秋田県出身の女性文人である鷲尾よし子女史が満洲に郷土出身兵士を慰問に行く。
1938年9月1日~10月5日までを時系列順に描いている紀行文。
ここでは、どのルートを辿り、何を観光資源として消費したかを分析していく。
大連・奉天・新京・ハルピン
- 9/5
- 大連着。ヤマトホテルで座談会。満洲における日本米生産について
- 9/6
- 大連2日目。昭和女学校、大連済善堂、平和街、泥棒市場
- 9/7
- 大連3日目。満鉄訪問。
- 9/8
- 9/9
- 9/10
- 8時新京着。太陽ホテル、満拓、ヤマトホテルで昼食(フランス料理)、市中見物、満人街、養狐場、一平(日本料理屋)
- 9/11
- 新京2日目。豆タクで観光。南嶺の戦跡、忠霊塔、中央飯店
- 9/12
- 9/13
- ハルピン2日目。ロシア寺院の鐘で起床。ヤマトホテルで豪華な朝食、白系ロシア人の美しい少女、老年のロシア女の肥満で醜い姿、ロシア人乞食、忠霊塔、ハルピンの寺院、登喜和デパート、ニューハルピン、赤い夕陽、21時10分ハルピン発牡丹江行。
視察・慰問
- 9/14
- 7時50分牡丹江着。8時10分佳木斯行乗り換え。「勃利」駅、愛路少年団(ロシア人少年団)、「倭肯」駅、19時23分佳木斯着、四国屋。
- 9/15
- 9/16
- 兵強慰問、両腕のない兵士。20時40分牡丹江着。
- 9/17
- 9/18
- 秋田平の前で演説。ソ連領グロデコーとの国境、満人の赤ん坊の死骸を山に捨てる習慣、夜牡丹江へ戻る、軍都牡丹江の発達、旅館払底
- 9/19
- 朝ハルピン着。興亜塾、移民訓練所視察、風邪をひく。
- 9/20
- 訓練所2日目。訓練所と職員の待遇の格差。正午:ハルピンへ戻る。キャバレー観光。ハルピン名物ヘツアルスカヤのフンタシヤ
- 「ヘツアルスカヤのフアンタシヤである。舞台には、ロシヤ少女が踊つてゐた。〔……〕お酌をさせてゐたサービスガールと踊るのもあり、伴れのレデーと踊るのもある。日本婦人はあまり出ない。ロシヤ少女、満人少女、朝鮮少女が色とりどりにウインクを送る。男たるもの、豈にそれ―ならざるを得んやである。サービスガールが一列に並んでゐる〔……〕おとなしさうなのとオキャンらしいのを呼んで〔……〕あどけない可愛い金髪少女が見事な飲みっぷりである。〔……〕舞台ではハンガリーダンスの、ピラミツト・グランテレビーユーだのが進行し、暗くなってはお客がおどる〔……〕」(pp.153-154)
- 訓練所2日目。訓練所と職員の待遇の格差。正午:ハルピンへ戻る。キャバレー観光。ハルピン名物ヘツアルスカヤのフンタシヤ
- 9/21
- 9/22
- ハルピン博物館(東京や京都などに較べたら田舎の古道具屋、但し獣の皮は素晴らしい)(p.159)、ロシア人経営デパート「秋林」、モデルンの会、23時半ハルピンを去る