橋爪大三郎、大澤真幸、宮台真司『おどろきの中国』(講談社現代新書、2013年)の雑感

日本人が中国に対して思う疑問点を大澤真幸が質問し、橋爪大三郎が答える対話方式。
中国は、「主権」国家ではないと断じたり、主権概念と冊封体制の対立を指摘したりと面白い。
特に歴史認識の相違に関する日本人の傾向についての話が印象深かったのでまとめておく。

日中の歴史問題まとめ

  • 過去との連続性
    • 謝罪は「ごめんなさい」とだけ言えばすむわけでない。…「こういうことをして、こういう間違いをしたから、ごめんなさい」しなきゃいけない。でも、肝心の何をやったか、何を間違えたかという部分を、日本人自身がよく理解していない。…日本は、戦前の中国を侵略した世代と、現代の世代とのあいだの、連続性を設定することに、失敗しているわけ。失敗しているから、過去について謝れない。
  • 戦争責任と国際関係
    • 靖国問題東京裁判と一体です。この裁判は、国際法違反や倫理道徳違反についての罪を、もっぱらA級戦犯が悪かったという虚構を打ち立てて手打ちとし、天皇と大半の日本国民から取り除いて、日本の戦後復興への国際協力を可能にするための工夫でした。…日中国交回復の際も、周恩来首相は東京裁判の虚構を踏襲することを宣言し、日本国民は騙されただけで悪くなかったとしています。
  • 日中関係がぎくしゃくする原因
    • ヤスパースの場合は、責任と表裏一体の関係にある罪を次の四つの水準に分けている。刑事上の罪、政治的な罪、道徳的な罪、形而上の罪です。…ナチスと一般のドイツ人を同等に扱うわけにはいかないのだから、たとえば、刑事上の罪や政治的な罪を問われる人と、そこまでは責任を問われない人とを分けることができる。しかし、日本では、そのような戦争の中心的な遂行者を分節することができないので、誰がどの水準までの罪や責任をおわなくてはならないのか、ということを差別化できない。
    • そうすうると、歴史に対する態度は二つの極端に分かれるしかない。ひとつは、過去のひどい愚かな過ちを犯した人たちと現在の自分たちとのつながりを否定する態度です。あれは、自分の生まれる前の蛮行であって、自分とは関係ない、と考える。もうひとつは、過去と現在の自分たちとのつながりを引き受ける代わりに、過去の倫理的な過ちを割り引く。戦時の日本人や日本軍のやったことも全面的には悪いとはいえない、善い面、肯定的な面もあったとみなすわけです。
    • どちらをとったとしても、謝罪ができない。前者の場合には、謝罪は不可能です。何しろ、過去の過ちを「自分たちのもの」として引き受けられないのですから。後者の場合には、謝罪は不要になる。過去の自分たちがやったことは、必ずしも、全面的には悪くはない、ということになるからです。ここに、戦後の日本の困難、日中関係をぎくしゃくさせてしまった原因のひとつがあるのではないでしょうか。
  • 「過去の構え」と「未来への構え」
    • A級戦犯の作戦指揮は悪かったし、そのことを政府も国民もよく理解するし、彼らを取り除けなかったことを悔やむ、といった東京裁判田中角栄周恩来合意に表明された意思は、「過去への構え」の承認と「未来への構え」にかかわる手打ちという意味で、きちんとした謝罪になっています。
    • 戦争世代から遠く離れた世代が心からの謝罪の気持ちを継続できないころが自明である以上、後続世代は東京裁判図式がもつ意味をよく理解し、かつ未来志向的な信頼醸成が最終的には得になることをわきまえたうえで、やっぱり東京裁判はイヤだなどと蒸し返さないことが大切です。