- ヤルタ協定と日本外交
- 密約は日本側に知られていたのか?
(1)小野寺電報
(1)-1.ヤルタ密約
- ヤルタ密約を日本政府は知ることができたのか → 最近の研究によると情報が日本に伝わっていた。
(2)ソ連参戦情報
- 情報が複数来ている。ソ連参戦情報が次々とくるなかで、どのように情報を処理するか。情報の選別の問題となる
(2)-1,参謀本部
(2)-2.外務省が得た情報
- 『日本外交文書』
- 『日本外交文書』に掲載されている電報。膨大な情報から採用されている電報を選んでいる
- 原本を外務省記録という。電報が紐で綴じたファイルのなかに入っている。外交史料館やアジア歴史資料センターでも見られる。
- もとの電報をアジ歴で探したのですが ひょっとすると漏れているのかもしれない
- 外務省√でいうと蘇連の参戦は分かっていた。
- ソ連は侵略国とみられないよう振る舞うはずだ!この辺が日本側の一つの特徴
- 1945年7月27日 ヤルタ密約はドイツ降伏の6カ月後?の参戦!?
- ※6か月の情報がどこっからどこへきたのかわかりません。この外交文書で初めて出てきた
- 日本が蘇連の基地を攻撃した場合、対日参戦するのでは?という日本側の予想
- 日本外交文書に掲載されたものを追っていると 外務省がどの情報が正しいかと判断できる状況ではない もとの原稿の原本がないと厳しい