「ケルン大聖堂シリーズ(1)〜中世都市市民の一般状況〜」

ハイパー資料集タイム。
それはツマンネー授業の際に資料集を眺めてトリップすることで時間を潰すことである。
主に国語便覧や社会及び理科の資料集が大活躍する。


学校のセンセーには当たり外れが多く、ろくに教材研究してこない奴の授業はつまらないわ。
逆に受験に必要ない科目でも教員が下準備を念入りにやってて面白いやつは聞いてたわ。
それを考えれば教員の影響力は大きいわね。教科を楽しくもつまらなくもできる存在。
受験科目でも授業ツマンネ→内職タイム。
ケルン大聖堂というと、ツマンネ―授業中に資料集でよく眺めていた想い出があるわ。
世界史資料集のケルン大聖堂ゴシック様式で、三角に尖ってて印象深かったわ。


そんなケルン大聖堂がリード文になっている一橋大学からの出題です!
「…領主であったケルン大司教から12世紀初頭に自治権を勝ち取った市民達がいた」
上記の下線部から「中世都市市民の一般的状況」を説明させるという趣旨の問題です。
ここではまず、「ケルンってどんな都市だったっけ?」という所から始めましょう。


ケルンは所謂「司教座都市」というやつね。
カテドラル(司教座聖堂)や修道院を中心に発達したの。
ケルンの他にはマインツなんかも有名ね。
どうでもいいけど中世都市というと『狼と香辛料』を思い出すわね。
 →中世ヨーロッパの遠隔地交易を取り扱ったラノベよ。


「中世都市市民の一般的状況」が出題者の要求だから、これを満たす説明をする必要があります。
方針としては中世都市市民の「自由」がどのような性質であったかを中心に述べていきましょう。
「都市の自治による市民の自由」と「ギルドによる自由の限界」がポイントです。


じゃあ、まず「都市の自治による市民の自由」について。
まず市民の自由だけど、何からの自由だったのかしら?
これは「封建的束縛」からの自由だったのだわ。
中世ヨーロッパ封建制社会を思い出して欲しいわね。
農奴たちは荘園において賦役や貢納を課されていたわね。
農奴達は封建的束縛からの解放を求めて、都市に流入したの。
「都市の空気は自由にする」ってやつね。


しかしなぜ農奴たちは都市に流入すると自由になれたのでしょうか?
これには都市が自治権を獲得していったことと関係があるのですね。
中世ヨーロッパは荘園制に支えられた農業社会でしたが、
封建制の安定とともに荘園内の生産が増大していきます。
余った生産物を交換するための定期市が開かれれるようになり、
交通の便利な場所には商人集落が形成されます。
これが次第に荘園内の手工業者などを吸収し中世都市へと発展していきます。


ケルンなどの古代以来のカトリック教会の司教座都市でも、
商業の発展と共に商人集落が都市の外側に形成されたわ。
それは司教の保護下で繁栄することになり、都市に統合されることになるの。


こうして中世都市は経済力の上昇により自治への要求を強めていきます。
自治権を獲得した中世都市は封建領主の支配から自由になったのです。
以上により農奴が荘園から都市に逃れれば自由になれたのですね。
しかし、これはあくまでも領主支配からの自由であったことを忘れてはいけません。


中世の都市市民が自由といっても決してみんな自由で平等だったわけではないわ。
下層民は市政から排除されていたし、日常の市民生活全般もギルドにより規制されていたの。
商人ギルドによる市政の独占は、やがて手工業者たちから反発を招くわ。
手工業者たちが同職ギルドを形成し、市政参入を求めてツンフト闘争を展開するのよ。


ギルドの力で都市の自治権が獲得されましたが、ギルドにより自由にもまた限界があったのです。
特に同職ギルドは厳格な徒弟制が敷かれ、
構成員の数・製品の規格や価格・品質や量などが、細かく定められました。
これは組合員の相互扶助・商品の品質維持・技術の伝承に役立ったのですが・・・
弊害もまた生じたのです。


ギルドは中世末以降、閉鎖的な特権団体に転化し、次第に形骸化していくのね。
親方への隷属、過度の統制という問題もあったわ。
このギルド規制はイギリス産業革命における木綿生産の発達にも関係してくるわ。
イギリスではキャラコの輸入代替として綿製品が国産化されて技術革新が進んだのだけれど、
その背景には木綿分野ではギルド規制などの制約が少なかったことも背景にあるのね。


簡潔にまとめると「中世都市市民の一般状況」はこんな感じ。
・都市の自治により市民は封建的束縛から解放される領主支配からの自由があった。
・しかしギルドにより市民の日常生活は細かく規制され、市政への参加も制限された。
自治都市における市民の自由の在り方を扱う必要があるため、
生徒たちには自由の性質の違いを考えさせることができますね。