遠山茂樹『明治維新』(岩波文庫、2018) 第一章「天保期の意義」(pp.37-58)

戦後歴史学階級闘争史観・明治維新を絶対主義革命と捉える。

第一節 問題の所在

  • 天保期の特徴(p.37)
    • 「封建的土地所有と耕作農民との基本的階級対立の激化」
    • 「階級対立の集中的表現である階級闘争としての百姓一揆ならびに都市下層民のうちこわし(打毀)の規模の拡大」
    • 「内部構造における新しい社会関係と新しい社会意識との萌芽の発生」
    • 階級闘争の発展に相応じて、その政治闘争への結集の端緒があらわれはじめた」
  • 明治維新が絶対主義革命になった要因(p.38)
    • 「農民的・小市民的ブルジョワ民主主義革命への闘争の萌芽〔……〕にたいして、封建支配者層がこれに対抗し、強引に封建支配を維持してゆこうとする努力、この二つの力の間の基本的拮抗の態勢が、封建権力の絶対主義への傾斜を生み出した」
  • 絶対主義への移行は国内的要因か、国際的要因か(p.38)
    • 「絶対主義の成立としての明治維新を生起せしめる国内的必然性」
    • 「幕末の日本が自生的に絶対主義へ転化する条件」
  • 絶対主義への移行の要因に関する論点(p,38)
    • 天保期におけるブルジョワ的発展の性格ならびにその度合に関する評価」
    • 「政治史的には、この時期に行われた幕府・諸藩の政治改革の本質およびその効果、その基底に横たわる階級闘争の理解」

第二節 幕府の改革

  • 封建反動である天保の改革のなかにみられる絶対主義(p.39)
    • 「色濃い封建的色彩の底に、単なる封建再編成に終る反動にとどまりえず、社会の新しい動きに適応せざるをえなかった封建支配者の新しい政治的表現が、改革当事者の主観を越えて発生した事実を見逃すことはできない。これこそ絶対主義への傾斜に他ならない」
  • 株仲間廃止令の本質(p.40)
    • 「株仲間廃止政策の本質が、商品経済のより高い発展段階に即応する、商工業の封建的統制の再建であった」
    • 「幕府の商工業政策は〔……〕諸藩の専売強化策政策と基本的に方向を一にしつつ、それ故にまた互いに覇を争い合う性質のもの」
    • 「幕府と諸藩との経済的対立が、新しい地盤の上で一層激化せしめられる契機を包蔵」
  • 天保の改革を促した直接的契機 → 百姓一揆の昂揚(pp.40-41)
    • 郡内騒動
      • 天保七(1836)年には〔……〕幕府の直轄地で軍事的要衝である甲斐一国をあげての大暴動−郡内騒動−が起こっている。」
    • 大塩平八郎の乱
      • 「そしてその翌年(1837年ー引用者)〔……〕天下の台所といわれた大坂に起った大塩平八郎の乱は、浪人的立場から、都市および都市周辺農村の下層民の暴動を幕吏の横暴・腐敗に向けて組織しようと試みた政治的意図と、この事件を機会に幕府の軍事力の無力を天下に暴露した政治的効果をもって、政治史的に新しい段階を劃した事件であった」
  • 百姓一揆の発展(p.40)
    • 闘争目標「土地改革、農業革命への方向をもつ」
    • 闘争形態「一層広範囲の持続的な団結」
    • 発展の基礎「封建的農業の自給自足的自然経済を侵蝕し解体せしめる商品経済の進行」
  • ブルジョワ的発展の成果をめぐる争い(p.42)
    • 諸勢力
      • 「生産者」サイド→「農業革命への発展の方向を示しつつある百姓一揆
      • 「封建支配者およびこれと共生的関係を結ぶ前期的資本(特権的商業高利貸資本)」サイド→「封建権力の絶対主義的改革」
    • 勝敗の行方
      • 封建支配者が勝利→「明治維新の根本方向が決定される端緒が開かれた」=「天保期の幕政改革ならびにこの前後に同様の政策をとった諸藩の藩政改革の意義」
  • 幕府がブルジョワ的発展の成果を完全に自己の支配下に組み入れて、自ら絶対主義化できなかった条件(p.43)
    • 天保の改革の失敗要因
      • 「第一に幕府機構の腐敗と、その建て直しに耐える柔軟性が欠如していたこと」
      • 「第二に幕領が全国に散在しており、農民の掌握が不徹底であったこと」
      • 「第三に幕領の中心部分である関東および近畿の地帯が、地味の豊穣に加えて、比較的に貢租の負担が軽く、商品経済が割合に発達していた」

第三節 諸藩の藩政改革

  • 熊本藩の細川重賢、米沢藩の上杉治憲、秋田藩の佐竹義和らの名君の治世は封建反動の限界を出ず(p.44)
    • 「つまり改革は、そこでの農業生産力の低さに照応し、下からの力がほとんど原動力として働くことなく、もっぱら貨幣経済の渦中に悩む領主経済の要求から出発して、上から一方的に行われたものといえよう」
    • 「従って封建権力と商業高利貸資本の抱合が典型的に実現されればされる程、それが藩権力の更新強化、中央政界への進出という積極的な動きとならずに、封建支配の変質・解体という消極的効果としてのみ作用した」
  • 明治維新史研究の鍵(p.45)
    • 「〔……〕政治をその下部構造たる社会経済的な地盤と結びつけて、いわば全機構的に把握することは、きわめて必要であろう。実にこの点の分析こそ、明治維新史研究の鍵をなすのである〔…〕」
  • 中央政局での諸藩の発言力を決定したもの(pp.45-49)
    • 「第一にその軍事力の強弱であった〔……〕近代的軍事力の創設、すなわち様式銃砲艦船の整備いかんであり、このためには莫大な財力を必要とした」
      • 「〔……〕窮乏を告げる藩財政の立て直し、富力の蓄積を実現するためには、何よりも農民支配を確立強化し、商工業に対する統制を徹底するという方途がとられなければならなかった」
      • 「要するに、一定の商品生産の高さ(上からの副業奨励ないし強制の傾向が強いとはいえ、ともかくそれに適応して広汎な商品生産を展開しえた一応の生産力の高さ)からと、それを統制し自己の支配下に組み入れるだけの封建権力の強固さ。〔……〕中位のブルジョワ的発展の藩が、幕府との争覇戦に先頭をきることができた。」
      • 「国際情勢に触発されて、個別的な封建権力が早熟的に絶対主義化し、なかんずく強い軍事力を無理にも創出しなければならなかった場合、かえって古きものの存在が、歴史の前進を一先ずリードするに有利な因子となった」
    • 「〔……〕第二の要素は、中央政界で活躍しうる人材を藩士の中から育て上げえたかどうか」
      • 「〔……〕下級藩士実力派が財政改革、軍事改革を通じて、藩政の面に進出し、上層藩士保守派との抗争の体験をくぐりぬけることによって、自らを絶対主義官僚としての新しい政治家タイプに鍛え上げた」
      • 天保期の藩政改革の施策の中に見られた純粋封建反動的方向と、絶対主義的改革の方向との混在が、年と共に次第に明治維新の本来的方向へと確定されるに至る過程は、下級藩士改革派の主導権が打ち樹てられる過程に外ならなかった」
      • 「要するに下層武士層が、封建支配者内部の絶対主義改革派に成長してゆく過程が、幕末政治史の主流をなした」