松戸清裕『ソ連史』ちくま新書 2011年

資本主義の本質は絶え間ない利潤の追求。人間の欲望の解放とともに、貧富の差の拡大や階級対立、格差の再生産が行われていく。そんな資本主義に対し、かつて20世紀にはソ連という国家がその矛盾を克服しようとした。結果としてソ連は崩壊してしまったが、西側先進資本主義諸国の「対抗文明」となり、これらの国家の「福祉国家」化を促したことに、価値があるとされている。


ではなぜソ連では計画経済が失敗に終わったのか。本著では「農村の非農民化と農民の労働者化」、「労働意欲」、「老害」、「豊富な資源により技術革新が起こらない」という原因から分析をしている。

農村の非農民化と農民の労働者化

ソ連では、農村において社会資本の整備が遅れ、都市と農村でものすごく格差が生じていた。そのため、人口が流出し、都市労働者となっていった。ここで面白いのが、都市に流出し労働者になった者たちが、臨時労働者となって近隣都市から送り込まれることである。こうして農村では非農民化が行われていった。
さらに、農民の労働者化という現象も生じていった。かつてはソフホーズ労働に加え、付属地で肉や牛乳などの蛋白源を生産していたが、農民の流出を止めるために保障賃金制が導入されると、付属地は放棄された。こうして、作業と生産の結果への無関心が生じ、最低限の労働で保障された賃金をもらい、商品を購入するという労働者と化したのであった。こうして農民と労働者の意識と態度が変容していった。

計画経済と労働意欲

計画経済ではノルマを課し、そのノルマの超過達成に対するボーナスと未達成に対するペナルティによって企業は生産への刺激を受けるものであろうと想定されていた。しかしながら、原材料・燃料の供給不足により、まず最初に闇経済から原料をあつめ、ノルマを達成するための突貫作業をする労働力を確保することが求められるようになる。こうして「通常の生産活動には必要の無い余剰な労働力を抱えていることは、労働生産性を低くし、労働規律の弛緩を招いたと同時に、労働力に対する需要を大きくして、労働者の売り手市場という状況を強めた」のである。ゆえに、労働意欲は低下していったとしている。

老害

スターリン存命の頃は、政治的指導者層や官僚は不安であり、流動的であった。だが、1966年の第23回党大会で、「体系的更新原則」の数値が削除されると、政治指導者や官僚は安定するようになった。しかしながら、人事の安定は人事の停滞をもたらし「老害」が発生する。「老害」は社会的流動を妨げ、若く、良い教育を受けて相対的には、思考が柔軟な人々が、影響力のある地位に就くことを妨げた。

豊富な資源により技術革新が起こらない

豊富な資源は、技術革新をもたらさない。国内的には、資源・エネルギーの節約やコスト削減の意識を弱めた。国外的には、資源を輸出することにより外貨を獲得し、それにより機械・食糧を輸入していった。このため産業の弱体化を招いた。さらに1970年代の石油危機では、西側諸国はエネルギーと資源を節約するための技術革新を行い、技術力全般を高め、生産の効率化に成功した。それに対して、ソ連は豊富な資源を輸出することで石油危機での技術革新が必要なかったため、工業はますます停滞することになった。