その時歴史が動いたポツダム宣言 前編「米ソの攻防 〜原爆投下・トルーマンの決断〜」

第二次大戦中、フランクリン=ルーズヴェルトの死により副大統領から昇格したトルーマン。しかし、トルーマンは外交経験もなく、大戦中の国際会議の知識もないまま、ポツダム会談に挑むことになった。トルーマンが大戦を終結に導く手持ちカードは三枚で、(1)ソ連の対日参戦、(2)天皇制の保持を条件とする日本の降伏、そして(3)原爆投下であった。会談中、ソ連スターリンは自国の権益拡大を主張することに始終し、トルーマンと対立することになる。また、アメリカの世論は日本の天皇制維持に反対していた。そんな苦難が続くトルーマンのもとに届いたのが、原爆実験成功のお知らせ。これによりトルーマンソ連を排除した大戦終結に見通しが持てるようになり、強行にポツダム宣言をまとめ上げていく。当初は米英二カ国が発表しようとしたトルーマンであったが、中華民国国民政府の蒋介石に電報で承諾させ、米英中の三カ国で出すことになった。ソ連を除外して早期に日本を降伏させ戦後のイニシアチブを握りたいトルーマンは原爆を投下。しかし原爆だけで日本が降伏することはなかった。ソ連満州侵攻により陸軍強行派が揺さぶられたことと、天皇制維持のための交渉がおこなわれたことにより、日本は8月14日にポツダム宣言を受諾したのである。こうして日本は9月2日に降伏文書を調印して戦争は終結した。ポツダム宣言は戦争を早期に終わらせるという名目のもとで原爆投下の免罪符となったが、最終的に三枚のカードが揃って日本が降伏したのであった。


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