- 本稿の趣旨
- 日本植民地帝国50年の歴史における「満洲」の役割とその意味を概観…する。
「満蒙問題」とその展開 ―満蒙は日本の生命線―
- 日本植民地史、日本帝国史の課題
- 日本植民地帝国の構造を総括しこれを西洋列強の経験と比較すること
- 日本植民地帝国の世界史的特質を指摘すること
- 日本の植民地帝国のパターン
- 日本の場合は、プロシアあるいはロシアに類似して、本国を中心に円環的に拡大した「大陸型」帝国と規定することができよう。
- 日本の「植民地問題」は結局のところ「中国問題」
- 流通利潤の上澄みを掬う状態からさらなる進出へ
- 民族自決時代における新たな中国侵略の方法
- 中国の国民国家形成と日本の対中政策の失敗
- 1928年、国民党による北伐の完了と南京国民政府の成立は、中国の国民統合における大きな転換点になった。西欧列強は、中国の民族自決権に理解を示しながら自らの中国利権は守るというワシントン体制の二重性を解消し、国民政府を正統中央政府として承認すると同時に、中国の国権回復運動に譲歩を示す姿勢をとった。
- この事態は日本を重大なジレンマに陥れた。国民政府が満洲=東三省を中国の一部として統合を目指す以上、満蒙における日本の「特殊な地位」が近日崩壊することは火を見るよりも明らかであった。いまや対中政策に障害となった張作霖を爆殺排除し、武力によってでも満蒙分離を強行しようとする関東軍の謀略は、田中義一内閣の崩壊、そして張作霖の跡目を相続した張学良による「易幟」により完全に失敗に終わる。この事態は、満蒙問題を梃子として成長をとげた関東軍にとってもその存在意義を問われかねない危機を意味した。
「満洲国」成立とその歴史的意義 ―ある歴史の終わり、そして新たな始まり―
- 「満洲国」成立が日本近代史に刻した歴史的意義
- 「満蒙領有案」から「独立国家建国案」への転換
- 国際的要因
- 国内的要因
- 「満洲から華北へ」欲望の肥大化をもたらした経済的要因
- 「満洲」経済の非自立性
- 大豆輸出の主要部分はやがて日露外国人資本に担われるが、しかし生産・国内流通・消費の場面における中国人ネットワーク・システムに基本的な変更はなかった……日本による「満洲国」の創設は、このネットワークを人為的に切断するものであった。満洲農村経済を維持するにせよ、鉱工業開発を図るにせよ、華北労働者の流入ないし季節移動を禁止しては円滑な労働力供給を行いえない。そして彼らの生活必需品の供給と配給をすべて日本が負担しえない以上、人為的に切断されたネットワークは法の網を潜ってでも再生する。「満洲国」の創設、すなわち面としての満洲の支配は、点と線による満洲支配の時代には見えなかった満洲経済の非自立性を明らかにしたのである。
- 「満洲」資源の不完全性
- 「満洲」経済の非自立性
- 侵略の新方式〜「なしくずし的侵略」〜
- その要点は、国際条約ないし協定を結びうるだけの形式的「独立性」の確保と統治者の「傀儡化」の達成、その結節点としての軍による「内面指導」方式の確立ということになろう。軍の統治石を伝達する「内面的指導」あるいは「内面指導」の回路は、主には軍に任命権を握られた顧問および(あるいは)日本人官吏を通じて行われた。
帝国の肥大と「満洲国」 ―満洲の日本化―
- 民族自決という形式をとらざるを得ないが故の独立性の強調、建国理念の喧伝