雑録

「高校の歴史学習で身につけること」と「歴史の複数解釈性」についてのメモ

どの教科書を使えばいいんですか論争にも役に立つかもしれない。

  • 高校世界史・日本史で身につけること
    • 教科書の内容を覚えるのではなく、自分で歴史の「能力」を育成するんだ!ときちんと意識する。
      • まず歴史用語や内容を暗記するという思考から脱しないと無駄です。なぜかというと歴史はその時代の問題意識に基づいて常に書き換えられていくから。あなたが今日覚えた歴史知識は10年後にはもう通用しないのです。憶えるだけでは意味はないのです。
      • 上記の話をするとジャア ナンノ タメニ レキシヲ ベンキョウ スルンデスカ?と悲しそうな顔をしながら高校生は言います。何故、歴史を勉強するのでしょう。歴史学習は、莫大な歴史用語を覚えるため【だけ】にやるのではなく、歴史的諸能力を身に付けるためにやるのです。
      • 国語だってそうでしょう?一度勉強した文章が入試問題でエンカウントすることなんてめったにありません。じゃあなんで国語を勉強しているかといったら、言語能力を身に付けるため。すなわち要旨把握能力、論理的思考力、内容構成力、主題分析力、題材設定力(人物像、場面展開、舞台設定、出来事とそれに対する心情変化)、具体例と抽象化などを身に付け、それらの言語能力で問題を解くのでしょう。
      • 歴史もそれと同じ。じゃあ歴史的諸能力って何?という話になりますが、よく言われるのが歴史的思考力や、歴史的な物の見方考え方。国際バカロレアのディプロマプログラム(IBDP)では6つの歴史的諸能力として、原因・結果・変化・連続・意義・視点を挙げています。
      • こうした歴史的諸能力を身に付いているかどうかを見るために、東大や一橋では論述問題が課されるのです。
  • 歴史の複数解釈性
    • 教科書は学習指導要領の内容構成に従って編纂されているので一定程度は均質ですが、全く同じではありません。歴史観歴史認識は個々によって異なるからです(難しいとか簡単とか、濃いとか薄いとか、レベルが高いとか低いとかではありません)。一つの教科書を使って、その内容を覚えればそれで良いとかいう思考回路はとっとと捨てましょう。ある程度の大学(二次試験で論述試験が課されるところ)を受けるならば、複数の教科書を使います(※全ての教科書を隅から隅まで暗記しろと言っているのではない)。特に世界史は山川の『詳説世界史』に加え、社会経済史対策に東京書籍の『世界史B』、グローバルヒストリー対策に帝国書院の『新詳世界史B』は読んでいると思います。あと教科書以外にも新書(岩波・中公・講談社現代)とか山川リブレットとか読んでますよね?教科書はあくまでも複数ある教材のうちの一つです。
    • 一つの歴史事象を叙述するにしても、執筆者によって語られ方が異なります。しかし好き勝手に歴史を語って良いかというとそうではなく、きちんとした根拠が必要なのです。つまり私たちは、その歴史事象の叙述がどのような根拠でそのような解釈になっているのかという事を分析できるようにならねばならないのです。
    • 一つの歴史事象についても複数の解釈があります。修正主義と自虐史観がいい例ですね。ここで高校の歴史学習がやることは、どっちが正しいかとかを教えこんだり、特定の歴史観を植え付けることではありません。異なる解釈A・Bがあったとしたら、Aという解釈はコレコレこういう根拠でAと言っている、Bという解釈はかくかくしかじかという根拠でBと言っているという風に、著述者の妥当性を検証できるようにさせなければならないのです。
      • 一橋で出たフランス革命の解釈についての問題が良い事例です。「名士会における三部会開催要求は「反乱」か「革命」か?」という問題。
    • これが歴史的諸能力のうちIBDPでいうところの「視点」の能力ですね。