富田武『シベリア抑留』(中公新書、2016年)

  • この本の趣旨
    • 従来の「シベリア抑留」概念を、歴史的にはソ連による自国民の強制労働から繙くことで深め、地理的には南樺太北朝鮮など「ソ連管理地域」に、検討対象も軍人・軍属の捕虜中心から民間人抑留者に広げることによって、抑留研究を前進させようとしたもの。
  • 筆者の意図
    • シベリア抑留が日本人固有の悲劇ではなく、内外数千万の人々を苦しめた「スターリン独裁下の収容所群島」の一環であったことを世界史的視野から構造的に理解させる。

内容抜粋

  • 略奪と労働力使役としての賠償(pp.44-45)
    • ソ連東ドイツ占領地区から工業設備を「物的賠償」と称して撤去、搬出したことはよく知られているが、個々の将兵も略奪した物資を小荷物として故郷に郵送することが認められていた……賠償問題を検討する委員会は、捕虜労働力の使役を「人的賠償」と位置付けたのである。さらにドイツ民間人も労働に使役される……赤軍が解放したルーマニアユーゴスラヴィアハンガリーブルガリアチェコスロヴァキアの労働能力あるドイツ人……を、ソ連における労働のために動員、抑留することが決定されていた。
  • ドイツ人捕虜の精神状態(p.66)
    • 多数派屈辱感、自己嫌悪に囚われながら、生き残るための生存競争に必死だった。この点では強制労働収容所の「人間が人間に対して狼となる」状態と同じである。異なるのは、「遠くない将来に」帰国できる希望がある点で、それまで音楽などの娯楽、文化活動に慰め、生き甲斐を見出して堪えられた点であろう。
  • ドイツ人捕虜の過酷な使役(pp.83-84)
    • ドイツ人捕虜は敗戦国の捕虜ゆえに「人的賠償」の名の下に過酷な労働を強いられた。戦中・戦後を通して収容所における待遇は非人道的だった。そこに独ソ戦争前半の国土破壊と大量殺戮に対するソ連側の報復の心理も働いていたことは疑いない。
    • ドイツの領土割譲と分割占領・国家分裂は連合国の政策だったが、領土を獲得し、工業設備を持ち去り、市民に略奪・暴行を働いたソ連にドイツ人全体も、ドイツ人捕虜も敵意を向けた。ソ連による捕虜に対する反ファシズムの政治教育がある程度受け入れられたとしても、ソ連の現実の行動が帳消しにしていた。
  • 日本のソ連頼みの終戦工作(p.87)
    • 最高戦争指導会議(首相、外相、陸相海相、陸軍参謀総長、海軍軍令部総長)は、六月二三日の沖縄戦敗北後、ソ連による対米英戦争の和平仲介に望みをつないでいた。七月二六日の日本に無条件降伏を求めるポツダム宣言も、それが米英中三国の名で発表され、ソ連が入っていなかったことから、彼らは和平仲介幻想を維持し、ポツダム宣言を「黙殺」した。そこに広島、長崎への原爆投下とソ連参戦を招いた大きな要因があることは疑いない。
  • 満州棄兵政策(p.89)
    • ……「関東軍作戦計画訓令」(昭和20年1月)中の「対ソじきゅせん考案の基本方針」には、次のように記されていた。「持久作戦により主たる抵抗は国境地帯に於いて行い、これがため兵の重点は成る可く前方〔国境より〕に置き、これら抗戦部隊はその地域内に於いて玉砕せしめる。兵力の二重使用、武器資材の追送補給は原則として予定しない」。……まさに棄兵である。
  • 満州敗残兵(p.103)
    • 敗残兵の小説形式の回想記としては、五味純平の『人間の條件』(1956-58年)に勝るものはない。「無敵関東軍」が敗れた時の惨状、天皇制軍隊の階級制度と一般社会、植民地に対する優越と差別を、主人公「梶」上等兵の部隊と周辺の出来事をとおして見事に描いている。そのインテリ文学青年の「梶」も、敗残兵仲間や中国人を殺してしまう。他方、ソ連の略奪、暴行を被害者たちから聴いて、ソ連に対する好感も消え去る。捕虜になって尋問されたときに「あなた方の理想が正しかったから、ドイツにも日本にも勝ったに違いない。けれども、勝利者にだって戦争の犯罪はあるのですよ」と語った。
    • 主人公は収容所を脱走し、雪の中を彷徨して倒れ、恋人を瞼に浮かべながら息を引き取る。同名の映画でも有名なラストシーンである。
  • ソ連捕虜にみる日本の全体主義(p.131)
    • 捕虜が自分たちを長期にわたって抑留し、過酷な労働を強いた最高責任者に感謝するという転倒は、天皇制軍隊とスターリン捕虜収容所が実は、兵士の精神構造においては瓜二つの存在だったことを思わせる。それだけ天皇制軍隊と戦前の国家が兵士=大衆を、画一的に思考し、命令一つで行動するように教育したということで、ナチズム研究の学術用語を使えば「強制的に同質化」していたのである。
  • カニバリズム(p.139)
    • 飢餓の末のおぞましいカニバリズム(人肉食)は太平洋戦争では知られていたが、シベリアでもあったことを加藤久祚が回想記に書いている。バム鉄道沿線のコロンナ(建設の進捗に伴って移動する収容所作業所)で三人の捕虜が脱走したが、うつ二人は捜索で捕えられた。彼らは現場で射殺されたが、残る一人を食糧として連れて行ったことが判明したのである。
  • 抑留生活川柳(p.144)
    • 川柳は抑留生活をユーモラスに、時には自虐的に描いたもので、鬼川太刀雄の『ラーゲリ歳時記』はその傑作集と言える。労働を義務づけられなかったエラブガ収容所の将校たちが、ある種の精神的ゆとりをもって詠んだものである。
    • 進化論 人はだんだん 猿に似る
      • マルクス主義は進化論を前提にしているが、収容所では人間は食べ物をあさる猿のような存在に退化してしまうという痛烈な批判
  • はじめてのみんしゅしゅぎ(p.145)
    • 軍国主義一色だった日本では、とくに軍隊では人前で自由に意見を言うことも、議論して物事を決めることも極度に制限されていた。戦後ようやく一般人は占領下でアメリカ民主主義を受け入れる一方、シベリアの捕虜たちは抑留中にソヴィエト民主主義を学んだのである。保守派が意図的に混同する共産主義の思想ではなく、民主主義のルールを学んだと言ってもよい。
  • 千島列島占領戦(p.182)
    • ……ソ連軍は千島列島を順次南下し、択捉、国後、色丹、歯舞諸島を九月五日にかけて占領した。日本が米艦ミズーリ号で連合国に対する無条件降伏文書に調印したのは九月二日である。ソ連は米英とのヤルタ協定南樺太及び千島領有の了解を得ており、歯舞諸島占領まで軍事行動をやめなかったのである。
  • 企業の国有化、計画経済導入(pp.187-188)
    • 一九四六年二月の幹部会令は南樺太ソ連編入のほか、大企業、鉄道水運、通信、公共事業の国有化を規定し、実際に六八二の企業が国有化された。
    • 企業が国有化されると、日本人の働き方にも変化が生まれた。企業は自立性を失い、計画経済の下でソ連官庁出先機関ソ連人管理職の指揮下で動かされるようになり、日本人労働者にも作業ノルマと厳しい労働規律が課されるようになった。
    • 石炭産業では、欠勤や職場放棄、「消極的サボタージュ」に近い労働ぶり、きわめて不十分な規律が横行した。その原因は、食糧供給が悪く、賃金の遅配があり、医療衛生サービスも不十分だったからである。通訳がごく少数しかおらず、作業指示伝達が困難だったこと、労働者が計画・ノルマ制度に馴染めず、本土に帰りたくて仕事に身が入らなかったことも大きな要因だと思われる。