- 前回やったことと今回やること
- 前回はノモンハン事件 今回は関特演(1941年のはなし)→日ソ中立条約と関特演−関特演は条約違反か−
(1)日ソ中立条約
(1)-1.中立条約違反はどちらか?
- 後々までずっと問題になって1945年の日ソ戦の時問題となる
- ともあれ、中立条約については日本も破っているのではないか!!?
(1)-3.日ソ中立条約調印
- 1941年4月13日締結。領土の「不可侵」、中立、満洲国とモンゴル人民共和国の不可侵
- 前回お話したノモンハン事件は日本満州VS蘇連モンゴル こういうことが起きないようにした
- この条約は非常にできている。日ソ間のもめごとを摘み取ろうとしている
- 満洲国は日本史では傀儡政権。モンゴルは現代日本の学校教育では独立していることになっているが、当時モンゴルを承認していたのはソ連だけ。
- 満洲国は傀儡政権扱い(16カ国承認していたのに)。モンゴルは社会主義政権の独立国家として存在したと教えられているのだがね。
- モンゴル地域、外蒙古は独立している、内蒙古は中国。満蒙の権益というように外蒙古は独立して育成しているのを見た時に、内蒙古は日本の権益だと見なしている。
- 内蒙古は満洲国に食付けてしまう。1920年代に満洲の権益というときに、敢えて満蒙というのは内蒙古を含んでいるという意味
- モンゴルは当時日本も認めていなかったので、外蒙古といってた。中立条約でモンゴル人民共和国を認める。
(2)関特演
(2)-1.独ソ戦
- 戦後における松岡(1880-1946)自身の弁明
- 北進論を主張したのは、南進論が勃興したなかで、北進論を唱える事で、両論を思いとどまらせ、戦争をさせないようにしようとした。
- 松岡の対ソ攻撃論に陸海軍は賛成せず
(2)-3 関特演の実態
- ここで注目していただきたいのは・・・「熟柿の好機」 対ソ戦に関して何度も使われる。
- 極東ソ連軍が西に移動してがら空き さらにドイツの攻撃により弱体化する 柿が堕ちるのを待っている
- 南進か北進か
- 北進を断念した場合は、南進に行かざるを得ない
- 陸軍の軍人はそのように考えている 現代人からすると両方しなくてよいという感じだが、
- 関特演というのは平時的な演習ではなく、戦時動員。
- ただし、国境を越えず8月9日に中止(断念)。※完全に断念はしていない。
- これをもって日ソ中立条約に違反したと考えられる。
- 国境を越えていないだけ。ちなみにいうと蘇連は途中から盛り返して挽回しドイツ側に攻め込んで逝きます、