大槻涼樹・虚淵玄『沙耶の唄』(講談社、2018年)の感想・レビュー

クトゥルーカニバリズムで有名な『沙耶の唄』。
設定が『火の鳥』復活編っぽいなと思っていたら、作中で言及されていた。
惑星外生命体の支配種層の乗っ取りは『レベルE』が彷彿とされた。
15年前にPC版をやるべきだったな・・・。

メモ

  • 概要
    • 主人公くんは『火の鳥』復活編よろしく事故を契機に人間や物質を汚物のようなものとしてしか認識できなくなってしまいます。その中で唯一まともな人間の姿として見られたのが、一人の少女:沙耶だったのです。こうして主人公くんは従来の人間関係を切り捨てていきながら沙耶にどっぷり嵌っていくことになります。この沙耶という少女はクトゥルーをモチーフとした地球外生命体であり、地球の支配者層の種族を乗っ取るため、様々な地球の知識体系を身に着けていきます。沙耶が最後に辿り着いた知識がラブロマンスであり、主人公くんのために、人肉フーズを用意したり、周辺の人類を変造させ肉塊に作り変えたりしていきます。そんな異形の存在である沙耶や主人公くんを退魔師的な存在が討伐しにきて、銃撃戦とか何やらのバトル描写が挿入され、最後は追い詰められていきます。最終的に沙耶は種の保存、子孫繁栄、としてタンポポの綿毛をモチーフに主人公くんと融合して拡散していくエンドとなりました。

以下本分320-321頁より

 私が沙耶と名付けた、あの生物-彼女が我々の宇宙へと現れた理由は、おそらく偶然ではなく、はたまた私の召喚によるところのみではなく、彼女に生物としてプログラミングされた本能の結果であろう。
 その意図するところとは、あらゆる生物の究極の目的意識-繁殖、である。
 彼女とその眷族は、異次元の壁を越えて種を撒き散らす生物なのだ。


 さて、彼女たちが異世界への扉を見つけ出す可能性は如何ほどだろうか。首尾良く異界への旅を成し遂げたとして、辿り着いた先が生命への繁殖に適した環境である可能性は限りなく稀少であろう。 
 そんな僅かな可能性を最大限活かすために、彼女たちの進化が選択した手段。それが沙耶の肉体に備わった驚異的な資質であろう。
 即ち-巡り合った世界においてもっとも繁栄している種族を選定、侵蝕し、当地の生態系における支配的地位もろとも略奪する。言うなれば種族の『乗っ取り』である。
 彼女たちは環境を制した遺伝子に干渉し、自らの眷族とするべく『書き換え』を行うのだ。それを可能とするだけの生態的機能を沙耶は、備え持っていた。

 
 標的となる種族はその繁栄の過程において、それなりの確率で知性を発現させていることだろう。それは当地の環境を支配する上で鍵となる要素であるのかもしれない。
 それ故に、沙耶たちの略奪は文化と精神にも及ぶ。あの驚異的なまでの学習能力と知的好奇心は、標的とする種族の培ってきた知的財産をそっくりそのまま継承するための本能である能力なのだろう。
 あるいは、彼女たちの能力は、初めから知的種族に照準を絞り調整されたものなのかもしれない。彼女たちが独力で運任せの次元航海を試みるよりも、異界において、外宇宙への探求に乗り出せる程度には発達した種族との接触を、虎視眈々と待ち受けていたほうがより的確に略奪しがいのある異世界へと侵出する機会を持てるのではないか。