2013-01-09 パクス・ブリタニカの展開と諸地域の対抗 世界史コラム 1850年ころから70年代までの間に、日本をふくむ諸地域がどのようにパクス・ブリタニカに組み込まれ、また対抗したのか。 パクス・ブリタニカ時代のイギリス 経済…「世界の工場」 1851年に第1回万国博覧会開催⇒技術力と経済力を誇示 国際政治…クリミア戦争でロシアが敗北 ユーラシアにおけるロシアの進出にアドバンテージ 欧米諸国とパクス・ブリタニカ (1)組み込まれ…農業生産供給地・工業製品の市場 露・独…穀物供給地 米…綿花プランテーション (2)対抗…国家主導の工業化・自国産業保護 露…農奴解放令 米・独…保護関税政策 独のビスマルクによるベルリン会議(勢力均衡) アジア諸国とパクス・ブリタニカ (1)組み込まれ…イギリスの原料供給地・商品市場 オスマン帝国…トルコ=イギリス通商条約(1838年)によって市場が開放。 インド…イギリス綿工業の原料供給地・製品市場 中国…アヘン・アロー戦争⇒朝貢・冊封体制の崩壊⇒総理衙門の設置 日本…日米修好通商条約⇒資本主義体制に組み込まれる。 (2)対抗 オスマン帝国…クリミア戦争で財政破綻⇒ミドハト憲法⇒露土戦争で停止 インド…インド大反乱⇒失敗して直轄植民地 中国…洋務運動⇒清仏戦争・日清戦争で敗北 日本…明治維新⇒近代化に成功