稲野強『マリア・テレジアとヨーゼフ2世』山川出版社 2014年

ハプスブルク家の中央集権化についての内容。ヨーゼフ2世の強引な集権化があったからこそ、その反動として多民族国家を形成していた諸民族のナショナリズムが昂揚し、各地の独立運動につながっていたという流れ。私は学部の時の研究テーマが言語政策であり、植民地統治下における国語教育の反動が各地の「民族語」を創出させた〜とかいうパターンを見てきていたので、ヨーゼフ2世の画一的なドイツ語政策(言語令)によって各領邦で「国家語」の意識が強まったというパターンの共通点が面白かった。

  • この本の目的
    • ハプスブルク家の母子君主が、啓蒙思想一色の新時代に、ヨーロッパ屈指の伝統と権威をもつ王朝と国家を守り、それを強化するために、どのように改革や外交を推進し、またそうした施策に母子の価値観の相違がどのように投影されたかを解明する。
    • 上記の解明の過程を通して、18世紀における中・東欧の地域の複雑な様相とその時代状況を浮き彫りにする。

印象に残った箇所のメモ

  • マリア=テレジアの夫フランツ・シュテファンの再評価
    • 重商主義政策を推し進めるのに尽力し、企業家としても大成功をおさめ、「女帝」を財政面から支えた。
    • オーストリア継承戦争での負債はほぼ全額フランツ・シュテファンが投入した私財でまかなうことができ、また彼の莫大な遺産は全額ヨーゼフ2世にゆずられた。ヨーゼフ2世はそれを私物化せずにすべて国庫におさめる。
  • ハプスブルク家の民衆統治〜王朝の一体性・権威の可視化〜
    • 君主とその宮廷の華麗な姿は王侯貴族の前だけでなく、民衆の前に好んで晒されたのである。すなわち、公式行事、祭祀や儀礼のたびに着飾った王子・王女たち、女官、衛兵、貴族、僧侶、華麗に装飾された馬車の列や、祝祭のときには数万本の蝋燭の眩い光で街路が照らされ、数千発の花火が打ち上げられる、そうした演出効果で幻想の世界がつくられ、それらを体験した民衆が王朝の賛美者に仕立てあげられ、「フェリックス・オーストリア(幸せなオーストリア)」の神話・伝説を作り、流布させる担い手となった。
    • マリア・テレジアならではの臣民統治の創意工夫
      • 女性・家族・子ども・多産・夫婦愛とカトリック的な美徳である従順・謙譲・清廉を組み合わせ、それを可視化したこと。そのようにして作り上げられた王朝の威光・崇拝・賛美、敬慕の表象として絵画芸術の影響は甚大であった。
  • マリア・テレジア初期の国政改革
    • ハウクヴィッツによる管理庁の創設と領邦の統合
      • 1749年に従来のオーストリアチェコの各政庁を一つに統合して管理庁を創設し、行財政上の中央官庁としての機能を一本化した……管理庁に従属する中間官庁として諸邦には王領地を含めて行財政を管轄する領邦政庁が置かれ、さらにそのもとに地方行政の末端組織として郡庁が配置された。郡庁は地域住民を直接統轄する位置にあり、治安・徴税・軍隊の召集、貴族領主の直営地の監視などの権限を有し、中央政庁の意志をハプスブルク家領の末端にまで貫徹させ、官僚制機能の重要な部分を担った。こうしてオーストリアでは歴史上はじめて各邦の枠をこえて中央と地方との官僚機構の一体化がはかられ、家領の統合化・集権化が進む態勢が整えられた。
  • マリア・テレジア後期の国政改革
    • 国内統合を目指してい貴族や教会といった中間諸権力の特権を奪うことを目指した…
      • …聖職者の免税特権が廃止され、反宗教改革を長期にわたり推進してきたイエズス会が1773年に解散された。イエズス会の土地・財産は没収され、学校教育事業などに利用されたが、その経済効果は無視できないものがあった。そのさい職を失った聖職者に、それまで身につけてきた学問・教養を教育現場で活かす道が開かれ、彼らが学校教育、知的文化の向上・拡大に貢献したこともまた見逃せない。
  • ヨーゼフ2世の改革
    • 寛容令(1781)
      • 政治的目的…絶対主義体制を確立するための手段として国家内で国家を形成するカトリック教会を国家に従属させ、管理し、国家教会の樹立をはかる。
      • 経済的目的…国家財産の増大化をはかり、宗教上差別されていた人々を解放し、人的資源として生産活動に寄与させる。
    • 農奴制廃止令(1781)
      • 農業の近代化をはかるうえで最大の障害である農奴制の廃止は農民の営業機会を拡大し、新しい中間層の形成を促進させた。また自由な労働力は人口増加とそれにともなう競争や社会的上昇とその逆に多くの無産労働者を生み出す素地をつくったといえる。そして今や自由な労働力は、一方では営業利益を促進させ、他方では資本主義的に組織された大規模な工業生産のための基礎を提供した。
    • 言語令(1784)
      • 行政の一体化のためにベルギー、ロンバルディアを除く全邦一律のドイツ語の公用語化がはかられ、官庁、教育機関などで実施されることになり、それに対応して教育制度も改編された。ただしドイツ語化は、民族や伝統の異なる諸邦の反発をまねき、逆に諸邦の愛邦主義に火をつけたために啓蒙思想の影響を受けた知識層による諸地域の文化的独自性の発見・研究を促す契機をつくった。