雑録

極東蘇聯史004「関特演」

  • 前回やったことと今回やること
    • 前回はノモンハン事件 今回は関特演(1941年のはなし)→日ソ中立条約と関特演−関特演は条約違反か−

(1)日ソ中立条約

(1)-1.中立条約違反はどちらか?
  • 後々までずっと問題になって1945年の日ソ戦の時問題となる
    • 【資料1】江口圭一『十五年戦争小史(新版)』青木書店、2001年
      • →日本は関特演の時に中立条約を違反していた。ソ連が第二次大戦に参戦したことに意味があった。
      • 千島列島の蘇連への引き渡しは、報復的。抑留問題など。連合国の一員として意味はあったが、悪いこともいっぱいやってる。
      • 今の21世紀の時点から見ると古臭いかもしれない。連合国が正しい。早く戦争を終わらせることは正しいけれども論→戦後歴史学では有名な論調・見方となってる
  • ともあれ、中立条約については日本も破っているのではないか!!?
(1)-2.松岡構想
  • 1930年代 日ソ関係は比較的友好的でした  
    • 北鉄有償譲渡 事実上満洲国を認めている 
    • →それと同時に、蘇連側が日本に不可侵条約を何度も提案していました。
    • →日本は結果的には断っている 日本は北樺太の油田の権益を巡って争う 日本の油田と蘇連の油田が並んで開発している
      • 様々なソ連の法律により日本の北樺太石油を抑制。また漁業問題でもめる。紛争を解決してから不可侵条約を結びたい
  • 国境紛争が勃発し 日ソ関係が悪化していく
    • 日中戦争勃発以後(1940年代) → 日本側から不可侵条約を提案し始める。
  • 日本の陸軍も外務省も不可侵条約を考え始める 蘇連との関係は安定させておきたい
    • これを突き詰めていったのが松岡洋右
    • 1940年9月日独伊三国同盟が結ばれる→日本は明らかにドイツ側についていた
    • 松岡構想は日独伊蘇の四国同盟(協商) 
    • 戦後の結果が分かっているとおかしく感じるが、主張している人達は本気で考えていた。
    • 松岡は日独伊に蘇連を入れたいが スターリンは独蘇の悪化を懸念していた
(1)-3.日ソ中立条約調印
  • 1941年4月13日締結。領土の「不可侵」、中立、満洲国とモンゴル人民共和国の不可侵 
    • 前回お話したノモンハン事件は日本満州VS蘇連モンゴル こういうことが起きないようにした
    • この条約は非常にできている。日ソ間のもめごとを摘み取ろうとしている 
    • 満洲国は日本史では傀儡政権。モンゴルは現代日本の学校教育では独立していることになっているが、当時モンゴルを承認していたのはソ連だけ。
    • 満洲国は傀儡政権扱い(16カ国承認していたのに)。モンゴルは社会主義政権の独立国家として存在したと教えられているのだがね。
    • モンゴル地域、外蒙古は独立している、内蒙古は中国。満蒙の権益というように外蒙古は独立して育成しているのを見た時に、内蒙古は日本の権益だと見なしている。
    • 内蒙古満洲国に食付けてしまう。1920年代に満洲の権益というときに、敢えて満蒙というのは内蒙古を含んでいるという意味 
    • モンゴルは当時日本も認めていなかったので、外蒙古といってた。中立条約でモンゴル人民共和国を認める。

(2)関特演

(2)-1.独ソ戦
  • 1941年6月22日、独ソ戦開始
  • 同年6月25日 大本営政府連絡懇談会
    • 陸軍も海軍も対ソ戦には否定的。松岡がひとりで対ソ戦主張→二カ月後に蘇連を攻めるとか言い出す。
  • 戦後における松岡(1880-1946)自身の弁明 
    • 北進論を主張したのは、南進論が勃興したなかで、北進論を唱える事で、両論を思いとどまらせ、戦争をさせないようにしようとした。
  • 松岡の対ソ攻撃論に陸海軍は賛成せず
(2)-2.関特演
  • 防衛省のエピソード
    • 教授が防衛省へ行って資料調査してたら、女性研究者がそこにいて司書に国家の利益とならない資料について聞いたら職員が怒り出した件。
  • 1980年代当時の正式名称は関東軍「特別」演習(事典類、戦史叢書、教科書) だったが・・・
    • 江口圭一が原資料を見にいったら関東軍「特種」演習となっており、これを関特演と言っていた。
    • しかし 関東軍特別演習(7月16日〜31)※ただし7/2中止 がある。 
    • もともと、「特種」演習と「特別」演習(7月2日に中止され実施されなかった)の二つがあった!
    • →「特別演習」はこれは文字通りの演習。 「特種演習」は平時的なものではなく戦争 
    • 名称問題は「特種」演習が正しいことで決着がつきました
  • 実際に関特演はどのようなものであったか?
(2)-3 関特演の実態
  • ここで注目していただきたいのは・・・「熟柿の好機」 対ソ戦に関して何度も使われる。
    • 極東ソ連軍が西に移動してがら空き さらにドイツの攻撃により弱体化する 柿が堕ちるのを待っている
  • 動員をひたすら考えているだけ
    • 8月になって大本営の中で陸軍の情勢分析をした 
    • 独ソ戦が短期で終わらず 極東ソ連軍も減らず
  • 南進か北進か
    • 北進を断念した場合は、南進に行かざるを得ない
    • 陸軍の軍人はそのように考えている 現代人からすると両方しなくてよいという感じだが、

 

  • 関特演というのは平時的な演習ではなく、戦時動員。 
    • ただし、国境を越えず8月9日に中止(断念)。※完全に断念はしていない。
  • これをもって日ソ中立条約に違反したと考えられる。
    • 国境を越えていないだけ。ちなみにいうと蘇連は途中から盛り返して挽回しドイツ側に攻め込んで逝きます、