雑録

史料判読能力養成講座008 文官任用令改正問題 (『原敬日記』大正8年11月12日の一部より)

  • 歴史学における語学の壁
    • 語学の単語習得において、ひたすら単語「だけ」覚えていくというのは、非常につらいものがあります。文章を読みながら出てきた単語を覚えていく方が個人的にはまだマシ。くずし字も同様でして、毎週約700単語の中から40個出題されて翻刻する試験があるのですが、満点には程遠い。くやしい。忸怩たる思い。
    • また、その試験とは別に、文章を与えられて自分で翻刻して覚えてきて、試験で翻刻し直す作業も毎週あるのですが、こちらの方がまだくずし字覚えられます。個人的には。
    • 歴史学は、史料に基づいて事実を再構成する学問なので、語学ができないとどうにもならない。くずし字読めないとどうにもならない。

今日のおはなし

  • 歴史学における人物名のファーストネームの音読みについて
    • 原敬日記』を“ハラケイニッキ”と読むことについて。なぜタカシではなくケイと読むのか。これには二つの理由があり、それは「研究上の理由」と「実名敬避俗」である。
      • 研究上の理由として、訓読みは本人がフリガナを振っていない限り、読むことができないので、音読みしても良いこととなっている。山県有朋論語から名前を取ったが、「ユウホウ」と呼ばせていた。伊藤博文も伊藤「ハクブン」と自分でも言っている。歴史学の場に於いて、伊藤ハクブンと呼称されても気にしないようにとのこと。井上毅(コワシ)と犬養毅(ツヨシ)の事例。犬養は自分で「ツヨキでも良い」と言っており、現にツヨキと呼称されているポスターもある。
      • 実名敬避俗について。いわゆる「諱」。漢字文化圏では親や主君以外が実名で呼称することを忌避する風習があった。自分の名前を正確に呼称されるのを忌避していた。そのため、音読みで呼ばせていた。
      • 以上により「はらたかし」日記でなく「はらけい」日記と通称している。
  • 日記と歴史観
    • 原敬は自分で日記を編纂しており、後世の人間に読ませるために日記を書いている。そのため詳細な日記が残っているが、これに依拠しすぎると原敬史観となってしまう。原敬日記を相対化する必要があるが、原に匹敵する程の日記は残されていない。歴史学は史料に基づいて事実を再構成する学問なので、明治末〜大正の歴史は原敬史観になりがちである。ゆえに、読む時には十分注意をしなければならない。原敬日記に出てくる事項について鵜呑みにせず、調べる必要がある。

文官任用令改正問題 (『原敬日記』大正8年11月12日の一部より)

大正期初頭、試験や官歴とは関係なく特別任用できる官職の指定をめぐって、政党勢力と藩閥官僚勢力の争いが生じていた。大正二(1913)年には、第一次山本内閣は文官任用令を改正し、特別任用の枠を拡大した。だが大正三(1914)年第二次大隈内閣は自由任用の範囲を縮小した。大正九(1920)年、原内閣は枢密院の強い反対をおしきって文官任用令を改正し、特別任用を大正二年の第一次山本内閣時の拡張範囲にもどした。


午後ヨリ 枢密院 委員会二 出席ス 前回二 引續キ 任用令改

正案二付 審議シタリ 余ハ 時勢ノ 要求ト 官場ノ 刷振人材登用

等二付 説明シ 根本方針ハ 去十八年 伊藤公二ヨリテ 確定シタレハ 之ヲ根

本的二一変セズシテ 時勢二 順應シテ 相當ノ緩和ヲ ナスコトヲ 力説シタリ 大

体二於テ 賛成者多キ 模様ナルガ 却テ 委員長タル 伊藤巳代治ガ 例ノ

小刀細工ニテ 面倒ヲ 起サントスルカ如シ 余 明日 大演習二 赴クニ付 不在中二

法制局長官 其他ニテ 委員会二 出席スルコトトナセリ

高橋蔵相 野田逓省 歳入豫算二付郵便及ヒ端

書ノ値上ゲセサルコトニ付 内談シタリ 丁度三浦モ来訪中ニテ種々雑談ヲ

ナシタリ 余ノ不在中大蔵逓信ニテ篤ト調査ノ筈ナリ