深谷克己「公儀と身分制」 原秀三郎他編著『体系・日本国家史3 近世』東京大学出版会 1975年 147-185頁

はじめに

  • 本稿の目的
    • 封建制のアジア的一類型とされる幕藩制の封建王権である公儀と、この公儀の政治的主導によって創出され存続せしめられた幕藩制国家の社会編成の一環としての固有の身分制秩序についての考察
      • 固有の身分制秩序とは?:土地所有を究極の基礎として、階級・分業関係が政治的位階・社会的尊卑関係、あるいは尊卑関係をともなう政治的社会特権の排他的序列として固定化されたもの。
  • 幕藩制における公儀と身分制
    • 公儀:幕藩制における幕府の側。徳川氏世襲将軍を人格的象徴として中枢に定置した幕閣のかたちで構成。諸藩権力と特定の歴史的な関係をつくりあげる。
    • 公儀と身分制の対応:幕藩制における身分秩序は、幕藩制の国家公権というべき統一権力である公儀により国家の秩序として強力に整除・持続させられる。

一 公儀の形成過程

  • 公儀の形成過程
    • 日本における領主制支配の進展によって造出されてきた公権的権力が、封建国家の国家公権として個別領主権力に対して圧倒的な優位性を獲得するに至る過程
    • 中世社会が生みだす新たな階級関係形成の動向を基礎
    • はじめには公儀という名称は権力の中枢という意味をもたなかったが、16世紀中葉以降、領主階級の階級的結集の過程から生まれてきた公権的な実体を意味するようになる
  • 地方的小公儀の特質
    • 16世紀中葉以降、いくつかの戦国大名権力は、幕府式目支配の体系から離脱しつつ、独自の国中法度を形成しはじめた
    • これらの地方的小「公儀」は、家臣団との緊張関係のなかにあって、それゆえに、家臣に対する統制的規定を増大させると同時に、そのような権力編成の次元、すなわち主従関係の規定のみでなく、百姓支配にかんする諸規定を普遍的原理の提起をともないながら、直接的具体的につくりはじめた点に公権的権力形成の前史が認められる
    • これらの「公儀」は足利権力にとって代わろうとするものではなく、足利氏権力の「天下一同御下知」機能喪失のなかで、在地支配力を保持しつづける一揆的家臣団との矛盾を止揚するとき、不可避的にみちびきだされる打開の方向であった。
  • 天下と公儀
    • 足利氏権力の「天下一同御下知」機能喪失 →「公儀御為」と「天下御為」が区別されはじめる →公儀はあくまでも国家権力に関する観念であって、天下は社会的な諸関係と諸価値をつつみこむもっとも普遍的な範疇
    • 天下は被支配人民をふくむ「道理」の支配する社会であり、公儀は、天下の内に存在して、支配の権力基盤を天下のなかに見いだし、かつ天下を権力の対象とする
    • 天下は、歴史的所与そのものではあるが無限定な空間ではなく、あきらかに日本全土を意味する本朝であって、異国ではなく、また、あれこれの領土でもない。
    • このような意味での公儀と天下の原理的区別は、幕藩制国家においても通貫するが、歴史的には、天下に対して強力な支配力を発揮しうる公儀が出現するとき、「公儀御為」と「天下之御為」はほとんど同一化をとげる
  • 神祇と新しい「公儀」
    • 天皇・朝廷の問題は、究極的には日本の領主階級の主従関係と盟約関係が日本の神祇への起請によって成立することに根拠を置く
    • 信長以降の新しい「公儀」の生誕は神祇への起請さえあれば確認されるというものではなく、神祇への起請が、旧来の神祇の序列の変更をともないながらされるとき、はじめて新しい「公儀」への忠誠が獲得される
    • 新しい「公儀」は生身の肉体を持つ権力であった天皇・朝廷を換骨堕胎しながら「神明」化させること
      • 秀吉政権はその強力な人格的集中性にもかかわらず、利用しているのは生身の衰退している権力としての「公儀」の外部にある天皇・朝廷
      • 天皇「神明」化の努力は、公武の激しい確執となってあらわれ、徳川氏権力の課題となる
  • 儒教的論理の導入による国家目的の宣揚
    • 幕藩制国家は、天下=神国=日本に対する支配の正統の地位を確立 →キリシタン禁圧の過程において、領主間の起請の論理の意味と同時に、公儀が遂行する国家目的をも開示
    • 「仁義の道」の実践を神国=日本の国家目的としておしだし、その実践主体である武士=領主階級の結集の原理を日本の神祇への起請に求めたことで、はじめてキリスト教に対する異教徒国家としての能動的な禁圧原則が獲得された →公儀の目的と同時に公儀存立の根拠にもなる
    • このような儒教的論理の導入による国家目的の宣揚は国際的緊張を契機とするが、究極の要因は、主従関係・盟約関係が天罰起請によって証明されるような社会関係を基盤とする神国観念が、兵農分離制による社会関係の変化によって、為政の論理をふくむ観念へ変質をせまられたことにある

二 公儀と法度支配

  • 法的機構的な公儀
    • 幕藩制国家においては公儀と将軍権力はまったく同義のものではない。幕藩制国家が封建国家の範疇に属する限り、人格的支配という一般的本質にはかわりはない。しかし幕藩制における公儀は、将軍権力すなわち将軍という個別的人格を中枢に置きつつも、幕閣としての独自の運動法則をもつ機構と法度支配の体系を成長させる。徳川幕府は、法的機構的な公儀。
    • 公儀は「公方」の権力を中枢にして、法的機構的な支配機構、すなわち幕閣として構成。この公儀が全幕藩領主権力の王権として機能し、社会の全職分を配置し統括して、幕藩制の再生産の政治的な駆動軸となる。
  • 幕藩制国家支配における法的機構的側面を相対的に成長させた要因
    • 権力基盤である小農民経営(=百姓の存在様)と幕藩領主の支配体制
      • a)兵農分離制の問題:幕藩領主階級が、在地性の喪失にもとづいて個別的人格的支配、直接的暴力的支配を後退させた →幕藩領主は、農民の共同体を村請制村落として掌握、法的機構的な支配体系のなかに編制することをその存立条件にする。
      • b)石高制の問題:幕藩領主はひとたび百姓の手元に掌握された生産物のなかから全剰余労働を収奪しなければならない。
      • a+bの条件) 生産の共同体を支配の機構に転化させ、経済外強制の体系を法的機構的な諸形態として構築し、共同体規制をも支配のための経済外強制として機能させることが必要になる。そして、一定の自立性を存在の前提としてしている百姓(農奴)の主体的自発性をよりいっそうひきだして勤勉と上納へと向かわせるイデオロギー的編制が、相対的に大きな役割を持つようになる。
  • 幕藩制下の個別大名権力がみずから「公儀」として百姓に臨んでいた事実の意味
    • この意味は封建国家の本質的規定としての分権的性格によって説明される 知行地の政治的経済的諸条件を勘考しつつ自分仕置を遂行しうることが、個別大名の公儀に対する服従ということの意味 →幕藩制下の百姓は、「天下之民」=「公儀百姓」であるとともに、「誰々守様百姓」であることが明示されて個別領主への帰属が確定されているのであり、日常的にはむしろ特定の個別領主への帰属意識が前面におしだされている
    • 上記の事実は、幕藩権力体系における編制・結集様式の構造内部に不可避的に対立的な要素と関係を内包していることを立証
      • 封建制の一般的性格としての分権的構成を、幕藩制国家もまた止揚することはできず、止揚されてしまえば幕藩制ではない →公儀と大名とのあいだの不可避的な矛盾と緊張の関係が、公儀の構造的一環として、権威部分として、天皇・朝廷を位置づけなければならない政治的理由であった。これは領主権の権原が神祇への起請によって証されなければならないというイデオロギー的理由と同一。
      • 天上と地上を媒介とする権威的存在は律令制国家の王権の残滓としての権力的存在である天皇・朝廷とは異質である必要。故に、一方では衰退している天皇・朝廷を社会的に牽揚すると同時に、他方ではその権力的存在としての性格を換骨堕胎するという幕府の対朝廷政策が展開されることになる。
  • 具体的な諸法度の体系が形成されていく過程
    • 農民の諸闘争を契機
    • 広汎に展開する小農民経営とそれを支配の体系に編制しようとする幕藩領主との階級矛盾、言いかえれば、小農自立の階級闘争を中心とする「百姓成立」のための諸闘争が、諸法度へ反映され、余剰余労働収奪の虚偽意識形態としての幕藩制的「仁政」支配のイデオロギー的成長をもたらす。
    • 「憐愍」を領主「御救」のかたちに具体化し、生産物地代を基本としてすべての剰余労働を収奪する方向へ主導する国家公権としての役割を、徳川氏権力がはたすことになる

三 百姓と諸身分

  • 幕藩制下の身分制
    • 幕藩領主が、種々の生産労働を社会成員の世襲の特権として配分し、尊卑観念をともなう排他的で不変の職業として強制的に固定すること →身分制は職能の区分をともなう社会的差別の政治的体系として編制される
    • 出発点としての兵農分離
      • 武士身分:生産と村落から遊離して、生産労働への寄生を治国と養民の職分として正当化する
      • 百姓身分:基本的な生産階級として農業労働に固定され封建地代を負担させられる
      • 兵農分離は公権としての統一権力が先行して形成され、その統一的権力が全国的な征服戦争をおしすすめる過程として実現される
      • 兵農分離は町方の被支配身分の確定もともなう
1 百姓支配
  • 幕藩制下の百姓の存在の原理的特徴
    • 百姓身分の農民が、「御百姓」を「相勤」めるということの意味は、生産者農民が全幕藩領主に対して年貢・諸役・国役を上納するという御用を相勤める、いわば御用百姓として存在させられていた
    • 律令国家の「御財」=「御民」であった公民をあらわす百姓という呼称が、幕藩領主の支配下農奴の身分呼称として存続させられたとき、形態のみにかぎれば、古代の専制的王権との関係が幕藩制国家の王権である公儀に対する関係として継承されたときにもとづく特徴
      • しかし、律令制下の百姓がそのまま幕藩制下の百姓に連続しているということではない。
  • 公儀と個別領主権
    • 全国的に散在する個別領主は、自己の力量のみによっては、百姓に対する支配を十分に貫徹できず →それを可能にしたのが各地の個別領主に対して征服軍として臨んできた中央の統一権力
    • 武士の支配に組み入れられまいとする百姓の諸闘争や結集を解体させた領主階級は、統一権力を、武士の共同利害を代表する公儀として生み出しつつ、その公儀の主導によって先行的にすすめられる権力編制に依拠して個別領主権を百姓の上に確立し、同時に、非百姓身分の下層農民を直接的生産者としての耕作事実を基準に百姓身分に引き上げ、権力基盤を拡大した。
    • この過程は、唯一の全国的な支配身分として結集した武士が、百姓を全国的統一的な農奴身分として固定したことに他ならない
  • 御百姓意識
    • 二つの御百姓意識
      • a.名主的百姓や地侍層が抑圧されて百姓化=農奴化を強制される:敗北と諦観を内包する農民意識
      • b.幕藩領主が収奪基盤として新たに百姓身分へくみこんだ多数の下層小農民:その身分的上昇が個々の小百姓に自己の苦闘の達成として積極的な意識
    • 「御百姓」意識は、武士に対する被治者としての意識を前提にしながらも、村落内部では非百姓身分農民に対する一定の特権的な身分意識として存立する
    • 村落が非百姓身分を共同体再生産のための要件として存続させていたために、「御百姓」意識はたんなる被治者貢民の意識におわらず、特権的な性格をもつことになる
  • 村請制支配における村役人
    • 村役人層の、村落支配機構における「政治的頭部」としての治者的機能と、年貢負担農民としての百姓身分規定のあいだには明らかに矛盾がある
    • この矛盾は大百姓としての村役人層が小農自立の動向のなかで、その家父長制的な村落支配力を後退させ、さらにその給分が、領主扶持を給与されることから惣百姓の村入用内部より支給されることへ切り替わる時期に表面化する
    • 士的な奉公意識の現実の根拠を喪失した村役人層が、かえってこのようななかで士分への上昇を願い出るような事実もあった。一般に武士的出自と家譜は村役人層の権威の源泉の一つになっているのであり、この層が、「御百姓」の意識のなかに武士化願望を内潜させている。
2 町人支配
  • 町人の必要性
    • 支配体系のなかに編制された商工民の社会的身分としての町人の必要は、兵農分離制を前提とする農民支配と石高制の内に根拠を持つ。
  • 町人意識の形成
    • 町人は、法制上は百姓と並列的な支配対象として位置づけられていたが、百姓身分の農民が全社会的な規模で主体的自己認識として獲得していた「御百姓」意識と同じような質の主体的な町人意識は形成できなかった。
    • 町人意識は、それが主体的なものとして生みだされるときは、理財の肯定という方向に形成された。
3 賎民支配
  • 部落支配体系の編制
    • 幕藩制下の穢多身分が、領主軍役の需要を支える「御陣御用」の必要のなかで創出されてきた
    • 皮革業従事者を中心にして、領主が「御陣御用」のための特別の職能集団=御用集団に編制し、身分的にも空間的にも隔離したとき、城下町賎民聚落が成立
    • 領主需要をみたす職分別の労働・居住区域が町人にも強制されたように、城下町の外郭的一角に卑賤観念をともなう特別の住居・生産区域が強制的に設定された
    • 城下町部落が拠点となって、領内の町方・村方の部落支配体系が編制され、部落は武力と流通・技術を独占する幕藩制下の城下町形成の一環として創出された。
  • 法制的固定化と差別強化策
    • 幕領・個別大名毎に独自な経過をもって創出された賎民制 + 質地地主・小作関係の一般的成立過程での小農経営の没落 →社会的分業の身分的編制に一定の動揺を引き起こす →過剰な都市下層民(百姓の没落と都市流入の結果)
    • 上記の問題により、公儀は全国的な賎民身分の法制的固定化と差別強化策を主導する
    • 幕藩領主の小農経営に対する過酷な収奪と、その結果としての小農経営の脆弱性により、そこからの没落者がふだんに生みだされて都市へ流入し、都市の需要する平民数をこえて乞食非人化することは不可避であり、その方向に歯止めをかける役割を担う賎民制はいっそう強化される

おわりに

  • 徳川政権の公儀権能の弱体化
    • 統一権力としての現実の力量と物質的基盤が弱体化 →天下=公儀=徳川幕府と倒置してきた社会意識の崩壊→新たな公儀の要請
    • 「神明」化されきらず、公儀の金冠部分として機能していた天皇・朝廷が世俗的性格の残滓により、大政委任論が拡大される
  • 天下と公儀の乖離と百姓
    • 幕藩体制化の農民:「天下之民」=「公儀百姓」であり、個別領主に属する「誰々守百姓」 ←天下と公儀の乖離はこの関係を崩す
    • 「天下之民」という普遍的な自己認識、あるいは普遍的な意味に変化した「公儀百姓」という自己認識に変容する