教授の質問に答えられなくて死亡。
- 質問まとめ キミは答えられるか!?
問2.明治天皇の死去は七月三十日(宮内省発表)だが、明治天皇大喪は九月十三日である。なぜこのような期間が生じるのか?
- 殯(もがり)の儀式のため
- 【殯】もがり (『国史大辞典』)
- 「人間の死後、埋葬するまでの間、遺骸を棺に納めて特別に設けられた建物に安置しておく葬喪儀礼の一つ。「あがり」とも読み、また荒城(あらき)ともいう。そのための建物を喪屋(もや)といい、特に天皇・皇族の喪屋を殯宮(もがりのみや・あがりのみや・あらきのみや)という。〔……〕天皇の殯宮儀礼の場合、殯宮内には皇后・皇太后・皇女など肉親の女性が籠り、土師氏の管掌のもとに遊部が奉仕して儀礼が行われたが、一方殯庭においては誄(しのびごと)の奏上や和風諡号(しごう)の献呈など、中国の影響に基づく儀礼が行われた。また殯宮儀礼の期間も長期化し、天皇や王族の場合は一年以上に及ぶことがまれではなく、敏達・斉明のように五年を超えることさえある。しかし殯宮儀礼が行われたことを明確に示す記録があるのは文武までで、以後は埋葬までの期間も大幅に短縮されており、これには仏教に基づく葬礼や火葬の採用が大きく影響していると見られる。」
問4.では践祚とは何か?即位との違いを説明せよ。
- 践祚とは皇嗣が天皇の位を承け継ぐこと。践祚と即位はもともとは同じものであった。桓武天皇以後践祚の儀の後時日を隔てて即位の礼が行われる慣例が生ずるに及んで、践祚の儀が神器の伝承を中心とするのに対し、即位の礼は皇位の継承を天下に宣示する儀式となった。
- 【即位】そくい (『国史大辞典』)
- 定義
- 明治以前の儀礼内容
- その儀礼は、まず式日に先立って天皇の礼服御覧のことがあり、また勅使を伊勢神宮に遣して奉幣して即位の由を奉告し、さらに勅使を山陵に遣して同じく奉告のことあり、前一日大極殿の装飾を行う。当日は親王以下文武百官礼服を着して大極殿の前庭に参列し、ついで天皇冕服を着して高御座に登る。それより宣命使版位について即位の旨を宣し、百官再拝舞踏し、武官は旗を振って万歳を唱える。その後叙位のことあり、おわって天皇は大極殿の後房に還御。以上の即位礼の大要は江戸時代末まで行われた。ただ、式場は大極殿の焼亡などの理由で豊楽殿・紫宸殿または太政官庁が用いられ、中世にはもっぱら太政官庁において行われたが、後柏原天皇以後紫宸殿が用いられるのが通例となった。
- 践祚と即位の間もタイムラグがあるし、即位の礼をせずに退位する事例もある。
- 明治天皇の即位の礼
- 戦前の皇室典範の規定