この本を読むにあたっては戦後歴史学についての知識が必要。
一 明治維新史の学問的確立の条件
- 明治維新史を含め日本近代史が最も未開拓な分野であった理由
- 権力の正統化としての歴史
- 「〔……〕近代的市民革命を通過しなかった日本の近代社会では、〔……〕支配者層個々人の序列・地位が、むしろ歴史的に根拠づけられる仕組となっていた。〔……〕歴史が支配者層の利害を弁護する道具にされればされるほど、実は歴史の真実の究明は忌避され、そして歴史は侮蔑され、荒廃せしめられてきた。」(20頁)
- 学問としての歴史研究は遠い
- ブルジョアジーの限界
- 「〔……〕本来のブルジョアジーの立場に立つ文明史観が〔……〕官府歴史学界の外に、細々と続き、それが一応大正年代のデモクラシーの雰囲気の中で、いわゆる文化史に結実したのであるが〔……〕近代史にあっては、はるかにその洗礼の影響が少なかった〔……〕文化史は〔……〕政権構成者=政治家のみならず、社会各分野の構成員の価値を等しく認めてゆこうとしたものである。このような歴史観は、絶対主義支配者に対抗し、自己の在野的存在の価値を主張しようとする市民的立場に立つものであった〔……〕しかし大正期のブルジョアジーが〔……〕彼らの現実と直接かかわりあう近代史については、新しい歴史創造の任務を放棄してしまったところに、彼らブルジョアジーが究極において絶対主義政権と妥協し抱合してしまった限界をみることができるのである」(22-23頁)
- 学問的明治維新史の登場と限界
二 資本主義論争の意義
- 明治維新の科学的研究
- 資本主義論争(封建論争)
- 「〔……〕資本主義論争(封建論争)は、現代社会における封建的要素(絶対主義)をいかに評価するか、それを単なる封建遺制と見るか(労農派)、それとも日本の資本主義の基底的存在と見るか(講座派)、この点の対立として論争は展開されたのである〔……〕論争が本格的に行われた昭和5年から13年頃まで(1930−37年)において、日本資本主義の構造的危機が暴露し、その社会的矛盾の爆発としての戦争への危機が逼迫したという情勢が、知識人の学問的意識を駆り立てた〔……〕恐慌の惨禍に悩む勤労民衆の生活を憂い、戦争を指向する軍国主義にたいする抵抗を志す良心的インテリゲンチャをして、日本資本主義発展の普遍的法則と特殊的具体の学問的分析へと激励したのであった。」(26-27頁)
- 資本主義論争の主要な論点
- 戦前の資本主義論争を批判的に摂取し、今後のより豊かな結実を期待するための方針
- (1)幕末から現代に至るまでの資本主義発展の全過程を見通した上で(すなわち維新前史と維新後史との統一的把握の上で。これをはたすためには明治維新と現代とを結びつける明治・大正史の空白を至急埋めることが維新史研究の上にも必要である)、また全機構的な認識の上で(たとえば経済史的観点に限った場合でも、農業と工業との発展度の統一的評価の上で)、論争の論理が整合され、課題が提出され直す必要があること。
- (2)労農派におけるごとく、歴史的変化・発展の現象にとかく目を奪われて、その変化の底に保持され続けている本質の構造的究明に欠けることなく、他方、講座派におけるごとく、型=範疇の固定的構造論にともすれば縛られて、発展的見地を見失うことなく、歴史における変化と持続との二つの側面が併せ把握さるべきこと。
- (3)これまでの経済主義の狭い視界から、全歴史的過程に考察を拡げて、上部構造からの究明と下部構造からの究明が協力し合って行わるべきこと。なかんずくその統一として政治史的考察が不可欠であること。
戦後歴史学の階級闘争史観については、以下の文章がとっつきやすい。
呉座先生のすごく良い記事
— まとめ管理人 (@1059kanri) 2018年8月10日
一揆はほんとうに「進歩的な勢力」が担っていたのか?(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース https://t.co/OtOnc4kWJL @YahooNewsTopics