雑録

国史概説EX003 試験after 国史概説の試験では実際には何が問われたか?

さて、前日までに論点整理とその解答を用意して試験に臨んだわけですが、実際に出題されたのは以下の通りでした。
想定の範囲内の問題だったので、適切に処理できたのですが、やはり時間はギリギリでした。
大論述(2000字程度)×4は90分だと結構きついですね。

第1問 中世

歴史は、論者の視点、問題関心のありようによって、不断に書き換えられるものである。中世の日本及びその周辺地域に関して、歴史が書き換えられてきた具体例を一つ挙げて説明しなさい。その際、なぜそのような書き換えがなされたのか(場合によっては複数度)、理由や背景などを併せ論ずること。

  • 攻略ポイント
    • 書き換えられる歴史の具体例を一つ説明する。条件;時間軸(中世)、空間軸(日本及びその周辺地域)。どうみても講義で扱った倭寇主体論について述べることを要求しています。本当にありがとうございました。内容としては戦前日本の歴史認識では倭寇は海外雄飛の対象とされていたので、当然倭寇=日本人であったこと。しかし、戦後、倭寇研究が進むと、倭寇は日本人とは言えなくなったこと(朝鮮系倭寇の存在、倭は北九州であり日本とは別の認識だったこと、高麗沿海民の課役逃れなど)。村井章介により「境界人」という概念が導入され国家や民族を捨象しようとしていること。一方で、韓国人系研究者は倭寇を日本の侵略事例と認識させるようにしているため、歴史学ナショナリズムの影響を受けること。以上のことを述べれば良い。

第2問 近世

以下のテーマにつき、講義の内容を踏まえ、論じなさい。なお、論じる際は、指定の語句をすべて用い、その語句に下線を施すこと。
テーマ:「近世の身分制と差別」
指定語句:領主的土地所有・百姓的土地所有・本所編成・養子・触穢・産穢・雪駄産業・身分解放令

  • 攻略ポイント
    • 中世において重層的な土地支配体制だったのが太閤検地により1対1の土地所有関係となり、領主が土地から生産された生産物を年貢として収奪する権利を得たこと、農民が土地を所有し生産する権利を得たことを述べる。また近世の身分制は一見すると固定化しているように見えるが周縁にいる人々は本所編成や養子や御家人株の売買などで身分の流動性もあったことを指摘する。
    • 差別に関しては、ケガレの観念が江戸幕府においても五代家綱の時代から服忌令により武家社会にも組み込まれたことを述べる。血と死がケガレの対象なり、皮革産業や清掃・芸能などが触穢の対象となった。また血と死がケガレのため子どもを産むと産穢として忌避されるようになった。しかし江戸時代のえたひにんは差別の対象となる一方で、雪駄産業など産業上の特権を得ていた。だが、明治時代になると産業上の特権は奪われる一方で、壬申戸籍に「新平民」と記されるなど差別が残った。以上のことを指摘すれば良い。

第3問

戦前の権力分立体制について述べなさい。なお、論述の際には以下の語句を全て用い、初出時にその語句に下線を施すこと。
語句:天皇親政 内閣制度 政党政治 統帥権

  • 攻略ポイント
    • 明治憲法において理念上は天皇親政だが実態は天皇超政であること。井上毅は内閣制度に反対しており、内閣が力を持たないようにするため、明治憲法第55条に単独輔弼規定入れ、天皇と大臣の関係を個別の関係にして首をきれるようにしたのだが、内閣官制の第五条で閣議を規定し全員一致としてしまったので、一人の反対でも内閣が総辞職することになってしまったこと。閣議を経なければならないため、内閣構成員は同じ政見を持つ方がよく、同じ政見を持つという事はそれすなわち政党が政治を行うのが良いと政党政治が主張されたこと。明治憲法では国務と統帥は分離していたが、明治期においては陸相海相は国家指導者でもあったので統帥権の独立は問題にならなかったが、昭和期になると統帥権の独立により極端なセクショナリズムには陥ってしまったこと。政党政治崩壊後のバラバラ状態は天皇でなければまとめられなかったが、理念上は天皇親政でも実態は天皇超政であり、天皇は何もできなかったこと。以上をまとめればよい。

第4問

1930年代の日本が引き起こした戦争について、開戦、停戦に留意しながら説明しなさい。

  • 攻略ポイント
    • 1931年満洲事変、1932年満洲国成立、1933年塘沽(タンクー)停戦協定、1935年蔣介石幣制改革→華北分離工作、1937年日中戦争の流れを説明すればよい。停戦については、塘沽停戦協定で国民政府が事実上満洲国を承認したこと。蔣介石が幣制改革に成功すると中国統一の気運が高まったため、日本が対抗して華北分離工作を行ったこと。冀東政権の樹立により日本の資本や企業が中国に進出し密貿易が盛んになったこと。つまりは日中戦争が急に始まったのではなく、開戦する素地があったこと。戦争の呼称としては、支那事変と日中戦争の違いとして、当時は戦争状態になると第三国に中立義務が発生し貿易面などで不利になるので当時は支那事変と呼んでいたこと。以上を留意すればよい。