残念な俺達の青春事情。(体験版)の感想・レビュー

まず一言。全然「残念」ではない。タイトル詐欺。ヒロインは一般的な常識人に近い。
ご都合主義的な空間の中で仲良しオトモダチごっこを繰り広げるテキストを延々と読まされる。
社会不適合なヒロインたちを救済する「少女救済ゲー」かと思いきや、むしろヒロインはフツー。

主人公くんも斜に構えてないし、世の中に対して積極的に関わっていく。
アホの子は学校の勉強ができないだけで、むしろしっかりもののお母さんタイプ。
守銭奴はただの節約好きなだけで、必要なモノには投資を惜しまないし、吝嗇というわけでもない。
自堕落なのにきちんと大学受験とかして将来の進路を決定しており全然堕落してない。
コミュ障も人付き合いが苦手なことを誇張表現しすぎかと思われる。

残念ヒロインゲーなのではなく、ゲームをやって「残念」に感じた。

概要


  • まったくもって「残念」でない
    • まず作品の世界自体がご都合主義満載であり、ヒロインの「残念さ」が全く活かされず、残念に感じます。「コミュ障」がいきなり転校時の挨拶で「愚民ども」とかのたまうのですが、その行動が教室の雰囲気で受け入れられてしまうのです。もっと「残念」さを表現するなら、ここでクラスが静まりかえりヒロインをキワモノ扱いして孤立させるくらいやってやらないといけないでしょう。ところが、そんな様子は全然ありません。そして主人公くんたちは自分たちの仲良しグループを作ってリア充ライフを満喫していきます。「社会不適合者な俺達でもみんなで力を合わせれば、学校生活を楽しくできる」とかいう趣旨の内容を述べています。全然「残念」ではありません。そもそも「学校生活を楽しくする」、「現状を変えることができる」というプラス思考を持つものたちが「残念」と言えるでしょうか?どんなに努力しても個人の力では現状を変えられず次第に精神が磨滅していき、それでもこの世の中で生きなければならず、生きづらさを感じて喘いでいる。そんな時に同じような境遇の理解者たちと集団を形成して、残念な俺達が精神的な相互扶助関係を結んでいくことで、社会を生き抜いていく。そんなCLANNAD的「残念さ」であれば良かったのになぁと思いました。友達作って学校生活をエンジョイするような人々を「残念」として認めることはできません。明らかにスクールカースト上層部だろうと思います。学校という狭い空間で受け入れられなくとも、違う場所で生きられる道を見つけるなど、既成の価値観に受け入れられなくとも生きることを模索するという意味での「残念」ならば、いくらでも描きようはあったのではないでしょうか?


  • ヒロインも残念ではない(1)アホの子について
    • ヒロインが全然残念な感じではない件について。特に言及したいのがアホの子とされているキャラ。アホの子といえば『ゆきうた』の菜乃や『さくらシュトラッセ』のかりんなどが代表として挙げられるでしょう。つまりは色々と「足りていないキャラ」を従来はアホの子と指していたと思います。しかしながら、本作においてアホの子とされているヒロインはただ勉強ができないだけです。精神年齢も大人びており地に足着いた思考と行動が出来る人物像です。人間関係にも配慮ができ仲間内でもヒロインや主人公くんたちが傷つかないようにサポートしています。そして料理も得意であり、栄養バランスや食事の摂取について色々と気にかけてくれるのです。その姿はまさにお母さん。アホの子といえば「ほっとけない」「面倒をみてあげなきゃ」というお父さん・お兄さん的な父性で接することになるキャラかと思いますが、本作ではその反対を地でいっているのですね。ライターさんは何をもってして「アホの子」と設定したのでしょうか!?もう「お母さん」でいいじゃん?と思います。



  • ヒロインも残念ではない(2)守銭奴について
    • 守銭奴というと幼少期に教育テレビで見ていたにんたま乱太郎のきりまるとかいう人物のイメージが強烈に刷りこまれてしまっています。また守銭奴とは少し違いますが、ゼロ年代における日本で出現した新自由主義経済の拝金主義者たちのような人々のイメージもあります。これらのような性格設定ならゲームの趣旨である「残念」に当てはまると思います。しかしながら本作の守銭奴ヒロインをみると「投資家」の性格の方が強く全然「残念」ではありません。確かに小銭に固執する描写が一応挿入されていますが、吝嗇というわけではなく、必要な時には惜しみなくカネを投資するタイプです。また金融投機とも違い、企業としての社会的責任を果たすことで利益を回収するタイプです。発展途上国に対して、雇用創出や教育活動の支援をすれば、現地の人間が購買力を持つなり識字率が向上するなりして、最終的に日本の商品やサービスを購入する消費者が拡大するというイメージです。他のヒロインもそうですが、何かこう無理やり「残念」というイメージに当てはめただけのように感じます。