コレクション形成史からみる日露関係史? メモ

  • 本研究会の趣旨
    • 2011年からアイヌ・先住民研究センター(CAIS)とロシア科学アカデミー東洋古籍文献研究所(IOM)との共同研究が行われており、今回の研究会はその成果を発表する第2回目。

【近世】

  • ワシーリー・シェプキン「情報口としての松前蝦夷地−近世における地理学的情報の日露交流」
    • ロシアに渡った18世紀〜19世紀の日本地図についての発表。
    • 扱われたスライドは以下の通り。
      • 安永年間ロシア人蝦夷地探検由来の知識、大黒屋光太夫が作った日本地図、天明年間蝦夷地探検由来の知識、ラクスマン率いる第一次遣日使節の際の交換、クーゼンシュテルンが使用した地図、I.A.シュテゥツェル旧蔵書、フヴォストフ第二次蝦夷地探検関係資料、ロシア海軍文書館所蔵日本関係資料、イルクーツクで写された地図、海軍文書館所蔵『日本輿地路程全図』、ロシア語訳「日本国全図」、ロシアで利用した『日本輿地路程全図』、ロシアに渡った日本周辺の地図
  • 東俊祐「ションコ乙名蝦夷地奉行の定書について」
    • ロシア国立図書館(サンクトペテルブルク)所蔵のションコ乙名宛蝦夷地奉行の定書の紹介。及びその内容と、同館に所蔵されるに至った経緯等についての考察。
    • 内容:1778(安永7)年7月に「蝦夷地奉行」なる役名の者(もしくは機関)がノッカマップのアイヌの有力者ションコに宛てた文書。
    • 意義:(1)蝦夷地関係発給文書の原本、(2)松前藩の職制としての蝦夷地奉行の存在、(3)安永年間のキイタップ場所、(4)アイヌへの発給文書の最古の原本、(5)松前藩の漂流民送還体制
    • 露米会社の所蔵品となっていた定書は、ミハイル・ブルダコフ(1767-1830、露米会社支配人)により、1814年にロシア国立図書館へ直接送られ、同館の所蔵品となった(シェプキン報告・O.V.ワシーリエヴァ論文による)。
    • ナゾ:定書は、いつアイヌの手からロシア人への手に渡ったのか?
  • 鈴木建治「東洋古籍文献研究所(IOM)所蔵和書からみるコレクション形成史」
    • ロシア・サンクトペテルブルク市の東洋古籍文献研究所(IOM)における世界有数の所蔵数の日本語史料が、どのような歴史的経緯でロシアへ渡ったのか?
    • 漂流民の大黒屋光太夫が所持しており、エカチェリーナ2世に献上した書籍と、文化魯寇事件(フヴォストフ事件)の際に接収した書籍がある。
    • 文化魯寇事件で接収された書籍は露米会社系のブルダコフ本と海軍局系のブハーリン本に分れた。前者のブルダコフ本は科学アカデミーや帝室公共図書館に移った。
  • 谷本晃久「モスクワにわたった安永の松前藩士発給文書」
    • ラクスマン以前の日露交渉を取り上げる。ロシアと松前藩が正式な交易のやり取りをするが幕府バレて断ることに。しかし松前藩アイヌを介した間接的な交易を模索していた。5通の松前藩士発給文書の意義は、日露通商の可能性を残した措置が分かり、松前藩の最初期の対ロシア認識が現場で示された得難い文書。

【近代】

  • 兎内勇津流「IOM蔵書出版物に見る明治期日本の正教会
    • 正教会の日本伝道、明治初期の聖書日本語訳の展開と正教会、今日に伝わる明治期正教会出版物についての話。
  • 鈴木仁「樺太庁による古典籍の蒐集とその背景」
    • IOMが所蔵している樺太旧蔵の古典籍について。樺太庁樺太の図書館は内地で古典籍を購入し、コレクションを形成していた。なぜ、樺太庁樺太の図書館は古典籍を収集したのか?という話。あくまでも樺太側の視点に立つことを研究のねらいとしている。結論としては、樺太旧蔵古典籍がなぜ「古典籍」の形態で作成されたかというと、それは近代樺太社会が近世以前の「樺太島」と日本とのつながりを歴史に求めていたからであるとのこと。その試みは成功したとはいえないが、北海道史との対照や日本人の郷土意識を考えるうえで重要であるとされていた。

コレクションの魅力

  • 佐々木利和「IOM所蔵アイヌ・北方関係資料の魅力?」
    • 内閣文庫本『蝦夷語集』、金田一静江写本『蝦夷語集』、源平曦軍配が紹介された。