名士会における三部会開催要求は「反乱」か「革命」か?

特権身分への課税


日本社会のセーフティーネットワークはザルです。資本家にとってとても都合の良いものにできています。
年金や社会保険などに入れないギリギリの時間数の契約となっています(入れるのは雇用保険のみ)。
規定コマ数を超える場合は「補講」という形での別体系の賃金支払い(・・・そんな馬鹿な)。
時間数を超えると学校側が保険料を折半しなきゃならなくなるからねー。
だから複数校掛け持ちとかいう状態になるのです。辛いね!
そんなわけで住民税や保険料、年金は自分で払うのですが日本って重税じゃね?


・・・今回のはなしで「特権身分への課税」を扱うからといって強引すぎだわ。
フランスは独立革命の支援や英仏通商条約により財政が悪化していたわ。
そのため財政難の解決のために免税特権のあった貴族に課税をしようと名士会を開くのね。
名士会では貴族たちが三部会開催を要求するのだけど、この動きの解釈が問題になってくるのね。

「革命」をどのように捉えるか?


まずここで出題者が要求しているのが「革命」をどのようなものとして捉えるかです。
(1)【革命=単純な政治体制の変革】の場合→貴族の絶対王政に対する挑戦=「革命」となります。
(2)【革命=社会システムの変革】の場合→貴族と王権の権力闘争=「反乱」となります。


ただ知っている知識を吐き出すだけでなく、きちんと「解釈」と「その根拠」が必要だわ。
日頃から生徒を鍛える際には、同じ歴史事象の異なる解釈の比較をやらせておきたいわね。
教科書1冊を精読させるのではなく、教科書の読み比べをさせたりとかしてるわ。

絶対王政の成立による国王と貴族の関係の変化


まずこれは絶対王政が全然「絶対」じゃないよという有名な話を思い出しましょう。
中世の封建制から近世の絶対王政への移行は王権の伸張と主権国家がキーワード。


えっと、確か中世においては国王は諸侯たちの中の一人に過ぎなかったのよね。
諸侯達は領主裁判権とか不輸不入権とか封建的特権を持ってて国王から自立していたし。
さらに国外を見ると教皇権とか皇帝権とかの普遍的な権力が存在していたわね。


それが中世末期になると諸侯は衰退していき、国王の集権化が始まります。
百年戦争における弱体化や貨幣地代による荘園経済の衰退とかやりましたよね?
さらに教皇権に対抗して開催されたのが三部会でした。
聖職者への課税をめぐるフィリップ4世VSボニファティウス8世の争い。


中世においては明確な領域もあいまいで国内に複数の権力がいる状態。
近世だと官僚制と常備軍により対外的にも独立し国内全体で最高権力を有しているわね。
貴族達は衰退後、王の廷臣として組み込まれ王権を支えることになったのだわ。
一方で、貴族達は免税特権を有してアンシャン=レジームの下で特権身分になったのね。


国王は貴族層と新興市民層のバランスを取りながら統治していました。
絶対王政においては国王は特権の付与の調整を行うことで君臨できていたのですね。
だからこそ「特権身分への課税」は、貴族達には衝撃的なものとなりました。
故に貴族達は名士会において三部会の開催を要求したのです。
これは特権を保障される代わりに廷臣として働く関係から、
国政に口を出す関係を求めたことになります。


ふーん。だから貴族達は絶対王政に挑戦することになったのね。
この意味では確かに名士会における三部会要求は「革命」と言えるわね。

フランス革命の際のスローガン


フランス革命の際のスローガンはどのように処理すればいいのかしら?


これは「革命」の解釈のハードルを上げるのに使います。
つまりは三部会の招集は政体の変化の話だけれども、
社会システムの変革ではないということを説明するために利用しましょう。


三部会の要求は「国王の存在」や「特権の存在」自体に踏み込んだものではないわね。
また特権を維持するために王権を制限しようとした限定的なものになるわ。
フツーに考えて貴族たちは共和制の確立や国王の処刑まで目指してなかったと思うのだわ。


フランス革命のスローガンといえば啓蒙思想に則ったラディカルな変革。
アベ=シェイエスの『第三身分とは何か』や「人権宣言」で主張されたのは何だったでしょう。
身分制の否定・人権の確立・国民主権・封建的特権の廃止・・・
そして最終的には共和制へ移行しましたね。


なるほどね。フランス革命のスローガンは社会システムの変革を唱えているのね。
アンシャン=レジームを廃して近代市民社会への移行。
そう考えると貴族の三部会開催要求は、ただの反乱にすぎないと解釈できるわね。