宋学が中国の歴代王朝やその近隣諸国で官学として受容された理由


宋学朱熹によって大成されたわよね。論点は以下の二つだわ。
「なぜ朱子学がその後の歴代王朝でも正統な学派とされたのか?」
「なぜ近隣諸国でも朱子学は官学として受け入れられていったのか?」


そんなわけで朱子学のおはなしです。朱子学というとどんなことを思い浮かべますか?


朱子学って倫理でやった江戸期日本思想のとごちゃまぜにしやすいのよねー。適当に列挙すると、理気二元論、居敬窮理、上下定分の理や大義名分論華夷秩序などがあったかと思うのだわ。


ここで問題設定を振り返ってみましょう。求められているのは・・・
「中国歴代王朝で正統学派とされた理由」と、「近隣諸国で官学となった理由」です。


まず前者について考えてみるわね。中国歴代王朝で正統学派とされた理由。
中国の支配体制を見てみると、君主を頂点とする専制支配体制をとっているのだわ。
そうすると支配者にとって都合がいいのが、大義名分論となるわね。
上下の秩序を永遠不変の原理とし、君臣関係の上下の秩序を重んじたのだわ。
つまりは立場が上の者に対して逆らえなくなるので権力者にとっては都合がよくなるわね。


続いて朱子学が近隣諸国で受容された理由だね。
江戸朱子学を想起すればわかるけど、上下定分の理などは中国の大義名分論と類似している。
また李氏朝鮮では両班たちが朱子学によって理論武装し王権を支えた。
支配者層との親和性が強かったことは東アジアの統治にも受け入れられたんだね。


けどそれだけかしら?


もちろん、それだけではない。日本型華夷秩序とか朝鮮式華夷秩序とか聞いたことがあるはず。


確か華夷変態(明清交代)と「いわゆる」鎖国が関係しているのよね。


明朝が清朝に征服された結果、日本も朝鮮も我こそ「正当な」中華の継承者であると自称したのですよね。日本の場合、朝鮮からの通信使、琉球からの謝恩使・慶賀使、オランダ商館長の江戸参府などの儀式を通じて、異国が服属していることを演出し、日本こそが「中華」であると示そうとしました。つまり江戸幕府が、かつて明朝が東アジア世界において作り上げていた国際秩序を、日本を中心にしたものとして再解釈しようとしたのが日本型華夷秩序なんですね。朝鮮の場合も同様で、朝鮮は清朝に服属することになったけれども、清朝はあくまでも夷狄が建てた国であり、朝鮮こそが儒教の伝統を継承する正統な中華であると解釈したのが朝鮮式華夷秩序(小中華)なんです。


つまりは「華夷の別」を自国に援用して、日本でも朝鮮でも、自らが中華であると自称することで国際秩序の中の自国の立ち位置を安定させようとする狙いがあったのね。


まとめると「大義名分論」が支配者にとって都合のいいイデオロギーであり、「華夷の別」が中国にとっては中華思想、日本や朝鮮にとっては自国を中心とする国際秩序を演出するために使われんただね。