松岡外交とか関特演本当にナゾ。
日ソ中立条約
- 日ソ中立条約と援蒋ルート
- 【問い】日ソ中立条約の日本側のねらいとして援蔣ルートの遮断が挙げられているが、実際に意図は満たされたのか?
- 【お答え】援蔣の抑止力にはなった。中国側はソ連に不信を抱いた。
- 【問い】日ソ中立条約の日本側のねらいとして援蔣ルートの遮断が挙げられているが、実際に意図は満たされたのか?
日ソ中立条約【『国史大辞典』より】
- 概要
- 草案は援蔣ルート遮断目的
- ドイツの電撃戦
- 松岡外交
- 条約締結(松岡は「四国協商」は幻想と知ったのに何故中立条約を締結したのか)
- 南進論の進展
- 日ソ中立条約の成立は、「北方での静謐(せいひつ)」を確保し、日本が南進政策を積極化する上で有利な外交的布石であった。
- 援蔣ルートへの打撃
- 重慶政権に与えた精神的打撃も見逃しえない。
- 対ソ戦の抑制
- 中立が維持されたのは独ソ戦やってたからなのでは?
- その上、太平洋戦争が開始されてから敗戦直前まで、曲がりなりにも日ソ間には中立関係が維持されたのは、この条約の存在ゆえということもできるであろう。
- 日ソ中立条約の最後
- しかし、昭和二十年四月五日、条約の有効期間(十六年四月二十四日より五年間)をまだ一年残して、ソビエト政府は中立条約の不延長を日本側に通告し、八月九日、条約に違反して対日宣戦に踏みきったのである。