渋谷孝「国語科の教材研究は国文学研究の「亜流」の域を抜けきらない」(『教育科学国語教育』745号2012年 2月)

この論文の主旨

現在の国語科の教材研究は国文学の真似事であるので、生徒の立場での読みとり方を研究しなければならない

この文章は、中学校の教員の教材研究を批判し、教材研究の在り方を提言するものである。具体的に引用されたのが、茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき」という詩の教材研究。ここでは大学の国文学の真似事のように教材研究をした例が出て来る。それに対し、「国語科教材の研究は、生徒は困惑する箇所、授業者の考えつかない生徒の考え方が出される可能性のある箇所を予想すること」と提言している。

感想

確かにテクスト論だと、自由な読みが許されている。それこそ、根拠をもって自分の読みの論理を説明することがPISA型読解力としてもてはやされている。つまりは論理ゲーム大会。この文章では「生徒が問題の教材を読むということは、国語科教育において、生徒と教材としての文章だけである」として、その背景知識の細かい説明はいらないとしている。つまり、生徒がどう読むかが大切であると。まぁ予備校では評論を解くときに現代思想を、小説を読む時に時代背景を教えてしまいますが。知識の密輸がないとスキーマ自体分からない。