ロシアにおける第二次世界大戦に関する歴史認識について

第二次世界大戦についてロシアとその他の国では歴史認識が異なる。またプーチン愛国主義的歴史政策を取ろうとしているが、歴史教科書は複数解釈を取り上げようとしている。

参考文献:立石洋子「現代ロシアの歴史教育第二次世界大戦の記憶」(スラヴ研究 62号 2015 pp.29-57)

ロシアにおける歴史認識に関する議論

  • ロシアと旧ソ連圏・ヨーロッパの歴史認識の相違(p.30)
    • 2005年にモスクワで開催された対独勝利60周年記念式典は第二次世界大戦の評価をめぐるロシアと諸外国の対立を浮き彫りにした。これ以降、ロシアと、旧ソ連諸国ならびにヨーロッパ諸国の公的歴史認識との対立がロシア内外の研究者の関心を集めている。
      • 参考文献:橋本伸也「旧ソ連地域における歴史の見直しと記憶の政治:バルト諸国を中心に」『歴史科学』206号、2011年、10-30頁
  • 90年代の新たな動向を代表する教科書となったй.й.ドルツキーの10年生用の教科書におけるソ連と西欧の歴史認識の相違の紹介(p.32)
    • 結論部分では、ソ連と西欧の支配的見解について、前者はソ連がドイツと日本に対する勝利に決定的に役割を果たしたとし、後者はアメリカを「勝利の建設者」、「民主主義の武器庫」とみなしていることを紹介する。そのうえで、どちらの見解がより適切であるか、第二次世界大戦を2、3の時期に区分し、それぞれの時期を比較して検討せよという課題を生徒に提示している。
    • この教科書に見られるように、1990年代に作成された教科書は、生徒に史実の解釈の多様性を教えることを重視した。
  • 第二次世界大戦を評価をめぐる論争の国際化(p.36)
    • 2005年5月にモスクワで行われた対独戦勝60周年記念式典は、ロシアと他国の第二次世界大戦の認識の違いをあらためて際立たせた。
    • EUの東方拡大後、ヨーロッパでは東中欧諸国の公的歴史認識をヨーロッパ全体が共有することが新たな課題となり、欧州議会は5月22日に採択した「ヨーロッパの未来−第二次世界大戦60周年」のなかで、ソ連が東欧諸国にもたらした専制を含む「あらゆる全体主義体制」と共闘することを宣言した。さらに翌年には同議員会議が「全体主義共産主義体制の犯罪への国際的非難の必要性」を採択した。
    • ブッシュ大統領アメリカ議会も、ソ連の支配をナチスの占領と同一視するバルト三国の公的歴史観に賛同する意向を表明した。
    • こうした国際社会の動向に対して多くのロシアの政治家が不快感を表した。たとえば欧州議会のロシア代表、C.B.ヤストルゼムスキーは、ソ連はバルト諸国を「占領」したのではなく、合法的に選挙されたバルト諸国の政府との間には合意があったと主張した。
  • ロシアを刺激し続ける第二次大戦やスターリン体制の評価をめぐる国際社会、特に欧州議会の動向(p.38)
    • 2008年9月に欧州議会独ソ不可侵条約が締結された8月23日を「スターリニズムとナチズムの犠牲者を追悼する欧州の日」とする決定を採択……
    • ……続いて10月には、1930年代初頭にウクライナで起こった飢餓を人災により引き起こされたものとして追悼する決定を採択した…
    • ……さらに翌年には、ヨーロッパにおけるナチズムや共産主義体制、権威主義体制の犠牲者を追悼する「ヨーロッパの良心と全体主義」に関する決定が採択された……
  • 歴史による国民統合(p.39)
    • ロシア歴史協会は2012年に創設された社会団体であり、その目的に歴史の歪曲との対抗に加えて、国民的記憶を保存することでロシアの社会と政府、知識人、芸術家、歴史家を統合することなどを掲げている。
  • 歴史家モロゾフに対するインタビュー(2013年12月18日実施)にみる普通学校の歴史教育(p.42)
    • 5年生 中国、ギリシャ、インドの古代史
    • 6年生〜9年生 世界史とロシア史を並行して時系列に学ぶ。9年生では20世紀のロシア史を学ぶ
    • 10年生 世界史とロシア史の授業が繰り返され
    • 11年生 20世紀のロシア史を再び学ぶが、これらの学年での学習内容は高等教育機関への入学試験と密接に結びついている。

2013/14年度に教育科学省の推薦を受けた普通学校の9年生用教科書におけるスターリン期と第二次世界大戦の描写について

1)スターリン時代の描写
  • 大テロルについて
    • B.B.スホフ、モロゾフ、Э.H.アブドゥラエフの教科書
      • 大テロルの拡大の要因は政治指導部による抑圧的政策だけでなく、普通の人々の上昇志向や個人的敵対心、住居を手に入れたいという望みもその背景に存在したと説明する。
    • O.B.ヴォロブエフ、B.B.ジュラヴレフ、A.П.ネナロコフ、A.T.ステパニシチェフの教科書
      • 1930年代のソ連では「情熱と抑圧、古い社会の伝統との闘争、全人類的な規範の忘却、啓蒙への志向と大衆意識の公然たる操作」といった相容れない現象が同時に起こったとし、これがソ連の「全体主義」の基本的特徴だとする。
      • 同書は、この時代には新たな生活の建設への情熱と飢餓や抑圧、イデオロギー独裁という悲劇が密接に織り交ぜられていたとも述べ、このような矛盾の原因は何かという問いを授業中のディスカッションの課題の一つとして生徒に提起している。
  • それぞれの教科書の章や節の末尾には生徒への課題が掲載されており、生徒自身に史実の意味を考えさせようとする工夫がみられることについて
    • スホフらの教科書
      • 電子データベース「クラーグの回想とその著者たち」を用いて、1930年代の政治的抑圧の犠牲者となった人々の生涯について調査せよという課題を課している。
      • またスターリン時代を生きた多くの人々が、大テロルの抑圧を受けた人々は実際に罪を犯したと考えたとし、その理由を考察するように求めている。
    • Д.Д.ダニーロフ、Д.B.リセイツェフ、B.A.クロコフ、A.B.クズネツォフ、C.C.クズネツォフ、H.C.パヴロヴァ、B.A.ロゴシキンの教科書
      • 生徒に対して、なぜ1930年代に政治的抑圧を受けた人々はスターリン体制を肯定的に捉えたのか、あるいは非難しなかったのかという問いを投げかけている。
      • スターリン体制下の政治と社会の関係を生徒に理解させようとするこれらの課題には、政治史と比較して社会史の記述が少なかったと言われる90年代の教科書からの大きな変化が見られる。
  • 否定的に描かれるスターリン時代の農村の状況
    • ザグラディンらの教科書
      • 強制的な農業の集団化は農村にカタストロフをもたらした。
    • B.C.イズモジク、O.H.ジュラヴリョーヴァ、C.H.ルドニクの教科書
      • 人口増加や短期間での教育水準の向上といった都市の発展は農村の犠牲によって達成されたのであり、飢餓と政治的抑圧は数百万の死者を出した
      • そのためスターリン時代とその代償は常に激しい議論を呼んでいる
    • B.A.シェスタコフ、M.M.ゴリノフ、E.E.ヴァゼムスキーの教科書
      • 生徒に対して、1930年代の工業化と農業集団化がソ連に与えた犠牲は正当化しうるかという問題を、年配の人々にインタビューして考察せよという課題を生徒に課している。
    • ヴォロブエフらの教科書
      • 1932-33年にウクライナ、北カフカース、ヴォルガ沿岸、カザフスタンなどの穀倉地帯で拡大した飢餓を、農業政策における指導部の「重大な誤算」と説明する。
      • そのうえで、授業中のディスカッションのテーマとして、この飢餓で数百万人の死者が出たにもかかわらず、穀物の支給量は常に高い水準を維持しており、1930年の穀物輸出は1928年と比べて50倍にも増大していたと説明し、飢餓の真の要因は何だったのかという問題を掲載している。
    • スホフらの教科書
      • 「飢餓が特定の地域で起こったのは偶然だったのか」、「飢餓はウクライナではどのように呼ばれているか」という問いを掲載し、飢餓について教えるだけでなく、それについてウクライナとロシアの両国間に解釈の違いがあることを教えようとしている。
  • 生徒自身に史実を調べさせ、その意味を考えさせようとする工夫。それぞれの教科書が写真や政治指導者の演説、内務人民委員部の報告、日記や回想、手紙など豊富な一次史料を掲載している点にも見て取れることについて
    • Д.Д.ダニーロフらの教科書
      • ソ連社会は社会主義体制に到達したとされる1936年のスターリン演説と、当時の農村での苦しい生活状況を訴える農民の声を伝えた内務人民委員部の報告を並べて掲載し、両者を比較せよという課題を課している。
  • スターリン体制とナチズムを「社会主義体制」として同一視する歴史解釈がロシア政府と諸外国との間で外交問題に発展していることについて。教科書のなかで「全体主義」という用語をスターリン期の説明に用いるもの
    • ヴォロブエフらの教科書
      • 1930年代について述べた節に、「全体主義システムの形成」といった題目をつけている。
    • Д.Д.ダニーロフらの教科書
      • 「国家と社会の関係に関するムッソリーニの理念は1930年代のソ連社会に当てはまるか」といった質問
      • 30年代のソ連の政治体制の「全体主義的兆候」を、具体例を挙げて検討せよという問題
    • シェスタコフらの教科書
      • スターリン末期の社会と政治、経済のシステムは「全体主義体制のあらゆる特徴」を帯びたとし、その主な特徴として国家と党の主要組織の一体化、党の中心的国家組織への変貌、個人を完全に統制しようとし、あらゆる反対派と自由な思考を禁じたことなどを挙げている。
2)第二次世界大戦の描写
  • 1938年のミュンヘン協定の評価(ヨーロッパの指導者たちは宥和政策によってドイツをソ連の攻撃に向かわせ、戦争から逃れようと考えたというもの)
    • A.A.ダニーロフ、Л.Г.コスリナ、M.Ю.ブラントの教科書
      • 西欧諸国がドイツをソ連との戦争に向かわせた
      • ヒトラーソ連東部を支配しようとしていたことはソ連の指導部にとって明らかであり、集団安全保障構想にヨーロッパ諸国の支持を得られなかったソ連は、ドイツとの協定を余儀なくされた
    • ザグディンらの教科書
      • ミュンヘン協定は英仏へのソ連の信頼を失わせ、ソ連を犠牲にして「新たなミュンヘン」を準備しているのではないかという疑いが抱かさせたとし、第二次世界大戦への道を開いたのはミュンヘン協定だと述べる。
      • イギリスは1939年7月に、事実上ソ連と戦争状態にあった日本の中国での権益を認めたとも記述している。
    • ヴォロブエフらの教科書
      • ミュンヘン協定を英仏の「近視眼的政策」と説明する。
  • 単にソ連の政策を正当化しようとする記述だけが目立つわけではないことについて
    • グゼンコヴァの指摘
      • 近年のロシアの歴史教科書の第二次世界大戦の評価は一義的ではなく、その矛盾した側面を描いていると述べている。
    • A.A.ダニーロフの教科書
      • 大祖国戦争は正義の戦争であり、全人民的性質を持ったとしながらも、戦勝の代償は政治指導部の誤った政策の結果でもあったと述べる。
  • フィンランド戦争について(国際連盟からの除名や軍事的敗北がすべての教科書で否定的に描写されている)
    • イズモジクらの教科書
      • フィンランド民主共和国の成立はソ連が「国際社会を欺くための試み」であったとし、カレロ・フィン共和国の成立についても、「勝利は達成された、しかしなんと大きな代償を払ったことか!」と述べて、この戦争が赤軍の威信を喪失させ、ヒトラー赤軍の弱さを確信させたこと、ソ連国際連盟から「侵略国」として除名されたことを説明する。
    • ザグディランらの教科書
    • A.A.ダニーロフが作成に関わった2冊の教科書
      • ソ連の行為が国際社会に「侵略行為」とみなされ、国際的孤立を招いたことと赤軍の威信の失墜を強調している。
  • 1939年に締結された独ソ不可侵条約と秘密議定書について(中立的な記述が多い)
    • シェスタコフらの教科書
      • 独ソ不可侵条約と議定書はヒトラーをヨーロッパでの戦争に向かわせ、世界史を大きく変えたとする一方で、この条約を評価するには、西欧諸国も同様にヒトラーを戦争に仕向ける政策をとったことを理解する必要があると述べる。
    • ヴォロブエフらの教科書
      • 多くの人がこの条約によって「スターリンヒトラーと同じ道に立った」と考えられてきたし、現在も考えていると説明する。そのうえで、「政治的冒険主義と近視眼性」に対するソ連指導部の責任は否定できないが、スターリンはこれによってドイツとの戦争を回避しようとしたのに対して、ヒトラーは正反対の目的を追求したことを指摘しなければならないと述べる。
    • Д.Д.ダニーロフらの教科書
      • 独ソ不可侵条約の本文を資料として掲載し、この条約によってソ連はドイツと日本と同時に戦うことを回避できたと説明している。
  • 独ソ不可侵条約の評価について論争が存在することを教え、生徒自身にその解釈を考えさせようとする工夫
    • A.Ф.キセリョーフ、B.П.ポポフの教科書
      • 独ソ不可侵条約は現在も政治家や外交官、研究者の議論の対象であり続けていると説明したうえで、独ソ不可侵条約に関する国内の文献のなかで最も説得力があると思われる説を探し、そのうえで自分の見解を説明するよう生徒に求めている。
    • シェスタコフらの教科書
      • 独ソ不可侵条約の評価が現代歴史学のなかで論争を呼び続けている理由を考察すること
      • さらに独ソ不可侵条約と議定書が「世界史を大きく変えた」、つまりヒトラーをヨーロッパでの戦争に向かわせたという同教科書の記述に対して、賛否両論を提起することを課題としている。
    • スホフらの教科書
      • ミュンヘン協定とソ仏交渉、独ソ不可侵条約に対する同教科書の評価を、他の教科書や学術論文、学術書の評価と比較し、それぞれの見解について議論するよう求めている。
  • 1939年のソ連ポーランド侵攻と翌年のバルト諸国の編入の評価について(教科書によって異なっている)
    • ザグラディンらの教科書
      • バルト諸国やポーランド指導部は内戦期からソ連を主要敵とみなしており、ドイツを敵とは考えていなかった、そのためソ連とはいかなる協定を結ぶ意図もなかったと説明し、ソ連とこれらの国の敵対関係を強調する。
  • バルト諸国の編入について(否定的な記述が多い)
    • シェスタコフの教科書
    • スホフらの教科書
      • バルト諸国ではソ連への編入後多くの人々が抑圧され、シベリアに追放されたと述べる。
      • さらに生活水準の低下は当初赤軍を歓迎した人々さえも失望したし、ソ連の強制的介入によって実施された選挙では、共産党の反対勢力を支持した人々は逮捕されたと説明している。
      • 同書によれば人々に投票を強制する手段として、投票に来た人々のパスポートにスタンプが押され、パスポートにスタンプがないことは「人民の敵」であることを意味したのであった。
    • A.A.ダニーロフが作成に携わった二冊の教科書
      • バルト諸国は自発的にソ連と協定を結んだわけではなかったとする。共産主義者を加えた新政府の形成というソ連の要求に対して。軍事統制の脅威に直面したバルト諸国は同意せざるを得なかった。こうして誕生した新政府がソ連への編入を要請したのであった。
  • バルト諸国に対するソ連の政策の変化を説明したもの
    • キセリョーフとポポフの教科書
      • バルト諸国がヒトラー接触しようとしたことが、ソ連がバルト諸国への介入を強める要因となったとするが、それとともに新政府がソ連の厳しい統制下での選挙で形成されたことも説明している。
    • イズモジクらの教科書
      • ドイツによるデンマークノルウェー、オランダ、ベルギー、フランスの占領後、ドイツがバルト諸国を占領する可能性をソ連が恐れるようになったこと、同時期のバルト諸国で反ソ連プロパガンダが広まっていたことが、ソ連がバルト諸国の内政へ介入する要因となったと説明する。
      • それと同時に同教科書は、「現地住民の支持のもとで」共産党政権が形成されたとも述べている。
  • 多民族国家ソ連の道徳的、政治的団結の強調(推薦教科書にみられる顕著な共通点のひとつ)
    • A.A.ダニーロフらの教科書やザグラディンらの教科書
      • 多民族国家であるソ連は軍事攻撃により簡単に崩壊すると考えたヒトラーは、その多民族性を利用しようとしたが、これは誤りであったとし、すべての人が国家の防衛を自らの民族的課題と考えたと説明する。
      • またA.A.ダニーロフは生徒への課題として、赤軍に作られた非ロシア諸民族の部隊について調べ、これらの部隊への参加の動機について考察せよという課題を出し、赤軍の多民族性を生徒に理解させようと努めている。
  • ソ連の諸民族による対独協力(すべての教科書で言及)
    • ザグラディンらの教科書
      • バルト諸国や西ウクライナ、クリミア、チェチェン、カルムィクではドイツを支援することで自らの民族主義的理念を実現できると考える民族運動が起こったと述べる。しかし、「これらの地域でも大部分の住民がドイツとの戦いに加わり、祖国を守った」のであった。
    • イズモジクらの教科書
      • ドイツ兵をボリシェヴィズムからの解放者とみなす人々が現れた背景にはスターリンの圧政と強制的な農業集団化があり、このような気分は戦争直前にソ連に併合された西部地域で最も顕著だったと述べる。
      • 対独協力を理由とする民族強制移住については、一部の人々の裏切り行為の責任を民族全体が背負わされたと説明することで、特定の民族全てがドイツ軍と協力したわけではないことを示している。
  • 民族強制移動について
    • ヴォロブエフらの教科書
      • 戦後の政治的抑圧の強化について述べた節の中で、その犠牲者として反体制活動で逮捕された人々とともに対独協力の嫌疑で強制移住に処せられた諸民族を紹介し、30年代から50年代初頭にかけて約350万人の人々の強制移住に処せられたとする。
    • A.A.ダニーロフらの教科書
      • ドイツ軍との協力者だけでなくその民族全体が非難されることが稀ではなかったとし、ドイツ人やバルト三国の諸民族、カラチャイ人、カルムィク人、バイカル人、クリミア・タタール人らの民族強制移住自治領の廃止について記述し、特にチェチェン人とイングーシ人については最大の事例として詳述している。
      • さらにこうした過酷な抑圧が、戦後の新たな民族運動の波を作り出したとも説明する。
      • そのうえで生徒への課題として、対独協力者が掲げた「スターリン体制との闘争」という理念は正当化しうるかという問いを考察するように求めている。
    • Д.Д.ダニーロフらの教科書
      • 強制移住は1940年代から50年代には「合法的な罰」と考えられていたが、1980年代に「自国民に対する犯罪」と認められたと説明したうえで、「現代ロシアの国民」として、どちらの立場にどのような理由で同意するかという問いを投げかけている。
    • シェスタコフらの教科書
      • チェチェン人、イングーシ人、ドイツ人の強制移住を命じた公式文書や強制移住の過程を報告した内務人民委員ベリヤのスターリン宛て報告を資料として掲載し、「強制移住」という単語の意味を辞書で確認させるとともに、これらの民族の強制移住の理由を調べて指導部の行為の合法性について考察せよという課題を課している。
      • さらに「利敵協力」とは何か、その原因は何か、ドイツが占領した他国とソ連の「利敵協力」の共通点と違いは何かという問題を掲載している。
    • A.A.ダニーロフらの教科書
      • 覚えるべき新たな用語として「強制移住」を挙げ、その意味を説明している。さらに生徒への課題として、強制移住の対象となった諸民族から一つの民族を選び、その民族がたどった運命を調べて授業で発表するように求めている。
  • 対独協力についてロシア人、非ロシア人を区別せずに記述するもの
    • スホフらの教科書
      • A.A.ヴラーソフや亡命ロシア人などロシア人による対独協力について説明し、その理由は臆病や貪欲さ、ボリシェヴィズムへの憎しみなど様々であったと述べる。
    • ヴォロブエフらの教科書
      • 対独協力者の中にはスターリンの抑圧や集団化の被害者、帝政の支持者、民族主義者のほかに、単なる臆病者や利己的な人々、勝利への信念を失った者がいたとし、その例としてヴラーソフが率いたロシア民族解放委員会について説明している。
    • A.A.ダニーロフらの教科書
      • ドイツ軍が利用しようとした民族運動の例として、ヴラーソフが率いるロシア解放軍とウクライナ人、クリミア・タタール人、北カフカースの諸民族の部隊をともに紹介したうえで、「しかし、ドイツ人はソ連の諸民族の友好を揺るがすことはできなかった」と述べる。
    • キセリョーフとポポフの教科書(批判的記述なし)
      • 「公式文書」の見解によれば強制移住は「反ソヴィエト的活動や無法者、スパイ、対独協力」を根絶する手段であったと記述するだけで、その公式見解の評価には言及していないし、他の教科書に見られるような批判的記述もない。
  • 1944年夏にワルシャワで起こった非共産主義勢力の武装蜂起について(一部の教科書が触れるのみで評価も異なる)
    • Д.Д.ダニーロフらの教科書
      • 戦後のポーランド共産主義政権を樹立させることを望んだスターリンは、武器は供与したものの直接の援助は避け、その結果蜂起はドイツ軍によって鎮圧されたと説明する。
    • イズモジクらの教科書
      • この蜂起を赤軍が援助する可能性が存在したかどうかについては現在も議論が続いていると述べる
      • 蜂起の指導者は計画をソ連に知らせなかったとし、「いずれにせよ、ポーランド解放の際に60万人以上のソ連兵が死んだことを覚えておかなければならない」と記述している。
    • スホフらの教科書
      • この問題については歴史家の見解が分かれていると述べたうえで、
      • 赤軍は過酷な戦闘による疲弊により蜂起を援助することができなかった、
      • あるいは政治的理由からスターリンは意図的に蜂起を援助しなかったという二つの基本的見解が存在すると説明する。
3)第二次世界大戦の帰結
  • 戦勝による愛国心の高揚だけでなく、体制に対する批判の高まりとそれに対する政治的抑圧の強化の詳述
    • 西ウクライナやバルト諸国など新たにソ連領となった地域での反ソヴィエト・パルチザン活動、ドイツから帰還した元捕虜や青年の地下組織、政治闘争に負けた党官僚などに対する抑圧と、グラーグへ送られた人々の増大について説明している。
  • 民族政策(新たにソ連領となった地域での抵抗運動の弾圧に加えて、反ユダヤ主義的政策についてもすべての教科書が言及している)
    • A.A.ダニーロフらの教科書
      • 1946年のスターリン演説の中から「多民族国家のモデルである我々の体制は、諸民族の協力という問題を他のあらゆる対民族国家よりも望ましい形で解決した」という部分を引用し、この主張に賛成するか否かを生徒に問い、その根拠となる史実を示すように求めている。
    • ザグラディンらの教科書
      • ウクライナ西部やバルト諸国、モルダヴィアでは1950年代までソ連の統治に対する抵抗運動が続き、28万人が不当に収容所に送られ、そのうち名誉回復によって帰還できたのは6万5千人であったと説明している。
  • ドイツから帰還した元捕虜や青年の地下組織について
    • シェスタコフらの教科書
      • 戦争と国外での滞在の経験が、元兵士の間にソ連の現状に対する批判を生み出したと述べ、こうした気運は若者の中にも広まったとして、ヴォロネジで1947年に結成された非合法の学生組織「青年共産党」を紹介している。
    • ザグラディンらの教科書
      • 中欧の生活水準を目の当たりにした兵士や捕虜は「勤労者に対するテロルの支配」というブルジョワ社会についてのプロパガンダが偽りであったことを確信したとして、1920年代から30年代に形成された「単純な信念」が弱まったと説明している。
      • さらに捕虜となった人々は帰国後、政治的疑いの対象となり、200万人近くが収容所に送られたと述べている。
  • 戦後ソ連全体主義
    • シェスタコフらの教科書
    • Д.Д.ダニーロフの教科書
      • 生徒への課題として、「戦後のソ連全体主義のあらゆる兆候が強まったこと」を示すように求めている。
      • さらに戦後の東欧への赤軍の進駐について、現在ではこれを「解放」とみなすことを拒否する見解が存在するとして、こうした意見の根拠は何か、この立場に同意できるかという問いを生徒に提起している。

ロシアの歴史教科書をめぐる問題点

  • 一部教科書の市場独占
    • 推薦教科書の発行部数は、最も部数の多いA.A.ダニーロフらの教科書が事実上教科書市場を独占している。
    • A.A.ダニーロフらの教科書の特徴
      • 内政については全体主義論や政治的抑圧についての批判的描写など、他の教科書と大きな違いはない。
      • 外交については「カティンの森」事件や1944年のワルシャワ蜂起について言及がなく、ポーランド東部の併合についても否定的描写が見られない。
      • バルト諸国の併合は他の多くの教科書と同様に批判的に記述している。
  • 社会主義諸国の歴史教科書における第二次世界大戦の描写の分類
    • (1)ソ連時代の教科書に類似したタイプ
    • (2)ソ連時代の教科書を若干改良したもの
      • ロシア、チェコ共和国、スロヴァキア、アゼルバイジャンの教科書
      • 上記(1)の教科書と比較して第二次世界大戦をより多様で複雑な側面から描いており、自国にとって否定的な出来事にも言及している。
      • 下記(3)の教科書と比較すれば、第二次世界大戦について「融和的アプローチ」をとっており、ソ連時代の公的歴史像の見直しはより緩やか。
    • (3)ソ連時代の教科書をラディカルに見直したもの
      • バルト諸国、ウクライナグルジアの教科書
      • 第二次世界大戦の歴史を根本的に描き直し、対独協力をしばしば「解放運動」として描き、1944年以降のソ連の政策を「侵略的」と評価する。
      • たとえばロシア解放軍を率いたヴラーソフは上記(2)の教科書では「裏切り者」と見なされるが、(3)の教科書では「英雄」として描かれる。
      • ヴラーソフやロシア解放軍、対独協力について、ロシアの教育科学省の推薦を受けた教科書の中では「裏切り者」とする描写も「英雄」とする描写も見られない。