雑録

カルロ・ゼン『幼女戦記9』(KADOKAWA、2018年)の雑感

  • 大まかな内容
    • 大衆による革命/軍部によるクーデタ前夜というはなし。レルゲン大佐ゲー。濃いオッサンたちが苦悩する姿が魅力的。
    • 東部戦線から後方へと舞い戻ったデグレチャフさん。総力戦体制により疲弊していく銃後を見せつけられる一方で、プロパガンダにより「勝利」なくしては戦争を終結できないというアンビバレンツに陥っていることをまざまざと知る。。このような中で軍部が政治に介入する機運が高まっていく。
    • ついには特攻兵器人間魚雷が開発・運用されることになり、デグレチャフさんも人間魚雷に乗せられて特攻して大英帝国の艦隊群を打撃を与える。このところ、ジリ貧消耗戦が続いていたので久しぶりの快勝!と思ったのも束の間、本土は強襲上陸攻撃を受けて脆弱さを露呈。
    • 同盟国であるイタリアが参戦してくれないので、イタリアを占領してしまおうという雰囲気になる。デグレチャフさんはイタリア侵攻の案件をルーデルドルフにされる一方で、ロメールからクーデタへの参加を婉曲的に促される。
    • そしてレルゲン大佐は、何もなしえない政治に軍部がつっこむのか、それとも参謀将校として沈黙を守るかで葛藤するのであった。

面白かったところなど

  • 日本人が仕事の能率が悪いことについて元エリートサラリーマンのデグレチャフさんが思うこと。
    • ターニャのように、政治的というよりは仕事人間的な人種には無益にしか思えない社内政治を思い出す。どこにでも、あるといえばあるものだ。つらい。どうして、皆、仕事に邁進できないのやら。足の引っ張り合いよりも、競業による協業の方が余程効率的だというのに。社会を愛する精神が足りていないのじゃないだろうか。社会あっての人間、社会あっての文明、とどのつまり社会あっての組織だというのに。(p.40)
  • 大衆を理解できないデグレチャフさんへのウーガ大佐の苦言(そういえば『幼女戦記』はエリートサラリーマンの悪癖を改宗させるためだけに世界大戦に巻き込む壮大なはなしだった)
    • 「…悪く取ってほしくないが、頭が冴えすぎる」…「……今少しばかり、人間の感情を『含有』してもらいたい」…「平たく言えば、人間としての当たり前をやってもらいたいのだ」…「物事の理非に対し『即決を求めすぎる。挙句、できぬ輩を否定しすぎる』。貴官の育ち、経験を思えば理解はできるが……悪癖というほかにないだろう」(p.125-127)
  • 大衆による革命
    • 「沸騰しきった人間ほど、案外、抑制が利く」…「叫ぶうちは、違う。叫べるうちは、声に出るのだ。一度、地に落ち、声を出さなくなってからは……なんというべきか」……「沈黙し果てた世論の爆発力。圧力を限界までかけられたマグマのようなものだ。本当に、畏怖すべきものがある」(pp.151-152)
  • ロメールがクーデタを促すニュアンス
    • 「政治が、現場に無理を強い過ぎている。軍は国家目標を遂行するための道具だが、生きている人間の集合体だ」…「使い潰される兵士とて、生きているのだ」(p.437)
  • レルゲン大佐の苦悩
    • 軍人としての義務は、政治の忌避。レルゲン自身、善良な個人にして邪悪な組織人としての経験は嫌というほどに重ねてきたが……所詮、手足としての役割だった。今や驚くべきことに、レルゲンという帝国軍大佐は『政治』への関心が心中で胎動しはじめている。ドクン、ドクン、と胎動するソレ。『抑え込むべきだ』と、帝国軍人は最初の最初から教えられている。もはや、己の価値観として内面化されるほどに反復して叩き込まれた。だからこそ、己の中の感情的な声は、断じて自制を求めて叫ぶ。「……どうすればいいのだ」 なのに、頭は、理性は、感情の制止を振り払い突き進もうとする。こんなことが、こんなことを、自分の脳裡は断じて是とするのだ。政治家が間違うのであれば、軍は、軍人は、これを『修正』すべきではないか、と。(pp.459-458)
    • 己、レルゲンという大佐は、優秀な歯車であり、歯車でしかない。だが、一介の歯車で有り続けることを許されぬ時、義務の求めは変わるのだろうか?…しかし果たすべき義務とはなんだ?軍人が、政治に絡むことが義務なのか?ただの『参謀将校』として、沈黙を守ることが義務なのか?……成すべきことを為さねばという責任感が己を苛んで仕方がない。ああ、畜生め。軍人の私が政治に突っこまざるを得ないのか?それとも政治の無為無策に沈黙せねばならないのか?どちらも、最悪の選択だ。最悪と次に悪いじゃない。どちらも糞だ。(pp.461-462)