけでなく、問題意識を鋭くし、生活意識を深めることにより、問題処理のための主体的条件を整えさせる。
- この「世界史」はどの時点から書き始められているか
- 東洋諸民族と西洋諸民族が発生し、その各々がそれぞれ独自の社会と文化とをつくり出したことを、いくらかでも明らかにしうる、その時点から書き始められている。
- この「世界史」はどの文明圏から書き始められ、どう書き続けられてきたか
- 第一部と第二部
- この「世界史」は、最初に東洋文明件の歴史と西洋文明圏の歴史をそれぞれ独立させて平行的に書きあらわす。第一部が「東洋文明の形成とその発展」であり、第二部が「西洋文明の形成とその発展」。
- 東洋文明圏は単一の世界ではないので、第一部を三編に分ける。第一編「中国文明の形成とそれを中心とする東アジア史の展開」、第二編「インド文明の形成とその展開」、第三編「西アジア文明の形成とその発展」。
- 東洋文明圏の歴史から書き始め西洋文明圏の歴史へと書き続け、東洋文明圏の中では中国文明を最初に書き記したのは、世界史を学ぼうとし、世界史を書こうとしているわれわれ日本人の歴史というものが、ほかならぬ東洋文明圏における歴史であったから。
- 数世紀前までは東洋文明圏の歴史と西洋文明圏の歴史とが、独立した形で平行して展開していた。東洋の歴史と西洋のそれとの間には、昔から接触もあり、交渉もあったが、両者は密接不可分にからみあっていたとはいいがたい。
- 第一部と第二部
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- 第三部「西洋の近代化と世界」
- 世界史上の「新事態」:20〜30世紀以前から、独立に、そして平行して展開してきた東西の歴史が交わるようになったこと。その交わりの高まりのうちに、ヨーロッパ諸民族を中心とした一つの全地球的世界秩序が形成されたこと。この「新事態」の部分的現象として、日本の歴史も明治維新のような大変革を経験せざるを得なくなる。これが第三部。
- 日本の生活現実や実際問題の発生条件や歴史的特性の多くのものも、第三部の「新事態」のもとでの探究を通じて解明される。
- 第三部「西洋の近代化と世界」
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- 第四部「現代の世界」
- 世界史を学ぼうとするわれわれ自身の生きた生活意識に直接ふれ、またそれらの形成に直接あずかっている、世界の歴史的現実が書き記される。
- 第四部「現代の世界」
- 時代観念と時代区分
- 「時代」とは、他の文明と区分される一つの文明が支配的に存在する、時間的なまとまり
- 「時代区分」とは、普通、文明の連続的発展をもっている文明圏や民族の歴史を、文明の特徴的相違に着目して諸時代に分ける操作
- 時代という観念や時代区分への要請が、同じ強さや同じ意味で存在するというものではない。歴史の歩みと、その歩みの中で作り出される文明とを、どの点でどう重視するかの違いに応じて、時代区分の様々な仕方が生じてくる。
- 代表的な時代区分
- この「世界史」の時代区分
- この「世界史」では、現代日本の生活現実とそれを構成している実際問題―なかんずく社会の民主化の問題とともに、第二次世界大戦後特に重要になってきた、世界の平和とアジア・アフリカの独立という問題―を、その発生経過と歴史的意味との両面において明らかにしようとしている。
- われわれ日本国民の問題意識に立って世界史を書く場合には、以下の動きに基づいて、世界史を大きく時代区分することが何より適当
- この「世界史」を手がかりとして世界史を学ぼうとする者は、この「世界史」の時代区分を模範としてではなく、一つの見本として、各自の研究と思索によって、いっそう適切な時代区分を企てる必要があり、それが「世界史を学ぶ」最も正しい態度。