【シベリア】武装解除した日本軍をソ連・モンゴルに輸送したことについてなど メモ

  • 捕虜の扱いの変遷について
    • 報告者は、第一次世界大戦第二次世界大戦の捕虜の扱いの相違について疑問を抱き、第一次世界大戦は余裕があったので、捕虜を丁寧に扱い、第二次世界大戦は余裕がなかったから弾圧したと述べた。さらに、日清日露については、白人に対するリスペクトがあったが、第一次大戦の時には薄まり、第二次大戦の時にはなかった(鬼畜米英)などと論じた。
      • Q1.第一次世界大戦の時でもドイツ兵の捕虜を真っ当に扱ったのは坂東俘虜収容所だけであり、大阪・松山・久留米・福岡の収容所では捕虜を殴打したり親族からの小包を放置したりしているので、第一次大戦も捕虜を真っ当に扱っているところとそうでないところがあるのでは?
      • Q2.日清戦争は戦争の相手が白人ではないのでリスペクト云々の理論は成り立たないのでは?むしろ、ヨーロッパから派遣された観戦武官がいたからでは?
  • シベリア抑留における旧日本軍の階級が維持されたことについて
    • 報告者は、旧日本軍の将校が作業の割り当てや食糧の支給に関して不正を行っていたことを指摘。抑留における苦渋の原因が日本側にもあったのではないかと主張。
      • Q.ソ連って階級ないとかいってるイメージがあるけど、ソ連軍の軍制ってどうなっていたの?あと、旧日本軍の階級が維持されたことについてソ連側って何とも思わなかったの?日本軍の階級を利用して抑留者を統治しようとしたの?
      • 【お答え】ソ連の軍隊階級ある。旧日本軍の階級制度は民主化運動に利用した。日本側は将校と下級兵がお互いを反ソ的と訴えた。旧日本軍の下級兵が将校に叛乱を起こした際、本来なら銃殺だけれども、認められたケースがある。

国史大辞典より
シベリア抑留(藤原 彰)

  • 経緯
    • 昭和二十年(一九四五)八月九日、ソ連は対日本戦に参戦し、満洲中国東北部)、樺太(サハリン)、千島などに侵入して、日本の降伏後各地の日本軍を武装解除した。武装解除された軍人の大部分は、約千人程度の作業大隊に編成され、シベリア・中央アジアを主とする約七百ヵ所の収容所に送られて、森林の伐採や道路の構築などの強制労働に従事させられた。この間、粗悪な食糧、重労働や寒気のため、多数の犠牲者がでた。
  • 引き揚げ問題
    • これら抑留者の数は正確には不明だが、二十四年七月一日に連合国最高司令官総司令部GHQ)は、シベリアの日本人引揚げ対象者の総数は七十万人であると発表した。日本政府はシベリア抑留者の引揚げにつき、GHQにくり返し援助を要請し、二十一年十二月、GHQ代表と対日理事会ソ連代表の間で、引揚げに関する協定が成立し、ナホトカ経由のソ連からの引揚げが開始された。それ以後二十五年五月までの間に四十七万人が送還された。二十五年六月ソ連政府は、戦争犯罪人として服役中の千四百八十七人を除いて、日本人の送還は完了したと発表した。これに対し、同年十二月、外務省は未帰還者は三十六万九千人であると発表し、さらに翌二十六年三月国会で、確実な未帰還者数は三十二万四千人であると言明し、日ソ両国間で、送還の終了をめぐって対立がつづいた。
  • [参考文献]
    • 厚生省引揚援護局未帰還調査部編『満洲・北鮮・樺太・千島における日本人の日ソ開戦以後の概況』、引揚援護庁編『引揚援護の記録』