雑録

ケルン大聖堂シリーズ(2)「建築物とナショナリズムについて」


ケルン大聖堂って1248年に起工されたんだけど、完成したのって1880年なのよ。
1560年に中断されて1842年に再開しているわ。
一橋大学は19世紀前半にケルン大聖堂建立再開への情熱が高まった理由を要求してくるの!
政治的状況・文化的状況に分けて説明しろというのね。


ちなみに下線部が引かれている文章は以下の通り。
「大聖堂建立への情熱は、まさにこの時期(引用者註:フランス軍占領下の時期)から再びよみがえった。1842年に再開された建立資金の半分はプロイセン政府が、残り半分は市民たちが負担した」
ヒントになるのは「フランス軍占領下」。
フランスに敗れた屈辱からプロイセン改革が始まったことを覚えて居ますか?
ここから19世紀におけるドイツの「ナショナリズムの昂揚」を導き出しましょう。
つまりケルン大聖堂は「国民統合の象徴」として建立することが求められたのでした。


ケルン大聖堂だけでなくモニュメントによるナショナリズムは色々紹介されているわね。
浜島の『世界史詳覧』では「「祖国」の過去の栄光を想起させ「祖国のために死ぬ」ことの正当性を納得させるための国民的シンボルである」と叙述しているわ。
トラファルガー広場凱旋門ブランデンブルク門の写真が掲載されているの。


まぁこんなわけでケルン大聖堂の建立再開をナショナリズムの昂揚から説明するわけです。
まず政治的状況から確認していきましょう。
ドイツ統一の機運のキーワードは「初めにナポレオンありき」。
フランスに敗北し1807年に結ばれたティルジット条約でプロイセンの領土は半減してしまいます。
この状況に対し、プロイセンでは近代化政策が行われるのです。
シュタインとハルデンブルクによる農民解放などの行政改革や営業の自由化などの経済改革。
シャルンホルストグナイゼナウによる軍政改革。
フンボルトによる教育改革。
またフィヒテは連続公演「ドイツ国民に告ぐ」でドイツ人の民族意識を鼓舞します。
1834年にはドイツ関税同盟が発足し、プロイセンによる経済的統一が進んでいくのです。


続いて文化的状況ね。19世紀ドイツ文化はロマン主義の動きが顕著だったのね。
国家統一の悲願のために、個別的な歴史や民族文化の伝統が尊重されたわ。
文学ではグリム兄弟がゲルマン神話や民話を収集して『グリム童話集』を編集したの。
歴史学では厳密な史料批判によるランケの近代歴史学の成立ね。
近代国民国家としての各国の成立を正当化しようとしたわ。
法学ではサヴィニーの歴史法学。法の歴史性や法と民族精神の関連を重視したわ。
経済学ではリストの歴史学派経済学。経済的後発国における保護貿易政策を主張したわ。
このようにしてドイツではナショナリズムが昂揚していったのね。


ケルン大聖堂建立再開は19世紀前半のドイツにおけるナショナリズムの昂揚が背景にある。
政治的状況についてはナポレオンに敗北した後のプロイセン改革が民族意識を鼓舞した。
文化的状況についてはロマン主義が顕著となり歴史や民族文化の伝統が尊重された。
こうしてケルン大聖堂は「国民統合の象徴」としての役割が期待され、建立の情熱が蘇ったのだ。