極東蘇聯史005「ヤルタ協定」

  • ヤルタ協定と日本外交
    • 密約は日本側に知られていたのか?

(1)小野寺電報

(1)-1.ヤルタ密約
  • ヤルタ密約を日本政府は知ることができたのか → 最近の研究によると情報が日本に伝わっていた。
    • 樺太は「返還」=ロシアの固有の領土とされている。千島列島は「引き渡し」→ロシア・ソ連の固有の領土ではないと思っている。
    • 外蒙古は蘇連しか承認していないが、現状維持となる
    • 満洲の主権は中国に帰属する。
  • 1945年2月11日、ドイツ降伏後2〜3カ月後を経て、対日参戦
    • 見返りに日露戦争で日本に譲渡した権益の回復、返還
    • 大連は国際化して蘇連が優先権益。旅順は蘇連の租借権回復
    • 新たに千島列島の領有
      • 大西洋憲章に関して新たな領土の獲得という点では反しているが、戦争の長期化に従い、大西洋憲章はやめにすると言っている。
      • 領土不拡大の原則が連合国内で生きているかは謎です。
(1)-2.小野寺電報
  • 小野寺信…駐在武官
    • 日本政府でどの程度小野寺電報が扱われたのか一つの説としては、小野寺電報(1945.2)の行方→参謀本部で握り潰された。
    • この奥さんとか、本人が発言したので、いろいろな証言でてくる → 参謀本部には届いていた説
    • 複数の√でも情報が届いていたことが分かる
  • 次の問題はヤルタ協定で蘇連の対日参戦は伝わったのに、外務省や軍部はなぜ対応をしなかったのか?という問い
    • 参謀本部(林三郎ソ連課長第五課)の回想によると1945年2月にソ連参戦情報を得る(領土面の密約は戦後)
    • 岡部信の本によると林三郎は長生きしてて、小野寺が電報を追っているのを知っているのに知らないといい、自分の著書では書いている。
      • 情報を知っているのになぜ対応を取らなかったのかと糾弾されるのを恐れた
  • ドイツ大使館√ → 大島浩大使から外務省に報告
    • 情報自体は伝わったというのはほぼ確定的

(2)ソ連参戦情報

  • 情報が複数来ている。ソ連参戦情報が次々とくるなかで、どのように情報を処理するか。情報の選別の問題となる
(2)-1,参謀本部
  • 林の回想にあるように、3ヶ月は短すぎる、早すぎるという参謀本部の多数意見
    • ソ連が参戦してくるだろうというのは予測できるけれども、「熟柿が落ちる」好機をねらっているに違いない(希望的観測)
      • 「熟柿が落ちる」というのはよくつかわれる表現。日本で関特演の時には軍事動員だったが国境を越えないで対ソ戦の契機をうかがったが、それが熟柿作戦
      • 関特演の時には、ソ連が負けることが確定してから参戦しようとしていた。 けど蘇連が盛り返しちゃった。 
    • 参謀本部ソ連もまた日本と同じように熟柿作戦を使ってくると思っていた
(2)-2.外務省が得た情報
  • 『日本外交文書』
    • 『日本外交文書』に掲載されている電報。膨大な情報から採用されている電報を選んでいる
    • 原本を外務省記録という。電報が紐で綴じたファイルのなかに入っている。外交史料館アジア歴史資料センターでも見られる。
      • もとの電報をアジ歴で探したのですが ひょっとすると漏れているのかもしれない
  • 1944年9月28日 岡本季正公使(ストックホルム)
    • いろんな理由をつけているが・・・ソ連参戦を否定する根拠を並べている
  • スターリンの演説 日本を侵略国として非難する 1944年11月日 十月革命記念日
    • テヘラン会談(1943年11月28日)の約束
    • ヨーロッパ第二戦線問題 → ノルマンディー上陸作戦 
    • 見返りを英米に要求していたこともあって
  • 外務省√でいうと蘇連の参戦は分かっていた。
  • 1945年2月23日
    • 対日参戦のソ連側のメリット
      • 大陸における発言権の問題、戦後の影響力
      • 満州や朝鮮の権益 蘇連が参戦するソ連は発言権を得られる 大陸における戦後処理の問題 

 

  • ソ連は侵略国とみられないよう振る舞うはずだ!この辺が日本側の一つの特徴
  • 1945年7月27日 ヤルタ密約はドイツ降伏の6カ月後?の参戦!?
    • ※6か月の情報がどこっからどこへきたのかわかりません。この外交文書で初めて出てきた
  • 日本が蘇連の基地を攻撃した場合、対日参戦するのでは?という日本側の予想
    • ソ連の参戦タイミングが遅くなってくる
    • 防衛戦の名目で参戦してくるだろう
      • ソ連は戦争で疲れ切っている(戦争の被害が非常に大きい。第二次大戦で戦死者数を比べた時戦争による戦死者は蘇連が2000万人で圧倒的に多い、二番目は中国)
    • スターリンも新たな戦争の理由がない
  • 日本外交文書に掲載されたものを追っていると 外務省がどの情報が正しいかと判断できる状況ではない もとの原稿の原本がないと厳しい
(2)-3,『日本外交文書』取り扱い上の注意
  • ファイルの取り外しが自由
    • 原本の方に後から知った密約の内容を入れてしまった可能性があります
    • 原本から抜き出して選んでいるという問題と、時間の順番が狂ってる。
  • 結局、結論的にソ連の対日参戦については3カ月は短いだろうと思ってる
    • 外務省はもっと遅くみている。これをもとに8月8日に蘇連が参戦して攻めてくるとは言えないだろう
    • ソ連の対日参戦するという情報自体は入ってくるけれども、それが8月8日だと確定したことはいえないだろう。というのが、今日の話の結論です。
  • 結局、今日の話で分かったのは
    • 1、ソ連の対日参戦の情報はきていた
    • 2、情報を使って、8月8日に参戦するとは確定できなかった
    • 3、ソ連が見返りを貰うことの情報を伝わらなかった。