1. はじめに
2. 「世界史未履修問題」が提起しているものとは何か?
受験に必要な科目以外、生徒は学びたくないという風潮をどう考えるか
- この問題の核心は、大学受験の手段としてしか地理歴史教育の意味を見出せなくなっている高校生や教員が多くなっている現状をどう変えていくのか、にある。
- 生徒たちのなかで、地理歴史科の諸科目を、大学受験を超えて学ぶ意味のあるものととらえる者の数は、着実に減少している。
- 地理歴史科は受験に必要だから学ぶし、必要な限り学ぶという傾向、裏を返せば、それ以上に魅力を持つ科目とはいえないものになってきている。
- 教員も魅力を生徒に語れない、または具体的に提示できない
- 地理歴史科の科目を大学受験に使う生徒はごく一部
- 大学受験で地理歴史科をいずれか一つ使う生徒は全高校生の26%、しかもそのうち地歴科は世界史・日本史・地理に分かれる。
- 08年3月高校卒業者:108.8万人、大学など進学者は57.5万人
- 08年1月センター受験者は50.4万人、うち約35.7万人が地歴科の何らかを受験。現役は79%なので現役地歴科受験者は28.2万人。
- 大学受験で地理歴史科をいずれか一つ使う生徒は全高校生の26%、しかもそのうち地歴科は世界史・日本史・地理に分かれる。
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- 現在の履修要件と大学受験
- 現在の履修要件:世界史必修、日本史・地理いずれか選択必修
- 地理歴史科2科目を受験に必要とするのは、受験者数で文系の東大(4353名)京大(2429名)計6783名 →全高校三年生の1%以下(しかも既卒者も受験者数に含まれる)
- 現在の履修要件と大学受験
- 地理歴史教育の崩壊
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- 教科書をそのまま教えようとすると示す無関心・拒否反応
- 生徒は「国際社会に生きている」→少し工夫すれば、地理歴史教育の様々な内容が生徒の現在と繋がっているが…
- 時間・空間的に異質なことを学ぶことが、高校生らの人生にどのような意味を持つのか、教員はよく考えねばならない
- 教科書をそのまま教えようとすると示す無関心・拒否反応
知識主義的な世界史教育
- 生徒の実態
- 「覚えれば点数がとれるから、地理や歴史は好きだ」
- 「暗記が多いから地理や歴史はイヤ」
- 生徒の中には「なぜ地理や歴史を学ぶ必要があるのか」という疑問を持つものも多いので暗記も無意味な苦行
現状の教員採用・教員養成システムでは現状の根本的な解決が出来ない
- 教員資格付与
- 知識主義的な教育を、受験を乗り越えてきた者のみが、大学を経て、教員になれる
- 教員志望者の多くが、受験対応知識主義的暗記教育の担い手となる →「歴史嫌い」の生徒を忘却、地理歴史嫌いを再生産
- 受験対応知識主義的暗記教育の教師にありがちな言い訳
- 「基礎知識があってこそ思考力が身につく」
- 今の教育で思考力を身に付ける時間はない
- 教員が教えなければ生徒が知識を獲得できないという生徒観
- 教員が教えれば生徒は必ず知識を身に付けるという傲慢さ
- 「基礎知識があってこそ思考力が身につく」
3. 問題解決に向けて
- 海外との比較
- 日本では基礎知識の身に付け方からして問題がある。
- 日本の地理歴史の教科書はゴシックが氾濫しており問いかけがほとんどない
- 「××とはどういう時間であったか」を生徒が定義づけする能力は滅多に要求されない
- 日本のような一問一答は少なく、定義を説明する文章を書くことと口頭で説明することに力点が置かれる
- 様々な種類の問いが歴史や地理の教科書に載っている
- 解決にむけての提言
- 歴史的思考、地理的思考を身に付ける科目の設置
- 情報選別能力を培う科目
- 能力別学習 →日本の地理歴史教育はあまりに画一的
雑感・コメント
- 高校生が勉強する動機
- 高校生は将来の進路や大学での学問、及び教科そのものの面白さについて深く考えることもなく、ただ受験のために勉強する、せざるをえない。動機付けのため、少しは考えるかもしれないが、最終的に勉強する動機は受験(もしくは就職)に帰結される。その上、受験に関係する科目も5教科7-8科目と盛りだくさんである。しかも受験に関係する科目においてすら好き嫌いがあるし、志望先の学部の出題傾向、得点の傾斜、センターと二次試験・私大との関係から、勉強する時間配分や内容の濃密の優先順は変わってくる。故に、唯々諾々と学校のカリキュラムに従っているだけでは到底志望する大学になど受かりっこない。自分に合わせて学校のカリキュラムにおいて優先順を設け、集中して聞く授業や手を抜く授業など、あれかこれかを選択していく。受験対策は個人でするものである。
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- そのため、いくら教師が将来役に立つとか、すべての知識は繋がっているので受験のどこかで役に立つとかを説いても無駄である。時間は有限で、受験はやってくる。上記のことを考慮に入れると、勉強する動機が受験に役に立つからでは、授業は成立しない。では、授業の意味はないのか?授業のメリットは個人では限界のあるところを補填できるところにある。教師のパフォーマンスにせよ、授業の内容にせよ、面白ければ授業に参加する。受験に関係なくとも「生き抜き」として参加する。受験を餌にして勉強させるのではなく、「現在の高校生」が学ぶ意欲を起きるようにせねばならない。
- 学習指導要領と世界史未履修
- 2006年に世界史未履修が起こったのは1999年版学習指導要領である。その理由のひとつとして、高校生に世界史を学ぶ意欲が無いことがあげられる。しかし、この1999年版「世界史B」では、生徒の歴史に対する関心や世界史学習への意欲を育てることがとても重視されている。具体的には、昭和35年版以来行なわれてきた世界史教育の学習方法である主題学習の学力観を転換し、興味関心の喚起と現代世界の諸問題に対する課題追究にしたことである。内容(1)に「世界史への扉」が設置され、「自ら学び自ら考える生きる力の育成を重視」することを目的に、人々の時間意識や空間意識の変遷について考える項目、日常生活の身近なものから世界史を考える項目、日本の歴史と世界の歴史とのつながりを考える項目が設定されている。
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- では、何故、歴史に対する関心と世界史学習への意欲を高めているのに、実際には学ぶ意欲が無いのか。要因として考えられることの一つ目が、学校現場では実際に(1)「世界史への扉」が行なわれていないのではないか、ということであり、もう一つが、現在の高校生の生活意識とのズレ、つまりは設定された項目で本当に高校生の興味関心意欲が培われるのかということである。高校生は世界情勢になど全く関心が無く、彼らは自分に関係のあることにしか興味を示さない。高校にとって時間や空間意識などに関心があるとは思えないし、世界史と日本史の関係などどうでもいいと思っている。
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- 最後の頼みが日常生活の身近なものだが、学習指導要領が挙げているのは衣食住、家族、余暇、スポーツである。だが高校生の生活意識にとっては、身近な日常生活のものと世界史的な問題が結びつかないのである。つまり、まず世界史の内容がどうこういうより、高校生の生活意識を世界史へと繋がるようにすることが必要なのだろう。