(101021)「接触・交流」の観点からみる学習指導要領の変遷編

昭和22(1947)年版 高等学校学習指導要領「西洋史」、「東洋史」(試案)

  • 西洋中心主義と接触・交流という視点
    • 世界史は戦後の教育改革においても「西洋史」、「東洋史」として教科編制がなされ昭和22年に学習指導要領(試案)が出された。当時の「西洋史」、「東洋史」では西洋中心主義の趣が強かった。「東洋史」においては「他の文化と交渉してどのように変化したか」とあるように文化の接触・交流による影響を重視する表現が見受けられる。逆に「西洋史」においては、西洋の価値観の生成に重点が置かれ他文化からの影響が述べられている表現は少ない。それぞれの「はじめのことば」には以下のように記されている。
    • 西洋史」:「人類の歴史は全体として一つの統一ある発展をなしているが、その発展は地域に応じて差異を生ずる。東洋史西洋史とが世界史の二大区分をなすのはそのためである。問う要素はわれわれがその一部をなしている東洋の特殊性を知る上に重要であるが、しかも今日の世界の主流をなしているのは、西洋文明であるから、東洋の歴史を知るためにも、西洋史の知識が絶対に必要である」
    • 東洋史」:「東洋史の課題は、東洋独自の文化がどのようにして起こり、それがどのような発展をとげ、また他の文化と交渉してどのように変化したか、ことに近世にいたって西洋の近代の文化の影響を受けてどんなに変わったかを明らかにし、もって今日の実状を正しく認識せしむるにある。…今日の文化はだいたい西洋文化の系統であって、東洋古来の文化は途中で断絶し、今日につながらない観がある…西洋の近代文化は優秀なものであるから、東洋の古風文化がこれに圧倒されたのは当然のことであって、ここに全世界は一つになり、東洋はひたすらこの優秀な文化を学習消化することになった… 」

昭和24(1949)年 高等学校社会科世界史の誕生

  • 世界史の開始
    • 高等学校教科課程改正によって昭和24年度から社会科の選択科目として日本史及び世界史が開始されることになった(「高等学校社会科日本史、世界史の学習指導について」 24.4 発教第247号 文部省教科書局長より各教育委員会、各都道府県知事、附属高等学校を有する直轄学校長、各無線電信講習所あて)。この時点では学習指導要領は作成中であり、結局発行されなかった。世界史は学習指導要領東洋史篇、西洋史篇を参考とすることとなり、社会科歴史学習の目標達成に関する留意事項、単元学習の重視、刊行されている教科書が『西洋の歴史(上)』のみという状況に対する指示が示された。接触・交流という視点は特に取り上げられていない。

昭和26(1951)年改訂版(昭和27.3.20) 中学校・高等学校学習指導要領社会科編?(b)世界史(試案)

  • 概要
    • 1951年版の特徴は問題解決学習の重視である。「まえがき」において「高等学校社会科における歴史教育」が示され、生徒の主体性、経験領域の重視、歴史学そのものではなく歴史学習であることなどが述べられている。「歴史的思考力」が初めて登場し、世界史においてもその訓練が目標の一つとなった。内容は「近代以前の社会」、「近代社会」、「現代の社会」で構成されており、目標においてヨーロッパ社会の世界的発展やアジア社会の遅れた意義を示していることか西洋中心主義の色彩は濃い。また、「世界史への導入」が示され、学習意欲を喚起し、興味関心を高めるため、学習活動例が紹介されている。
  • 接触・交流との視点
    • 昭和26年版において初めて「接触交流」という用語が学習指導要領に登場する。詳細な説明はなく「近代以前の社会」の中項目「6.民族と文化の接触交流」として「a ヘレニズム」「b シルクロード」「c 十字軍」「d 東方文化の西方伝播」「e 中日文化の交流」「f 征服王朝」の小項目が列記されている。昭和26年版では参考単元題目例としてA案からD案までが紹介されており、接触交流の内容が扱われている。提示されているものは、文明の交流、文化の伝播、世界の一体化の要因、民族、宗教の観点からの接触交流である。

昭和31年度改訂版(昭和30.12.26) 高等学校学習指導要領社会科編

  • 概要
    • この改訂版の特徴は、系統学習への移行である。科目編制が「社会科社会」、「社会科日本史」、「社会科世界史」、「社会科人文地理」の4科目となった(従前は「一般社会」、「日本史」、「世界史」、「人文地理」、「時事問題の5科目」)。履修は「社会科社会」を含めた3科目である。世界史の究極の目標は「日本民族の責任を自覚させること」である。西洋中心主義からの是正が図られ、「アジアの歴史については西洋的な立場からのみ見るのではなく、それ自身の独自の価値を認めて、理解させることが必要」と述べられている。
  • 接触・交流の視点
    • 昭和31年版においては「接触・交流」という用語は姿を消すが、交渉や交流といった用語や西洋史東洋史の分離の否定などが重視されてくる。目標において「世界の諸民族、諸国家が孤立してでなく、互に交渉をもちながら発展してきたことを認識させる」と打ち出されている。内容の大項目において「(2) アジア諸民族の活動と東西交渉」として扱われ、中項目に「東西の文化交流」が設置され、「東西の文化交流では、海陸両路による東西の文化交流はもちろん、西アジアおよび南海諸国の政治の変遷や文化についてもふれるべきである」と注記がある。また大項目「(4) アジアにおける専制国家の変遷」においても中項目「蒙古帝国の成立と東西の交渉」が設置されている。
    • 東洋史西洋史の関係については「東洋史西洋史とを分離して、取り扱い、別々の知識をただ与えるというような方法は、目標達成上、望ましくない」とされ、世界史としての科目の特性が留意事項で述べられている。

昭和35(1960)年版 高等学校学習指導要領解説「世界史A」「世界史B」

  • 概要
    • 昭和35年版の特徴は世界史がA科目とB科目に分かれ、B科目において「主題学習」が登場したことである。だがしかし、これは単位数における違いだけであり、A科目が3単位でB科目が4単位であるが故に「主題学習」を行い、内容構成については全く同じものであった。B科目は「主題学習」において「主題をいくつか設けて、いろいろな観点から総合的に学習させ、歴史的思考力を深めることを目的としている」(『解説』122頁)とある。ここで「総合的」に学習させることになった理由は以下のように説明されている(『解説』9頁)。昭和26年版においては「現代社会の諸問題の安易な解決だけを志向して基本的知識の学習を軽視するような動きが一部に見うけられた」たため、昭和31年版において系統学習に転換したのだが、「基本的知識ではなくて、社会関係諸科学そのものの学習の寄せ集めに終始し、かえって総合的考察が行われないような弊も一部に見られた」ため、昭和35年版では「総合的認識の方法」が示されたのであった。
  • 接触・交流の視点
    • 内容構成において文化圏が取り入れられるのは昭和45年(1970)版からであるが、文化圏という概念自体は昭和35年版の「留意事項(3)」において初めて登場する。昭和35年版では、「地理上の発見以前」は「世界の諸地域が密接な関連をもたない時期」と認識されている。「地理上の発見によって、地球上の各地域は、一つの世界として世界史に登場するようになった」(『解説』113頁)。そのため、密接な関連をもたない時期にあたっては文化圏学習が提案されている。「たとえばヨーロッパの古代・中世にあたる時期において、一つの例として、ヨーロッパ、インド・西アジア、東アジアなどの文化圏別に、ある程度の大きなまとまりをもたせて学習させることも考えられる」(『解説』219頁)。だが、昭和35年版では文化圏の類型において一定の規範を示すことを避け「特定の型に統一することは好ましくない」としている。また、文化圏学習の弊害として各地域の歴史が分離してしまうことを指摘し「各地域の歴史をまったく分離して取り扱わないで、常に相互の関連を保つ」ために、歴史地図や年表の利用、世界史的視点を喪失しないようにすることなどを挙げている(『解説』119頁)。
    • 本文の「留意事項」には記されてはいないが、『解説』においては各国史別の学習方法の注意も述べられている(119頁)。ここでは世界史が「万国史」に解体してしまわないようにすることが示されている。
    • 内容については、「地理上の発見以前」における東西交流として接触・交流の視点が見受けられる。すなわち大項目「(1) 文明の成立と古代国家」の中項目「古代インド文化の発展」におけるヘレニズム文化のインド文化に与えた影響や仏教の成立について「東西交渉の視点からも考えさせることが望ましい」という表現や、「(2) 中国社会の展開とイスラム世界の形成」の中項目「中国の貴族文化の発展と東西文化の交流」で、 漢代以後の東西交通や日本への影響が扱われることとなっている。
    • 「主題学習」と接触・交流の関係については、『解説』において示されている基準のひとつに「できるだけ世界の地域相互のことがらに関係のあるもの」が挙げられており、例示された主題の中の「シルクロードと東西交渉」が当てはまると考えられる。

昭和45(1970)年版 高等学校学習指導要領「世界史」

  • 概要
    • A・B科目が統一され3単位科目になる。昭和45年版の特徴は内容構成において文化圏学習が導入されたことである。ヨーロッパ中心史観を克服し、世界史における日本史の位置づけがはかられた(『解説』167頁)。文化圏は3種類で「東アジア文化圏」、「西アジア文化圏」、「ヨーロッパ文化圏」が設定され、その下限は「新航路・新大陸の発見以前の歴史」について行われるとされたが、18世紀〜19世紀頃までを文化圏別に分けることも示唆した。昭和53年版からは文化圏の下限は18世紀までとなる。また主題学習に関しては、主題を例示する方法から主題選定の基準を示すものに変化した。
  • 接触・交流という視点
    • ここでも「接触・交流」という用語そのものは出てこない。だが、「接触・交流」の視点に関しては、文化の交流や「接触・交渉」といった考え方が存在する。文化圏学習が取り入れられたことから、文化圏の分離の弊害を防ぐために相互関連が重要視されている。「各文化圏の歴史をまったく分離して取り扱わないで、相互の関連を考慮しながら、世界の歴史の大勢と結びつけて正しく理解させるようにする」(「内容の取り扱い」)とあり、『解説』ではこれを受けて「新航路・新大陸の発見を契機として世界が一体化する以前の時代については」、「複数の文化圏の歴史に解体したままの形で取り扱われやすいので」、「世界史的視点を失わないように配慮しなければならない」として、「文化圏相互の関連を考察させることも、各文化圏の歴史を世界の歴史の大勢と結びつけて理解させるうえで効果的」であり「主題学習を文化圏学習に結びつけて行うのもの一つの方法」としている(167-169頁)。
    • 近現代史については、従前でも指摘されていたように各国史別に取り扱う学習方法の場合は、「世界の歴史の大きな流れと各国相互の関連に留意することが大切」(169頁)とある。
    • 文化圏学習における弊害を主題学習がカバーする学習について。文化圏学習は「各地域の歴史が全く分離して取り扱われる傾向に陥りやすい」ので、これに対して主題学習の選定観点bが用意されている。「世界の歴史上の事象について、地域ごとの比較考察的な、あるいは地域相互の関連的な学習のできるもの」である。この主題選定の観点により、「地域相互の関連を把握させ」、「歴史上の事象に関する比較思考および関連思考を深める」ことが期待されていた(171頁)。この主題選定に適うものが内容の大項目「(3) 西アジア文化圏の形成と文化の交流」の中項目「東西文化の交流」である。「…東アジア、西アジア、ヨーロッパなどの各文化圏は、まったく相互の交渉なしに独自の歴史を展開したものではない。いわゆる新航路・新大陸の発見以後のような密接な結びつきではなかったが…陸上および海上における交通路の開発とともに、相互に接触・交渉し合い、各文化圏間に活発な文物の交流がみられたことに着目させることをねらいとしている」とあり、「…草原の道…シルクロード…海の道…これらの東西を結ぶ交通路を通って…文物の交流に果たした役割について、主題学習等にまとめさせ、さらに、東西文化の交流に関係の深い人物を取り上げて学習させるのも良いであろう」と学習を促している。さら各文化圏の交流の例として「ローマの東方支配と漢の西域支配、カリフ帝国と唐の繁栄、蒙古の世界的発展」などが挙げられている。

1978(昭和53)年版学習指導要領 「世界史」

  • 文化圏学習の下限の引下げ
    • 1978年版における「接触・交流」という視点の特徴は、文化圏学習による各文化圏の分断化の弊害に対処するものとして扱われるということである。解説においては「各文化圏の取扱いにおいて、相互の関連を考慮しながら、世界の歴史の大勢と結び付けて理解させる」(83頁)と述べられており、文化圏の相互関連が唱えられている。この背景には、1978年版では「内容」の構成において大項目「19世紀の世界」が設置されたことと関係がある。従前は文化圏の下限を新航路の発見、つまりは16世紀としてとらえ、ヨーロッパの世界進出とともに世界の一体化がはじまったとされていた。しかし今回は18世紀まで独自の文化圏ごとに歴史が展開され19世紀の帝国主義で初めて世界が一体化したというとらえ方になった。そのため、ヨーロッパ中心史観をより一層克服したのだという。だが、文化圏独自の歴史の展開は世界の関連を見失わせがちになってしまう。特に前近代の文化圏学習では、文化圏ごとに解体されがちであるという弊害が指摘されている。「・・・留意すべきことは、各文化圏の歴史を分離して扱うことのないようにすることである。いわゆる近代以前の世界の歴史を扱う場合、ややもすれば複数の文化圏の歴史に解体しやすい傾向がみられる。指導に当たっては、文化圏相互の関連を考慮しつつ、世界の歴史の大勢と結び付けながら、学習を進めさせることが肝要である」(『解説』109頁)こうして文化圏ごとの断絶を防ぐために交流が重視されたのである。
  • 改訂の背景と内容構成の変化
    • 「内容」の大項目「19世紀の世界」が設置された1978年版改定時の社会背景はどのようなものであったか。以下に改訂の要点から経緯を見ていく。1978年に改訂された高等学校学習指導要領の特徴は3点ある。即ち人間性、充実した学校生活、個性や能力重視の教育の3つである。これに応じて社会科では思考力の育成や生徒の興味関心が配慮されることになった。「世界史」の科目においては、『解説』において3点改訂の要点が示された。内容構成における大項目「19世紀の世界」の設置(文化圏の下限の引下げ)、文化圏学習における文化圏の柔軟化(西アジア・東アジア・ヨーロッパ以外の文化圏を任意で取り扱い、風土・社会・文化を取り入れる)、主題学習における文化人類学を反映させる主題選定の観点の設置、の3つである。後ろ二つは、生徒の興味関心の重視に応じるものである。こうして「接触・交流」という視点と関係のある内容構成における大項目「19世紀の世界」が設置された。
  • 文化圏の下限の引下げ
    • ではどうして文化圏の下限が18世紀まで引き下げられたのであろうか。それは文化圏の一貫化と西欧中心主義からの脱却であった。1978年版は内容構成において文化圏学習の下限が18世紀まで下げられ(従前は15世紀)新たに大項目「19世紀の世界」が設定された。「内容の取扱い」の(1)イ(イ)で「各文化圏における歴史の発展や特色を把握させ、文化圏としてのまとまりに着目させるように留意する」とあるように、各文化圏を18世紀まで一貫して学習できるようにしたのである。また『解説』には従前の内容構成(文化圏を15世紀以前として一つのまとまりとするもの)を「西力東漸の「世界史」把握」として、18世紀までの文化圏のまとまりは、それを改めるものであるとしている(83頁)。つまり市民社会を形成したヨーロッパがアジアに進出するという内容から転換したのである。
  • 文化圏の分断という弊害への対処
    • 文化圏の解体に対する対処としては、主題学習と文化圏学習の有機的な関連が唱えられている。特に主題選定の観点において「文化圏学習」との関連で重要視されているものがある。それは、「内容の取扱い」(2)アaの「地域ごとの比較考察的又は地域相互の関連的な学習のできるもの」である。『解説』には「各地域ごとの発展の仕方の特色や地域相互の関連を把握させることによって、「文化圏学習」が陥りやすい各文化圏別の分断的とらえ方を補正し、「文化圏学習」の効果を一層たかめることができるのである」(『解説』109頁)と述べられており、主題学習において文化圏学習の弊害に対処しようとしている。

平成時代における「世界史A」の展開;平成元(1989)、平成11(1999)、平成21(2009)

平成元年版「世界史A」
  • 概要
    • 平成元年版は社会科が解体され、世界史は再びA科目とB科目に分かれた。昭和35年版では単位数の違いと主題学習の有無だけで内容構成は全く同じものであったが、平成元年版から「世界史A」は「世界史B」とは異なる性質を帯びる科目となった。平成元年版「世界史A」の特徴は何より文化圏学習が消滅したということである(B科目は平成元年は文化圏学習、11年版から諸地域世界)。文化圏学習の代わりに「世界史A」の内容構成の特徴となったのは、「文明史的な視点並びに文化の交流」と「比較の視点」である。
      • 「文明史的な視点並びに文化の交流」:「価値観、思想、イデオロギー生活様式などあらゆるものが変化し、国家や国民という枠をこえて、地球的または人類的な規模の課題の解決が要求されつつある現代において、文明という視点から、歴史を考察させるようにした。すなわち諸文明の歴史的特質、接触・交流、現代文明などを扱い、歴史を通して、文明について考察することができるような内容とした」(『解説』14頁)。
      • 「比較の視点」:「歴史の学習の中で異文化の理解を通して、相対的にものごとを見る目を養い、柔軟な歴史的思考力を培うことを目指した。国家や民族は、国際化の進展の中で同質化されるのではなく、その文化的伝統、歴史的個性を相互に認めながら、共存していかなければならない。世界の諸国、異文化との接触は、また摩擦も伴うものである。こうした中で、歴史を通して相対的にものごとを見るということも大切である」(同)。
    • 内容構成は前近代において特に文明、接触・交流が重視されている。平成元年版「世界史A」は4つの大項目から構成されている。即ち「(1)諸文明の歴史的特質」、「(2)諸文明の接触と交流」、「(3)19世紀の世界の形成と展開」、「(4)現代世界と日本」である。前近代の大項目である(1)、(2)については、(1)では「特に時代を限定せず、各地域の文化の発展や歴史的特質」を扱い、(2)では中項目の区分である2世紀、8世紀、13世紀、16世紀、17・18世紀から二つ選び「同時代史的世界史像」をとらえることを目的としている。
    • 世界の一体化に関しては、16世紀において世界商業が成立し相互の交流が進んだが、19世紀において欧米の工業化社会が交通、運輸、通信の発達と資本輸出、貿易の拡大により、諸地域の世界を変化させ植民地化・従属化させていくなかで世界の一体化が進んだという扱いである(『解説』29-30頁)。世界の一体化はいつからかという扱いに関しては、昭和45年版までは16世紀からで、昭和53年版は19世紀からという扱いである。昭和45年版まで唱えられた16世紀におけるヨーロッパのアジア進出を西洋中心主義と見なし、昭和53年版では文化圏の下限を引下げた。19世紀までは各文化圏は独自展開をしていたと内容を構成することで西洋中心主義を克服しようとしたと説明していたのである(昭和53年版『解説』83頁)。平成元年版「世界史A」でも、工業化と植民地化・従属化による19世紀の世界の一体化として扱っているが、16世紀のヨーロッパの進出を世界商業の成立として捉えている。
      • 世界史の学習指導要領の内容構成:昭和22年「西洋史」、「東洋史」の時代は西洋中心主義で進んだ西洋がどのように普遍的価値を形成し、どうして東洋が停滞して劣ってしまったを主眼としていた。昭和24年に「世界史」が開始され、昭和26年に初めて「世界史」の学習指導要領ができた。このときも問題解決学習をとりながら進んだ西洋という西洋中心主義の傾向が見られた。昭和31年に系統学習が導入され西洋中心主義が批判され征服されるアジアの動きも重視されるようになった。昭和35年には16世紀におけるヨーロッパによる世界の一体化の内容構成がとられ、昭和45版では文化圏学習が内容構成原理となり文化圏の下限が従来を引き継ぎ16世紀とされ、16世紀からヨーロッパによる世界の一体化が進んだと解釈された。この16世紀の世界の一体化に対して、19世紀の帝国主義までアジアは衰退しておらず独自の文化圏を形成したという解釈が昭和53年版でなされた。そして平成元年版では、16世紀はヨーロッパの進出により世界商業による接触・交流が世界規模で初めて成されたと解釈された。
  • 諸文明の接触・交流
    • 平成元年版「世界史A」では内容の大項目(2)「諸文明の接触・交流」で「世界の歴史を横断的にとらえ、同時代史として扱」い、「文明の接触・交流に伴う民族や人口の移動、諸地域の民族構成の変化、物の交流や伝播、言語の広がり、文化の変容など地域に限定されない世界的広がりをもった事柄」を取り上げ、「広く世界全体を考察」し、「世界的視野でものを見る能力を育てる」ことを目的としている(『解説』41-42頁)。
    • 接触・交流の形態
      • 『解説』22頁には接触・交流の形態が列記されている。「移動や征服」、「交易」、「宣教」が挙げられ、与える影響を「変容、融合、複合」であるとしている。「担い手も様々」であり、「移動・伝播する主体も人や物」、「観念や制度など多分野にわたる」ことが示されている。
  • 同時代の比較文化・比較文明
    • 平成元年版「世界史A」では「比較文化」、「比較文明」の視点が取り上げられているが、これはあくまで「同時代の諸地域の文化を比較」(大項目(2)より)である。かつて「西洋史」、「東洋史」や昭和26年版の「世界史」では文明や文化の比較が学習活動で取り上げられていた。しかし、これは同時代の比較ではなく、封建制を中国周代、中世ヨーロッパ、徳川幕府と比較させるなど西洋中心史観が多分にある文明比較であった。
  • 多彩な小テーマ
    • 内容の(1)(2)では、「諸文明の特質」、「接触と交流の多様さ」を扱うため、多彩な小テーマを設定する授業展開が可能である。(『解説』27、43頁)。これは主題学習において生徒の興味と関心を高めることを目的としている。
平成11年版「世界史A」
  • 概要
    • 平成11年版「世界史A」の何よりも特記すべきことは、「世界の一体化の過程を重視した構成」であることである。平成元年版では「文明」と「比較」が内容構成原理であり、前近代の内容を(「1)諸文明の歴史的特質」と「(2)諸文明の接触と交流」としていた。平成11年版では「文明」と「世界の一体化」が内容構成原理となり、前近代の内容が「(1)諸地域世界と交流圏」に一本化され、諸地域世界の歴史的特質を東アジア世界、南アジア世界、イスラーム世界、ヨーロッパ世界に分けて学習した後、ユーラシアの交流圏として8世紀〜16世紀のユーラシアを海域世界世界、遊牧社会、地中海海域、東アジア海域として「前近代の諸地域世界間の交流の様相のケーススタディ」で学ぶ。従前の(2)のアにおける2世紀の世界として秦漢とローマ帝国を扱う学習は消滅した。従前(2)エの16世紀、オの17・18世紀は、世界の一体化として16世紀から始まる世界の一体化に組み込まれた。
    • 世界の一体化をめぐって
      • 昭和45年版まで16世紀にヨーロッパがアジアに進出したことが世界の一体化の契機とされていた。だが欧州主導の西洋中心主義だとして昭和53年版に転換した。18世紀まで独自の文化圏を展開しており19世紀に帝国主義の植民地化で世界が一体化したというのである。平成元年版では16世紀から世界商業の形成が始まり19世紀の世界市場による世界の一体化へと繋がるという接触・交流の把握の仕方が打ち出された。平成11年版では「世界史を動態的に把握する構成」という視点で16世紀に始まるヨーロッパの進出を既存の交易ネットワークへの参入として世界の「結合の度合い」が強化されたと相対化した。
  • 世界の一体化と接触・交流
    • 平成11年版の「接触・交流」という視点は従前のものとは質を異にしている。文化圏学習における交流や交渉といった視点は、16世紀以前における分断しがちな文化圏においても交流や影響があったというものであった。平成元年版の接触・交流といった視点は同時代史的な横の繋がりの把握と「比較」によるもので「当該世紀の全体像を把握させようとするもの」であった(平成11年版『解説』12頁)。だが、平成11年版の接触・交流は世界の一体化である。つまり、16世紀以前に接触・交流により形成されたネットワークが世界の一体化のための前提となっていたということである。「…世界史を動態的に把握する…すなわち、前近代においても諸地域世界が決して孤立していたのではなく、相互の接触と交流を通じて内陸や海域のネットワークを形成したことに触れるとともに、16世紀以降になると諸地域世界は交易や植民により結合の度合いを強め、19・20世紀には世界市場の形成により地球規模での構造的一体化をもたらせることを把握させる内容とした」(解説11頁)。
  • ユーラシアの交流圏
    • 平成11年版からの接触・交流は世界の一体化の前提のための前近代におけるネットワークの形成という側面を担っている。「…今回の改訂では、人や物の交流を一層重視する観点に立ち、8世紀から15世紀の間にユーラシアの内陸ないし海域世界に成立した主要な交流圏を例示し、その中から二つ程度を選択して交流の具体的様相を把握させることにした。ここでのねらいはあくまで前近代の諸地域世界間の交流の様相のケーススタディ」(『解説』12頁)である。また、(1)の中項目「オ ユーラシアの交流圏」における各小項目で主題を二つ選択するのだが、ここでは『解説』において生徒の興味と関心を高めるために主題学習を設定することがうながされ、主題が例示されている(23-24頁)。
  • 近代以降の接触・交流
    • 平成11年版「世界史A」は前近代のネットワーク形成にのみ接触・交流の視点を取り入れているのではない。16世紀のヨーロッパがアジアの物産を求めたことで地球規模での接触・交流が始まった。世界商業の進展と大西洋世界の形成とともに中央集権化を果たした欧州諸国が17世紀の最大の宗教戦争である三十年戦争を乗り越え主権国家体制を整えた。世界市場をめぐる争いでイギリスが勝利しインド産綿布の輸入代替に成功し工業化を果たすと、対抗するために欧州各国で国民国家形成が進展した。世界市場を握ったイギリスは自由貿易体制によりアジアに進出したが、欧州諸国が工業化を果たし、市場の拡大と資本の投下地を求めるようになる。列強の海外進出が激しさを増すと、植民地獲得競争が展開され、欧州の国民国家体制が伝統的なイスラーム国際体制や東アジアの国際秩序を変容させていく。
平成21年版「世界史A」
  • 概要
    • 平成21年版の「世界史A」は平成11年版のものと内容構成原理を同じくしている。つまりは「文明史的な構成」と「世界の一体化の過程を重視した構成」である。特筆すべき変更点は、PISA調査の影響によって思考力・判断力・表現力等を含む読解力、記述式問題、知識・技能の活用、学習意欲(『解説』総説)が重視されたことである。これに応える形で、内容の「(1) 世界史へのいざない」における主題学習と「(3) 地球社会と日本」の「オ 持続可能な社会への展望」における探究学習が設置された。接触・交流に関しては、従前の前近代史が大項目から削られ、世界の一体化の前提として近代を扱う「(2) 世界の一体化と日本」の中項目アに編入された。また平成11年版は16世紀と17・18世紀をそれぞれ分けて中項目を設置していたが、16世紀から18世紀にいたる国際関係を世界の一体化として一つの中項目に編制された。
  • 接触・交流
    • 平成21年版の「世界史A」は平成11年版のものと内容構成原理が変わらないため、PISAへの対応に特化したものであるといえよう。接触・交流への解説は平成11年版の方が詳細である。特に近代の前提として重視されていた前近代のネットワークのケーススタディは消滅する。「16世紀以降の近現代史を理解するための前提として」、「ユーラシアの海、陸における交流については、8世紀以降の事象を取り上げ、ユーラシアの地域間交流が後の世界の一体化の前提となったことに気付かせる」(『解説』18-19頁)とだけ記されているのみである。接触・交流を活かした主題学習も消えてしまった。その分、日本と世界の接触・交流が重視されるようになった。「(1) 世界史へのいざない」の「イ 日本列島の中の世界の歴史」が設置され、日本列島と世界の交流の主題学習が促されている。またここでは、平成11年版で重視された人や物の扱う接触・交流が受け継がれている。学習指導要領の本文中の「内容」に「日本列島の中に見られる世界との関係や交流について、人、もの、技術、文化、宗教、生活などから適切な事例を取り上げ、年表や地図などに表す活動を通して、日本の歴史が世界の歴史とつながっていることに気付かせる」(『解説』16頁)と記されている。